第279話 ミエちゃん

「へぇー! へぇー! これがオークのお祭り! こりゃすごいね!」


観客席から身を乗り出して熱心に応援している女性がいる。


「あちょっとお客様! お客様ー!」


村の娘が制止の声をかけるが一歩遅い。

むしろその娘は熱の入れ過ぎでロープを乗り越えオーク達のところまで歩いて行ってしまった。


村のオークどもと異なり、この祭りに参加している他部族のオーク達は未だにオーク族の厄介な習性を色濃く残したままだ。

その中には当然女性を略奪し、凌辱する、という悪癖も含まれる。


石運びの人足を確保するためのクラスクの起死回生のアイデアではあったが、当然そこにはそういったリスクが潜んでいた。

しかも今は祭りの熱狂で興奮状態にある。

そこに女性を解き放つなど狼の群れの中に餌を放り込むのと同義なのだ。

それを防ぐために縄で観客とオーク達を仕切っていたというのに、これではクラスクとミエの努力が全て水泡に帰しかねない。


「ほー、へー、ふぅーん」


女性は村の者ではないようだった。

全身よく鍛えられていて、腹筋が見事に割れている。

筋肉質の女性というとこの村ではゲルダが特に目立つけれど、彼女の場合巨人族の血を引いているため元々筋肉質であり、それを実戦でさらに研ぎ澄ませたような肉体である。


だが今オーク達の群れに飛び込んだ娘はそれとはいささか違う。

まず人間族であり、背は女性としてはやや高めながらもオーク族よりはだいぶ低い。

元々普通の身体だったものを鍛錬と訓練で鍛え上げ後天的に筋肉を肉体である。


腹筋を見せつけつつ後ろ手しながら自分達の間を闊歩する女を見てオーク共が目を丸くする。

けれど不思議と彼女に襲い掛かったり攫おうとしたりする輩は現れなかった。

彼女の張りつめた肉体が、気軽そうな雰囲気でありながら纏わせている戦場の中のような空気が、オーク達をして彼女をと認識させなかったのだ。


(誰だろあのひと…? うちの村の人じゃないよね…?)


壇上で彼女の様子を眺めながらミエが心配そうに眉をひそめる。

ただなんにせよオーク達がその娘が要因となって暴動を起こしたりする様子はなさそうで、ミエはほっと胸を撫で下ろした。

クラスクのアイデアは確かに村にとって起死回生となり得るが、同時にこの村がこれまで丹念に積み上げてきた村の成果を破綻させ台無しにするリスクも孕んでいるのである。


「これミエ、少しは休憩せい」

「あ、シャミルさん。でも私まだまだやれますけど…?」

「じゃが解説しようにもオーク共の方が昼食のようじゃ」

「ああ…」


言われてみるとオーク達が部族ごとに固まって食事を摂っている。

配って歩いているのはこの村の村娘達だ。

皆この地方の民族衣装を纏っており化粧も相まってなかなかに美しい。


他の村のオーク達も娘達の姿に皆目を奪われているようだ。

ただ彼女たちがうっかり襲われないようにと、この村のオーク達が護衛としてついて歩いていたが。


「おー…それと呪文の持続時間…次に使うのもうちょっと待ってて…」

「そういえばそういうのもありましたねー…」

「というわけでお主もとっとと昼餉を取ってくるがよい」


シャミルにどんと背中を押され、石段の上をととと、とよろめくミエ。

結構な高さである。

ここから落ちたら怪我では済まないかもしれない。


「もー危ないじゃないですか!」

「すまんすまん。ともあれオークどもの様子はわしらが見ておるから行ってこい」

「おー…見てる…じいー……」

「それじゃあせっかくですしお願いしちゃいましょうか」


ミエはシャミルとサフィナに頭を下げるととんとんとんと石段を降り、地上へとたどり着いた。

そして村人たちの歓呼に手を上げて応えると、そのままとてててとオーク達の群れに足を向ける。


「ええっと旦那様旦那様…」


せっかくなので夫と昼餉を共にしようかと思ったけれど、彼は他の部族の族長達と酒を酌み交わしながら豪快に笑っていた。

他部族の長と親交を深めるのは非常に重要な仕事である。

ミエは妻として挨拶をしておこうと思ったが、なんとなく今は女が立ち入れる雰囲気ではないような気がして後に回すことにした。


「じゃあどうしましょうか…さっきの女の人を探すとか…?」


きょろきょろとあたりを見回すと、ちょうどクラスク村のオーク達の一角らしく、彼らが食事をしながら腕を高々と挙げてミエを迎える。

ミエが片手を挙げて挨拶を返すと、怒号にも似た大きな声援が湧き上がった。


彼らの傍らにはその妻たちがいる。

前紐で縛った胴衣に簡素なブラウス、チェックのスカートにエプロン。

ドイツのディアンドルに似たその民族衣装は服飾職人のエッゴティラ特製のおそろいで、この競技会場の中でもだいぶ目立っていた。


「あんたぁ、おつかれさまぁー」


酒場『オーク亭』の名物女将、小人族フィダスのトニアもまたちんまりとした民族衣装に着替えて亭主たるクハソークの隣にいた。


「午前の石運び一着だったのぉー。おめでとうございますぅー」

「ウム」


なんとも嬉しそうに顔をほにゃっとさせて、小さなトニアがオーク族の中でも大柄な亭主に祝辞を述べる。

ちなみに酒場は夜からが本番なの今日の昼間は店を閉めているようだ。


「お昼を食べてぇ、午後も頑張って下さいねえぇー」

「アア」


酒場の店主の割にずいぶんと寡黙なクハソークが鷹揚に頷く。


「それじゃだんなさま……うんしょ、うんしょ、はい、あーん♪」


特製の弁当の焼肉をフォークで突き刺し、背伸びをして膝を立て、膝立ち歩きで近寄りながら夫の口元に届けようとする。

その有様が愛らしすぎて周囲からおお…と羨望のどよめきが漏れた。



…彼女達のような仲睦まじい夫婦もこの村に少なくないが、全員が全員そうだというわけでもない。

村の方針だからと、また鎖で繋がれ拘束された生活から逃れられるからという理由で消極的に賛同している女性もまだ残っているのだ。

トニア夫妻の仲の良さは、彼女がこの村で女性の人権や尊厳に関わるような不当かつ非道な扱いを一度も受けていないからこそ、という理由もあるのである。


とはいえ全体的にオークと異種族の妻たちの関係は険悪なものはなく、夫を立てる者、夫の尻を叩く者など、程度の差こそあれ比較的良好な関係を構築できているように見える。

他部族のオーク達は皆羨ましそうにこの一角を眺めており、この村の方式に対するなかなかの宣伝効果となっているようだ。


また村の方を見れば、オーク達と観衆を区切ったその中間に屋台が軒を連ねており、競技で上位に入ったオーク共がそこで報酬の肉串にありついて舌鼓を打っている。


なにせ果物や蜂蜜や塩、それに南から輸入している香辛料をふんだんに使った村の酒場の料理長・トニア特製のソースが使用されている。

ただ肉を焼いたものを喰うのとは味が段違いなのだ。


さらに目を引くのが他部族のオークの若者達である。

彼らはまだ若手ゆえなかなか競技で上位入賞こそままならないようだったが、当たり前のような顔で屋台で肉串をあがない頬張っていた。

各部族の若いオーク達は最近この村に出向して村の仕事を手伝う傍ら小遣いなどをもらっており、年上のオーク達より貨幣経済に慣れている。


自分達が必死に競技で活躍し手に入れた肉串を、小さな貨幣数枚で手にする若きオーク達に年配のオークどもは驚愕し、どうすればそれが手に入るのかとオークの若者達に話しかけていた。

どうやら今日は他部族のオーク達に貨幣経済の浸透を図るにもなかなかいい機会のようである。


「午後の部もあるし…じゃあどこかで適当にお昼摂っちゃおうかな…」


意外なところで見ることができたこの村の影響に満足したミエが、腰に手を当ててそう呟いたところで…

彼女に、声をかける者がいた。





「あ、あれミエちゃんじゃない?」

「そうかな…? そうかも…」

「おーい、ミエちゃーん!」


名前を呼ばれたミエは反射的に「なあにー?」とやや子供っぽい口調で返事をした後でびしりと硬直した。





「……ちゃん?」





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