第290話 警戒の角笛
掛け声と合いの手が激しくなる昼前時…
突如角笛の音が村中に響き渡り、雑踏の喧騒が一瞬ぴたりと止んだ。
「なんだ?」
「なんだ?」
「襲撃か?」
「わからん。こりゃ前に村長が言ってた警戒の角笛だろ」
「なにかしら? いやねえ」
ざわざわ、ざわざわと村人たちが口々に噂し、村を取り囲む城壁を見上げる。
その壁の上、兵士たちが移動に用いる
今や村人に知らぬ者無き有名人、オーク護衛隊の店主である巨人族の血を引く娘、ゲルダである。
彼女は小柄な誰かを左肩に乗せながら村を囲む城壁の一角、東の見張り塔へと向かっていた。
「ゲルダ殿!」
「キャスか!」
逆側の歩廊から駆けて来たキャスと共に城壁の角の建てられた城塔へとたどり着き、同時にゲルダが肩に乗っていたサフィナをキャスの方へと放る。
「あたしじゃそこは登れねえ! 頼む!」
「任せろ!」
「おー…たのまれた…」
左右の狭間…お城の城壁によく見られる例の凸凹…つきの胸壁を超えれば地面までは相当な距離で、落ちればひとたまりもあるまい。
そんな中で平気で人を放るゲルダもゲルダだが、受け取る方も投げられた当人もまったく気にする様子がない。
キャスに受け止められ、すたん、と地面に降り立ったサフィナは、彼女に手を引かれながら城塔の階段を駆け登ってゆく。
役目を終えたゲルダは城壁の上から城の外をためめつすがめつ睨みながら、その巨大な影を村内に落としていた。
息も継がせず塔のてっぺんまで登りきった二人は、そのまま城窓…と言ってもガラスがはめ込まれているわけではないが…から村の東を見つめる。
「隊長!? …じゃなかった元隊長か。現在まだ姿は確認できておりません!」
突然の来訪に見張り兵として配備されていたライネス…元翡翠騎士団の一員である…は驚き、だが急ぎ報告する。
「少し待て! サフィナ、見えるか!?」
「やってみる…」
キャスが鋭く言い放ち、サフィナが急ぎ片手で印を結ぶ。
風の精霊との会話の一端である。
「
「うおっ!? なんじゃこりゃあ!?」
サフィナの詠唱と共に城塔の東窓から見える景色がぐにゃりと歪む。
そして遥か遠くの景色が見る間に間近まで迫ってきた。
「うわああああああっ!?」 藪が近づいてるぅー?!」
「落ち着け。風の精霊の助けを借りて大気を屈折させ遠方の景色を近くに見せているだけだ」
「ふぅー…できた…」
「うへ…すげえな魔術…」
元部下に説明しながらもキャスは城窓から身を乗り出しその遠方が映し出された景色を目を皿のようにして睨む。
「…ぷう!」
呪文を唱え終えて一息ついたサフィナもすぐに城窓から外を眺…めようとして、少し高さが足りずぴょんこと跳ねて小さな胸を窓の縁の上に乗せた。
「おー…よく見える…」
「けど東からっつーのはちょっと意外だったっすね。俺はてっきり西の方かと…」
以前村を襲った襲撃者達は村の西に陣取っていた。
村の防備に明らかに差があるならともかく、そうでないのにわざわざ村を回り込んで逆側から襲う意味は殆どない。
ならば彼らは西からやって来たはずだ。
そしてそれは以前ネッカの占術によって確認された。
襲撃者の本拠地は村の西方、
かつてのシャミルの故郷である。
ならばこそ、彼らは皆地底の連中の襲撃は西の方角から行われると思い込んでいたのだ。
「馬鹿者。よく思い出せ。我らに牙を剥く者は地底の連中だけか」
「え? あー…?!」
ライネスは暫し逡巡して…そして愕然として目を剥いた。
「王国軍ー!?」
「ふふん。元からそうではあるが、これで我らは晴れて逆賊だな」
「なんで楽しそうなんスか隊長ー!?」
妙に嬉しそうに唇をゆがめるキャスにライネスがツッコミを入れる。
「でも敵影だなんてそんなもんどこにも見えねえっすよ…?」
「「…いた!」」
「マジでか」
視覚に優れたエルフ族のサフィナとエルフの血を引くキャスがほぼ同時に叫ぶ。
「お馬さんに乗ってる…」
「騎士だな。うむ、紫の鎧が見える」
「紫焔騎士団!? 連中が来てんのか! ってこたあ…」
「ああ間違いない。敵の主力は秘書官トゥーヴの手の者だ…!」
予感が的中し、凄絶な笑みを浮かべるキャス。
ギスを拘束し、その後城から放逐したと思しき相手。
そしてもしやしたら
アルザス王国と袂を分かった彼女ではあるが、己の親友とかつて忠誠を誓った国に仇なすやもしれぬ相手が迫りつつあると知り、黒い喜びに唇をねじ曲げた。
「…キャス、こわい」
「む、そうか?」
そしてサフィナの言葉に我に返る。
「いやしかし便利なものだな魔具というものは。まさか見張り塔より先に居館から警戒の角笛が鳴り響くとは…」
「まったくっスよ。これじゃあなんのために俺らが上で張ってんだが…」
「馬鹿者」
愚痴をこぼすライネスをキャスがぴしゃりと窘める。
「あの魔具とて万能ではないのだ。複数の手段で警戒してはじめて万全たり得ることを忘れるな。ゆめ気を抜かんことだ」
「うへ、藪蛇」
首をすくめるライネス。
「ライネスー! おおいライネス!」
そんな下から声をかけるものがいた。
「レオナル!」
見張り塔の下にライネスといつもつるんでいる元翡翠騎士団の騎士、レオナルが息を切らしながら到着した。
「交代の時間だ! お前ひとっ走りして他の塔の連中に…って隊長!?」
「だから何度も間違うな。今のお前らの隊長はエモニモだろうが」
嘆息したキャスは、だがすぐに気を引き締め表情を改める。
「ともかく敵は見極めた! ライネス! 角笛を警戒から襲撃に変えて吹き鳴らせ! さらに避難マニュアルを発動する! 迎え入れの準備を急げ!」
「「ハイ!」」
× × ×
「それいそげやれいそげ」
「もぉ~全力でやってますぅぅ~~~~」
そんな会話を交わしながら馬車がかなりの速度で森の道を突っ走る。
それも一台ではない。
幾台ものアーリンツ商会の馬車が森の中を疾駆していた。
「到着到着ー!」
森の中のクラスク村に馬車が走り込み、同時に狼獣人のグロイールが急ぎ馬車から飛び降りる。
「みぃ~~~~なぁ~~~~~さぁぁぁぁ~~~~~~ん」
そして御者台に座っていた牛獣人ブリヴが大声で呼びかけようとして…
「おっせえ! 」
「むぎゅぅ」
そして虎獣人のイヴィッタソ・ヨアに頭をこづかれた。
「おおいテメエら! 襲撃だ! 敵が来た! ここもいつ連中が来るかわっからねえ! すぐに城の方に避難すっぞ!」
ヨアの大喝に蜂蜜商品を造っていた最中の村娘達は飛び上がり、急ぎ馬車に乗り込んでゆく。
「みゅみゃ! 作業は中止! 中止お願いするでございます! 避難! 避難をお願いするでございます! みゅみゃ!」
兎獣人ミュミアが村中を駆けずり廻りながら声を上げ、同時に手にした黒板に何やらチェックをつけてゆく。
「ほぉーらぁー! 荷物とか纏めてるじかんないってーの! とにかく避難が先! 最優先でー!」
そしてそれは狼獣人グロイールも同様であった。
「うおっとぉ!?」
「みゅみゃあ!」
村中をかけ回った二人は村の広場でばったりと鉢合わせする。
「こっちは一通り見て回ったぜ!」
「みゅみゃ! こっちは全部終わったでございます!」
ば、と互いの手にした黒板を見せ合う二人。
そこにはこの村在住者の一覧が記されており、二人は声をかけ馬車に入った者にチェックを入れていたのだ。
「この人とこの人と…あとはー…」
「みゅみゃ! ホロルさんがいらっしゃらないでございますです!」
「おー? 呼んだかー?」
「うわあ?!」
「みゅみゃああああああああっ!?」
突然声をかけられびくりと身を竦ませる二人。
森の中からのそりと現れたホロルが獣人達の背後から声をかけたのだ。
「いや悪い悪い。ホレあのまじない師が石材作る時にしきり板大量に作ってただろ? あれのせいで結構木を切っちまってさ。だからミエ様の言ってたショクリン? ってのを試してみようかと物色をね…で、どした?」
「そそそうだったそんな場合じゃないんだって! 戦だ! ここも戦場になるかもしれないんだ! 急いで城に避難を!」
「みゅみゃ! そうでございますです! お急ぎくださいませ!」
「おおそりゃヤバいな。わかったすぐに行く」
肩に斧を担いだままホロルがどたどたと馬車に乗り込み、最後にもう一度全員馬車に乗り込んだかどうあ黒板で手早くチェック、その後獣人達も急ぎ馬車に飛び乗って、ブリヴをはじめとする御者たちが一斉に馬に鞭を入れ村を後にした。
戦争の足音が…間近に迫っていた。
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