第355話 天翼族の娘イエタ
居館の中、円卓の間。
そこにイエタを名乗る
穏やかな笑みを浮かべ、柔和な空気を纏わせて。
彼女の前にいるのは街の雑踏の中、彼女の降臨…もとい空旅からの到着を呆けたように見守っていたこの街の首脳陣三人…即ちミエ、シャミル、クラスクである。
「私
両手を合わせ、瞳をキラキラと輝かせてミエが呟く。
「天使みたいです!」
確かにイエタは美しい。
その肌は白く、背中に羽を生やした姿はミエの知るところの天使によく似ている。
頭上に天使の輪でも乗せていたら役満レベルであろう。
「天使…ですか。そう表現される他種族の方は多いですね」
「やっぱり!」
「ですが実際はわたくしたちは天使というよりもむしろ鳥類の特徴を備えた
「なるほどー…でもなんていうか、さっきまでとちょっと雰囲気が違いますね?」
先刻までの彼女…イエタは神々しい雰囲気を纏わせ近寄りがたい威厳のようなものを感じさせた。
だが今の彼女からはそうした雰囲気は微塵も感じない。
むしろ細目というか糸目と言うか、それでいてたれ目がちなため、どこかおっとりのんびりとした空気すら感じさせる。
「それは…その、お恥ずかしい話なのですが初めての街で緊張してしまって…」
頬に右手をあてがいながらはにかんだように唇をすぼめる。
その様は威厳よりもむしろ愛らしさの方が強く滲み出ていた。
「緊張すると神々しくなる人初めて見ました」
「申し訳ありません…」
汗を飛ばして謝るイエタを腕を組み憮然とした表情で眺めているのはノーム族のシャミルである。
「それはまあ緊張するじゃろうな。なにせオークの街じゃ」
「はい…」
「オークの街だと緊張するんです?」
「ミエ、お主は逆にオーク族に危機感を持たなさすぎじゃ」
「ああっ! なんか流れ弾が私にっ!?」
シャミルの鋭い一言にやり込められながらもミエは己の記憶を引っ張り出し追憶する。
この世界に来てから少なくない種族を目撃してきた。
オーク族、人間族、エルフ族、ノーム族、ドワーフ族、
大きさも習性もまるで異なる多くの種が、この世界にいた。
だがその中にあって、彼女はイエタより前に一度でも
道行く旅人の中にも、隊商の中にも、彼女のような姿の者はただの一人も、ただの一度たりとて見かけた事はなかったのだ。
「それってやっぱりオーク達に襲われるからですか?」
「当たり前じゃ。オーク達の元に布教しようと決死の覚悟で飛び込んでそのまま帰らぬ者となった
「ああ……」
シャミルから以前聞いたことがある。
神の教えで奇跡を起こし、怪我や病を癒し、そして子供たちに教育を施す。
まさに天女か女神か、というような存在なのである。
義務教育などがない世界である。
為政者たちにとって庶民のために金をかけて教育機関を作るような義理もなければ予算もない。
それを無償でやってくれるというのなら特に断る理由もない。
彼女たちの
貴族どもにとってもまさに渡りに船といった存在なのだ。
そしてそれゆえに、彼ら為政者は彼女たちの布教を止められぬ。
彼女たちのその熱心な布教活動は人間族を始め多くの他種族に向けられた。
縄張り意識の強いエルフ族相手でも、偏屈で排他的なドワーフ族相手でも、時間をかけて彼女たちは己の神の教えを布教してゆく。
そしてその対象の中には当然オーク族も含まれていたのだ。
だが…ことオーク族に関しては、
オーク族にしてみれば女が足りず種族の維持ができぬと、村を襲ってでも異種族の娘であってもとりあえず確保して孕ませて子孫を作らねば、と覚悟を決めているところに、空からわざわざ孕み袋が降りてくるのである。
当然聞く耳など持つこともなく彼女たちを無理矢理捕らえ、鎖に繋ぎ、隷属させ、犯す。
そうして帰らぬ彼女の様子を見に来た他の
そうした悲劇が幾度も繰り返されてきたのである。
「じゃ、じゃあ今のオーク族の中には少なくない
「どうじゃろうなあ。
「あそっか、鳥の特徴ってそういう…!」
しかし人間の体重を背中に生えた羽程度で浮かせるのはほぼ不可能と言ってよい。
では一体彼女たちはどうやってその身体を浮かせているのか。
…答えは単純。
「
「「そん
だけ」」
ミエだけでなくクラスクまで思わず真顔で呟いてしまう。
確かに鳥のように空を飛ぶというのならその骨は中空で、内部に柱のようなものが幾本も立ってその空の骨を支えている構造となっているのだろう。
ミエの常識から考えるとそれでも人型をしてる限りその背の羽程度で自由に空を飛べるのは不思議なのだが、その辺りは彼女の知らぬこの世界の物理法則なり魔術法則なりが
一方のクラスクは己の掌を見つめて困惑顔で眉根を寄せた。
オーク族の成人男子の平均体重はだいたい210ヴィアム(約95kg)程度とされる。
単純に考えて
さらにクラスクはミエの≪応援≫のお陰で耐久値が永続的に還元され続け、並のオークよりだいぶ大きな体格を得てしまっている。
彼女との体重はさ優に十倍以上になるのではなかろうか。
これだけ差があるとちょっと体重をかけただけで簡単に怪我をさせてしまいかねない。
強く抱いたら背骨が折れてしまう恐れすらある。
「それは…大変ですね…」
「それハ大変ダ」
ミエとクラスクは青くなって互いに顔を見合わせた。
乱暴で粗雑な旧来のオーク族の村に彼女たちがのこのこと出向いて行って、命を永らえるヴィジョンがまったく見えない。
おそらく一回手ひどく凌辱されて、全身の骨を折ってそのまま…
「きゃー!」
最悪の想像にミエは思わず叫び声を上げた。
「まあそうしたことがあったゆえ、
「な、なるほどー…?」
納得したようなしないような顔でミエは首を捻る。
「でもオーク族だけなんです? ゴブリンとかコボルトとかもいますよね」
「あやつらはまず村を作らんでな。教会を作る作らん以前の話じゃ。オーク族が集落型の社会文化性を有する最底辺と言ったところか」
「ひどい言われようですー!?」
とはいえその件に関してはミエもあまり強くは言えなかった。
クラスク村の前進…あの森村だってオーク達が造ったものではなく、元々森にあった村を奪って棲みついたものだ、他のオーク族の集落に出向いたこともあったがその在り様はだいぶ原始的であった。
ミエの百面相を眺めながらシャミルは静かに目を細める。
特に人間族の村にはよく訪れるようだ。
にもかかわらずミエは
記憶喪失だとしてもミエは知っていることはちゃんと覚えがあると表現する。
つまりミエは本当に
だいたいどんな街にもいるはずの種族を、一度も見た事がないというミエ。
それは一体何を意味しているのか…
「オーク族の村に来タがらなイ理由ハわかっタ。イエタト言っタナ。じゃあお前はこの街にドんな用デ来タ。布教ッテ奴カ」
クラスクの問いに…イエタは微笑みながらはっきりと首を振った。
「いえ。わたくしは…イエタはクラスク様のお手伝いをしに参りました」
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