第269話 閑話休題 ~膝枕革命~

「膝枕ぁ…?」


宿屋の女主人クエルタは腰に手を当てて眉根をひそめた。


「…そういやうちの旦那にしたことないねえ」


無論膝枕自体は知っている。

知ってはいるがこれまでそういう事をした事はない。


なにせ元は略奪者と虜囚の関係で、しかも女性側は性的被害者でもある。

そんな相手とよくもまあ夫婦になれなどといえたものだとかつての彼女は思ったものだ。


ただ今となってみればこの関係が別に苦なわけでも嫌なわけではない。

いざ相手を認めるとなった時、オーク達はきっぱりと己の評価を覆す。

酒が上手く作れること、食事や育児をちゃんとしてくれること。家から激励して送り出してくれること。


女を支配するより認め合い仲良くした方がだと理解した彼らは、女性達をとても大切にするようになった。

それこそ並の人間族以上に、である。


なにせこの世界は戦乱が絶えぬ。

人型生物同士のいざこざすら消えていない上に彼らと生活環境が決定的に噛み合わぬ魔族共も跳梁しているし、地底から邪悪な種族が湧いて出る危険すらある世界である。


こうした世界、そうした時代に於いて戦闘力というのは非常に大きなファクターであり、そして往々にして女性より男性の方が筋力量や体格の問題で戦いに於いて有利である。

女性の場合妊娠や出産で戦線から離脱しやすいというのも問題だ。


結果として多くの種族において戦いに長じた男性が優位に立ち回る社会となることが多く、それは特に人間族に於いて顕著だった。

流石にオーク達のように壁に鎖でつないで隷属させる、といったことまではやらないにしても、女性に対する差別的な思想、言動、扱いはごく当たり前に偏在している。


…が、今のこの村にはそれがない。

オーク達が裏表のない性格なのと、率直な性格のため相手の美徳を認めることに躊躇いがない点がこの場合上手く作用した。

また貨幣経済を浸透させたことでオーク達の間に単に力が強い、戦いで強い以外にも『金を稼げる=強い』のような概念が広まり、これも働く女性の多いこの村で上手く働いた。


実際クエルタは宿屋を経営しているお陰で稼ぎも亭主を上回っており、ゆえに家庭内での立場もだいぶ強くなっていた。


それもこれもクラスクとミエがオーク達を教育し、また女性達の職をしっかり作ってくれた成果であり、彼女もそこのところは重々承知していたし、感謝もしていた。


…要はこの村は女性が非常に暮らしやすいのである。


「膝枕、膝枕…う~んちょっとイメージしづらいねえ」


少々話が逸れたがオーク族は女性を大事にするようになった。

なったけれど、以前とあまり変わらぬものがある。

それが夜の営みだ。


こればっかりは経験の差が物を言う。

そしてオーク族は種族的にそうした行為が得意であるという有利条件もある。

ゆえに女性達の殆どはこと夜戦に於いてオーク達にいいように蹂躙されてしまっていたのだ。


こういう時オーク達の方針は常に攻めである。

恐るべき攻撃力で女性達を襲い、圧倒的快楽で屈服させる。

かつては女性達にとって屈辱でしかなかったそのやり口も、夫婦となってからは男が確実に優位に立てる(…それでいて女性も別に嫌ではない)、夫婦仲を保つための潤滑油のような役割を持つようになっていた。


…のはいいのだが、そうした関係性のお陰でオーク族の夫婦には決定的に欠けているものが一つある。



男性側から女性への、である。



この村の夫婦像はそれを流布したミエの感覚で言えば夫婦共働きによる共助関係であり、互いに互いを認め合うことで成立する男女同権である。

相手に負けまいとする向上心の強いオーク族に広めるにはそうした関係性の方が向いていたからだ。

ゆえにオークの方から女性に甘える、といった関係性はこれまであまり広まっていなかったわけだ。


「まあそうだねえ…たまにはやってみようかしら。も使ってみたいし」


クエルタは詮方ないと溜息をつき、気持ちを切り替えて仕事に戻った。




×        ×        ×



「クィーヴフ!」

「? ナンダ?」


その晩…クエルタは旅館に備え付けられた己の寝室で夫の名を呼んだ。

かつてクラスクが村を改革をしようとした際、取り巻きだったラオクィク、リーパグ、ワッフ以外に最初に協力してくれた三人のオークの一人である。


「スルノカ」


クエルタはベッドに座り己の隣をぽんぽん、と叩いている。

てっきり妻からのお誘いと思ったクィーヴフはいそいそと服を脱ぎ始めた。


「違う違う、そうじゃないよ。おいで」

「違ウノカ? シナイノカ?」


よくわからないが言われるままに寝室に入り彼女の隣に腰を降ろす。


「そうじゃないけどとりあえず今は別のコ・ト」

「?」


クィーヴフはよく意味がわからぬまま首を捻る。

クエルタがよいしょとベッドの上でお尻を動かし少し彼と距離を取り、クィーヴフが追随するように隣に座り直す。


「ああ違う違うそうじゃない! あんたはそのまま!」

「? ?」


隣に座れと言っておきながら隣に座り直すと叱られる。

ますますもって理解ができずクィーヴフは混乱した。


「ほらいいから! こう!」


ぽむぽむ、と己の太ももと叩くクエルタ。

なおも意味がわからず怪訝そうなクィーヴフの肩を掴んだ彼女は、そのまま彼を横倒しにして己の腿の上に乗せた。


「ッ!?」

「ほらじっとしてな。今日はアタシが耳かきしてやるから」


頬に伝わる太ももの感触に目を大きく見開いたまま硬直するクィーヴフ。

相手が動かぬことをいいことに、クエルタは夫の耳に息を吹きかけ耳かき棒をそっと差し込み中から耳垢を掻きだしてゆく。


「ウオ、オオオ…オオオオオオ…!」

「やっぱこれ便利ね。いい買い物したわ」


ふともも、膝枕、そして耳掃除という未知の快感に打ち震えるクィーヴフと、耳かきの構造に感心するクエルタ。


村長夫人の肝いりによって村の職人が最近作り始めたそれは、先端が匙のようになっており、逆側には鶏の羽毛が取り付けられている。

この世界では耳かきは通常指か爪で行うことが主だったため、この耳かき棒は村人に珍しがられ、よく売れた。


「フー…ッ さ、今度は逆の耳も掃除してあげるから、ほらこっち向く」

「オオオ……オオオオオオオオオ……!!」


耳を木匙でコリコリと刺激され、羽根でこしょこしょとくすぐられ、息を吹きかけられて細かな垢を飛ばされて、クィーヴフは想像以上に快感に驚嘆した。

さらに今度は頭の向きを変えさせられて嫁の方に向きながら逆側の耳を掃除されるのだ。


だがこの時彼は興奮と高揚と同時に別のものを感じた。

…安らぎである。


誰かに己の体を丸ごと預ける、依存する、そうしたことによる安堵と安心が、クィーヴフの体から徐々に力を抜き、弛緩させてゆく。


「フ…ッ! よぉーしこっちも終わり! どうするアンタ? このまま…」

「モウスコシ、コノママ…」

「…そうかい」


クエルタはこのまま彼が大好きな(彼女としても満更ではない)夜の営みでもするのかと思って声をかけたのだが、どうやら夫の望みは違うらしい。


「やれやれ、今日は随分と甘えん坊だねえ」


どこか優しく微笑んだ彼女は…目を細め、己の太ももの上で陶然としている夫の頭を優しく撫でつけた。




×        ×        ×




「あのー…旦那様?」


同日、クラスク家。


「ナンダ」

「この格好……なんか無理がありません?」

「イヤダ。これガイイ」

「旦那様がいいと仰るなら別にいいんですけど…」


子供達がすっかり寝静まった夫婦の寝室。

そのベッドの上に、ミエとキャスとクラスクの三人がいた。


ミエとキャスはそれぞれ隣り合って正座し、その太ももの上にクラスクが頭を乗せている。

要は二人の膝を枕に見立て、ベッドの上で大の字になっているわけだ。


「食べル!」

「いやクラスク殿、あまり夜食は体に…」

「食べル!」

「……わかった」

「もぐもぐ…ウマイ!」


そして料理を盛った皿を手にした二人に手ずから料理を運んでもらい、美味しそうに平らげてゆく。


「旦那様ー…? お夜食もですけど寝ながら食べるのはちょっと…」

「食べル!」

「もー…こういうところは子供なんですからあー」


どうやら村長殿は先日ミエがネッカにしてあげた膝枕とあーんのコンボが相当羨ましかったらしく、こうしてことあるごとに妻に要求しているようだ。





膝枕と耳かきがこの村のオーク達の大ブームになり、その後その文化が外の村や街に伝播してゆくのは…それからもう少し後の話である。





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