第197話 高練度

己を襲う不可視の短剣を空気の流れと直感でかわし、そのまま横の草むらに飛び込むキャス。

だがそれ以上の追撃はすぐには訪れなかった。


(どういうことだ…?)


キャスとクラスクが二手に分かれたのなら各個撃破のチャンスのはずである。

クラスクの方を標的にしたのだろうか。

だがそれにしては聞こえるはずの戦いの喧騒…がない。


というより先刻まで感じていた纏わりつくような、それでいて刺すような殺意が近くに感じられない。

むしろ少し遠ざかっているような気すらする。


(逃げたか? いや逃げるほど向こうに不利な戦況とも思えん。いや、そうか、成程。もしかすると…?)


先程の自分達の攻撃…それを防いだ相手の恐ろしく堅牢な体。

これまでの傾向から相手が精霊魔術を使うと仮定するなら、あれは〈土の鎧スゥルシ・プクシア〉の呪文と考えて間違いなかろうとキャスは結論した。


土の鎧スゥルシ・プクシア〉は、大地の精霊の助けを借りて体表に目に見えぬ堅牢な外皮を纏う呪文である。

その鎧が存在している間、魔法の武器以外の攻撃は常にダメージが軽減されてしまう。


数時間経過するか、或いはその呪文がダメージを一定量防ぐまで効果が持続するというなんとも強力で厄介な防御術である。

減らされるダメージ量は攻撃1回ごとに固定であり、威力の小さ目な攻撃を連続で繰り出すキャスのようなタイプはその殆どのダメージがシャットアウトされてしまう。

一方で一撃で大ダメージを与えるクラスクのようなタイプは、攻撃が当たりさえすれば軽減された上で残りのダメージを通すことが可能だ。


先刻の二人の攻撃…キャスの攻撃は完全に弾かれたが、おそらくクラスクの攻撃はその〈土の鎧スゥルシ・プクシア〉に軽減された上で、なお防ぎきれなかったダメージを与えてのけたのだ。

相手はそれに驚いて慌てて間合いを取ったのだろう。

そのせいで一瞬攻撃の手が止まったのだ。


会いに来いセウィ レウィール!!」


キャスは草叢を駆けながら咄嗟に叫ぶ。

オーク語なら相手に悟られまいと思ったからだ。


本来ならこういう場合オーク語であっても『集合ハーギクゥ!』などの方が適切な表現なのだろうが、キャスはその言葉をミエから学んでいなかったため、知っている単語をなんとか伝わるように組み合わせたのだ。


了解オッキー!」


遠くからクラスクの叫びが届く。

二人は速度を緩めることなく、なんとか距離を詰めようとする。


(クラスク殿の足音は…これか!)


胸の高さほどの草原に身を隠すように、大きく前傾姿勢となって疾走しつつ敵の放つ光弾を避ける。

姿の見えぬ相手の魔術の攻撃起点と僅かな足音からその場所を推測し、的を絞らせぬよう右に左に身を振りながら草の原を駆け抜ける。


だがこの高機動は長時間続けられない。

キャスは現在ミスリルの板金鎧プレートメイルを纏っている。

この鎧の強度と堅牢さ今日も幾度も助けられてはいるけれど、同時に金属の鎧を着たままいつまでも無理は続けられない。


吹け! 弾け! 纏えシャウ メイハス アッザスブ!」


キャスの詠唱と共にその右掌に目に見えぬ風が収束し、それが彼女の剣刃に纏わりついてゆく。


「〈風巻ギュー・サイプティア〉!」


刃からぶぅん…という音が響き、彼女の持つ剣を中心に風が渦巻いた。

武器に風の魔力を宿す付与系統の強化呪文である。


(これで私の攻撃も効くようになるは、ず…!?)


唐突に声が響いた。

それは精霊たちに語り掛け…いや命じ使役するための呪言。

耳に届く詠唱をにキャスは背筋を凍らせた。


撃て! 放て! 叩きのめせ!セップ クゥプル クプル!」

(まずい! 間に合うか…っ!?)


敵の呪文の詠唱が聞こえる方角から向かって垂直に、つまり相手から見て横方向に全力で走る。

鎧が少し重いが文句を言っていられる状況ではない。


「〈風射弾キャンモブ・クライム〉!」


強圧的なと共に、術師が用意していたであろう無数の矢が超高速で放たれた。


風射弾キャンモブ・クライム〉は術者の魔力に応じた数の小型の射出物…石やダーツや矢など…を大量に射出する呪文である。

直接魔力でダメージを与える通常の攻撃魔術とに比べ弾を用意しなければならない手間があり、また完全な物理攻撃のため鎧に弾かれる恐れがある一方、その威力は通常の投石や弓射の比ではなく、まともに当たれば人体に風穴が空くほどであり、また物理的な弾丸のためあらかじめ手を加えておくことができるのが大きな特徴だ。

今回の相手が使ってくる矢にはすべて毒が塗られていると考えて間違いないだろう。


弓ではなく魔術によって放たれた無数の矢が、それこそ機関銃が如き速度と勢いでキャスが一瞬前までいた空間を貫いた。

キャスの脚力がその致命の散弾をギリギリで避けてのける。

だが…その矢の雨は、あろうことかゆっくりとその角度を変え、逃げるキャスの背を空間を薙ぎ払うように追いかけてきた。

まるで機銃掃射の如しである。


追いつかれたらその矢の嵐に巻き込まれる。

ミスリルプレートの護りは堅牢で、その攻撃の多くを防いではくれるだろう。

だが喩え一発でもその矢を受けてしまえば、痛みや毒で機動力を奪われる。

キャスにとってそれは継戦能力を失うということであり、この戦況に於いては同時に死とほぼ同義だ。


キャスの背にじりじりと迫る矢の濁流。

だが逃げきれぬと思えたまさにその、キャスはあろうことか片足で前方の地面を蹴ってきびすを返し、自らその矢の雨の中に飛び込んだ。


「ッ!?」

「〈解き放てエイリアマス〉!」


手にした剣で矢の雨の端をキャスは、その隙間に己をねじ込むと同時に合言葉ギネムウィルを唱え自らの剣が纏っていた魔力を解き放つ。

凄まじい爆風が彼女が手にした剣から指向性を伴って吹き放たれ、襲い来る矢の雨を運ぶ風の暴威と一瞬拮抗した。


その隙に矢の散弾が向かうのとは逆方向に全力で走り抜けたキャスは、そのまま急角度で向きを変え、その嵐風が放たれた方向へと全力で走る。

風射弾キャンモブ・クライム〉はその攻撃範囲を横方向にずらし前方を薙ぎ払うように攻撃することが可能だが、傾けられるのは最初に決定した一方向のみだだ。

まさかにあの矢の散弾を突破して逆方向から攻めてくるなど完全に予想の外だろう。


キャスが到達する前に相手の呪文が途切れ、急ぎ距離を取らんとする足音が聞こえた。

姿が見えぬまま、けれど走り去る足音からその位置を鋭敏な聴覚で察し、その辺りに場所に剣撃で全力の刺突を入れる。


ッ!」


がいん、という音と共に刺突が弾かれ、キャスの腕に鈍い痛みが走った。

土の鎧スゥルシ・プクシア〉が未だ健在な証である。


(しまった…術をしていたのを失念していた。だがあの鎧のは多少削ったはず…)


右手を抑え、荒く息をつくキャス。


キャスが先刻使用した〈風巻ギュー・サイプティア〉の呪文は荒巻く風を剣に纏わせる初歩的な付与魔術の一種で、これにより武器が一定時間魔法の武器扱いとなり、また風の加護で飛び道具などを打ち払う際に有利な補正を得られる。


さらにこの呪文は合言葉ギネムウィルを唱えることでその魔力を一気に解放し、強力な突風を発生させる、という固有の追加効果を持っているのだ。


この効果を使用すると呪文の残り時間に関わらず術が切れてしまうし、そのせいで一回しか使用できないが、人間の戦士程度ならその風圧で押し返すことができる。

非力なエルフ族にとっては使い勝手のいい呪文と言えるだろう。


要はキャスは相手の高火力呪文を比較的初歩の魔術で凌ぎ切ったわけで、局地的に考えれば戦術的優位を奪った事になる。

だが身を守るためとはいえ、今後の戦いを有益にするために唱えた付与魔術を唱えた直後に失ってしまった。

元々騎士が本分であり多くの魔術を扱えぬキャスにとって、それは少なからぬ痛手と言える。


ただ収穫もあった。

相手の魔力のである。


先刻までの相手の魔術は全て無音で放たれていた。

おそらくスキル≪詠唱補正≫の効果であろう。


≪詠唱補正≫は魔術行使能力を持つクラスのみが修得可能な特殊スキルであり、呪文を唱える際に必要な所作を省略するスキルである。


呪文はただムニャムニャと唱えるだけで効果を発揮するわけではない。

魔術行使には身振り手振りなどの『動作要素』、声に出して唱える『詠唱要素』、触媒などを消費する『触媒要素』、杖なで精神集中を補強する『集中要素』、魔法の鏡や魔法陣といった『構築要素』などの要素があり、呪文によってその一部もしくは全てが要求される。


≪詠唱補正≫とは、レベルが上がるにつれ呪文行使時の音声・動作・触媒といった一部の要素を省略できるようになる便利なスキルだ。


今回敵が使っていたのはその内の≪詠唱補正(音声省略)≫と考えていいだろう。

通常ならさほど意味のない効果だが、例えば〈静寂イスヴィコク〉の呪文によって声が封じられている時や、あるいは今回のように姿を消しているのに詠唱によって居場所がばれてしまうような状況の時は、音声要素を無視できるメリットは計り知れない。


ただし、当然ながら制約なしにそれらを無視できるわけではない。

省略する1つの所作につきより高いランクで魔術を覚えたり、より多くの魔力を消費する必要があるのだ。


先刻使用した〈風射弾キャンモブ・クライム〉などは、詠唱を省略して不意打ちで放てば或いはキャスを撃ちとれたかもしれない。


だが相手はそれをしなかった…いや

それはつまりあの呪文をそれ以上高いランクで唱えられなかったからに他ならない。


(ともあれ相手の底が割れたのは収穫だな。一刻も早く合流を…っ!?)


その時…音もなく迫った不可視の刃が、彼女の背中に襲いかかった。




攻撃の瞬間、大気を切り裂く切っ先を感じるその瞬間まで、彼女はその攻撃を察知できなかった。


盗賊か、あるいは暗殺者なのか。

いずれにせよその高い隠密機動にキャスは驚愕し、戦慄する。


底が見えたとはいえこちらより遥かに高度な魔術を用い、

その上でエルフ族の知覚すら欺くレベルの高い盗賊技術を備えているとするならば…




その相手は自分…いやクラスクさえも上回る強さの相手、ということになる。




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