第176話 クラスク村護衛隊
「ささ、それじゃあとっとと馬車に積んじゃうニャン」
「積む? 積むって何を?」
階段を下りながらアーリが機嫌良さそうに告げ、どこか夢心地の二人を現実に引き戻す。
「そりゃあもううちの店って言ったら試供品ニャン! さ、さ、ほらこっち、こっちニャ!」
言われるがまま一階に降り、そのまま従業員専用の入り口から店内に入り込んだアーリが中から木箱を幾つも運んでくる。
「こっちがお酒とお酒、こっちが蜂蜜と蜂蜜関連商品、でこっちが化粧品ニャ。今回はいいハンドクリームができてニャー」
「え、ちょ、ちょっと待ってください。これは…その、えーっと…?」
「だからお試しで使ってもらうためのサンプルニャ。商品の質がわかれば購買意欲がそそられるニャン? それの商人販促用一式ニャ」
「ええっと…これ全部…?!」
「ニャ! 好きに使っていいニャ。ニャんだったらそのまま売っぱらってもらってもいいニャ?」
あんぐりと口を開ける二人。
出血大サービスどころの話ではない。
ここにある商品を上手く王侯貴族に売り捌ければそれだけでひと財産になりかねない。
それを全部試供品と称して無料で渡してくるのだ。
二人が目を剥くのは当然と言えよう。
…アーリンツ商会とのその後の取引を一切考えなければ、の話ではあるが。
「ほれ持って持って。まだ後がつかえてるニャ」
「いやちょっと待ってくれ…俺も?」
当たり前のように同じ中身の箱を渡され、フレヴトが困惑する。
「ニャ? 今回の仕入れが終わったら店に戻って支店の大掃除をするんじゃニャイのかニャ?」
正鵠を射られ、箱を渡されたまま硬直してしまうフレヴト。
つい先刻、喩えそれがどんな困難なことであっても、支店長どもが既得権益を守るためにあらゆる妨害をしてきたとしても、何年かかってもそれを完遂する覚悟をしていたところだったのだ。
「もっと儲かるモノがあるニャら説得もしやすいニャン? ほら持った持ったニャ」
そう言いながらフレヴトに追加の箱を押し付けるアーリ。
確かに代替となる商品の実物を見せられるのは大きい。
それが『はちみつオーク』の品ともなれば説得の難易度は大幅に下げられるだろう。
「…御助力感謝する」
「何の話か知らニャいニャン。アーリは単にうちに取引を持ち掛けてきた商人にサンプル用の試供品を渡してるだけニャ」
口でそんなことを言っているが、フレヴトには彼女の意図がよくわかっていた。
彼女は暗にお前が商会の膿を出し切って、晴れて自分の店と契約が結べるようになった後、再度審査を受けに来い、と言っているのだ。
そしてその為にこの試供品を武器として使えと、そちらの商会と取引をする際の窓口にはお前がなれと発破をかけているのである。
「ふー…これで全部積み終わったニャ。それじゃ今度こそ失礼するニャ」
片手を上げ、尻尾を頭上でふりふりと揺らしながらアーリが階段を登ってゆく。
二人は深々と頭を下げてそれを見送った。
「…隣の店に行くか」
「だな」
あまりに色々なことがあり過ぎてすっかり麻痺していた二人は、夜になってもまだ灯りの付いている隣の建物に入る。
扉の上には看板が建てかけられていており、『クラスク村護衛隊』と共通語で記されていた。
「いらっしゃい。随分と遅いね。急ぎの出立かい? それとも明日?」
「あ、ああ。出発は明日なんだ…が…」
「アーリンツ商会の商会、で…」
二人は用件を告げながら店主らしき娘を見て…見上げて…顔をぐぐいと上に傾けてようやく最後まで言い終えた。
女性である。
ただ少々背が高い。
カウンター越しにのそり、と身を起こしたその娘の背丈は彼らを優に超え、2m近くもある。
顔の造作は比較的人間族に近いが口元から牙に似た犬歯を覗かせていた。
明らかに巨人族の血を引く娘である。
女性が店長、巨人族、それだけでも十分驚くべきことの筈なのに…二人は全く別の方向に感嘆していた。
「お、お、おお…」
「なんと、美しい…」
フレヴトが思わず本音を口にしてしまう。
そう…彼女は美しかったのだ。
通常巨人族が美しいことはあり得ない。
それは彼らの外見がオーク族のように醜いから、というわけではない。
巨人族は主に丘や森、或いは山の中などでよく言えば朴訥、悪く言えば粗野で原始的な生活をしている。
それゆえに彼らは髪を梳かさず、化粧をせず、ぼさぼさの頭、垢だらけの体に獣の皮を纏っただけ、といった格好をしていることが多い。
巨人族そのものでなく、彼らの血を引く半巨人などが不幸にも稀に生まれ、人里で暮らしていることもあるが、そういう者は今度は差別や迫害の対象となりやすく、生活は困窮し、やはり身だしなみを気にする余裕のある者は殆どいない。
だから彼らはその日初めて見たのだ。
綺麗に着飾って、髪を整え、そして薄く化粧を施した巨人族の娘の本当の美しさというものを。
まあ彼女の場合着飾っていても節々の筋肉が服の下から自己主張していたし、整えた上でそれでも強い癖毛がところどころ飛び跳ねてはいたけれど。
「ハハ。お世辞でも嬉しいねえ。アタシはこの店の店主ゲルダってもんだ。ただ口説くんなら気合入れときなよ。一応こんなでもオーク族の女だからね」
「……………っ!!」
ニヤリと笑ったその娘…ゲルダは、例の黒板に書かれたメニューを手渡す。
「うちの護衛は四人か六人で一組だ。どの方向に行っても隣街までなら値段は一緒さ。そっから先まで連れてきたいなら別だがね。今ならまだ予約が埋まってないからだいぶお得だぜ」
「「安…っ!?」」
護衛隊の価格を見て思わず叫んでしまう二人。
街で傭兵たちを雇うより格段に安い。
安すぎて逆に不安になるレベルである。
「これは…その、信用できるのか?」
「腕前がってことかい? オーク族を強いと思うならまあ信用していいんじゃないか」
「オーク…? ここの護衛ってオークなのか!?」
口をあんぐりと開けて驚愕する二人。
「なんだい? 知らないで来たのかい? ここはオーク護衛隊の店だよ」
「い、いやしかし…オークに護衛など務まるものなのか…?」
「そこらへんはうちの店を信用してもらうしかないねえ。ただうちのオークどもはみんな腕は立つし斧だけじゃなくて剣も使える、馬にも乗れる。それに全員共通語も話せるから意志の疎通も問題ない。他部族のオークどもに襲われてもオーク語で折衝できる護衛が付いてるのはかなり心強いと思わないかい?」
「そ、それは確かに…」
「ああ、もしかして安すぎるのを気にしてんのかい? あー、これ書いとくべきかなあ。これオーク共の酒と食料は別料金なんだ。要は連中の飯代はそっち持ちってこと。オーク達は酒が好きだし飯も結構喰うからねえ。安いつってもそれ込みならそこまで格安じゃあないと思うぜ」
「成程…確かに食事込みなら…」
ただそれでも値段的にはだいぶお得そうに見える。
オークとはいえ護衛として雇うのだし共通語も使えるというなら試してみるのも悪くないかもしれない。
そもそもアーリンツ商会との商談でここを利用することは確定しているのだから。
「ちなみに野菜や肉はうちの左隣から向こうで一通り売ってるよ。酒はアーリんとこで買った方が安いだろ」
「わ、わかった。では我々二人で四人隊を雇おう。食料と酒は出発までには揃えておく」
「まいどー。じゃあなるべく共通語が上手い奴を見繕っとくよ」
「ああ、頼む」
一通り話をまとめた二人がどっと疲れた顔で宿屋に戻る。
…ちなみに野菜を売っている店もその他の食料を売っている店も、看板を出していないだけで全部アーリンツ商会の店舗である。
「いやしかしほんとに今日は色々あったな…」
「正直疲れたよ…」
「俺もだ」
宿のお互いの部屋の前までやってきて、二人は大きくため息を吐く。
興奮と混乱とで今夜は眠れそうにない。
「…そういえばフレヴト。立ち入ったことを聞いてもいいか」
「俺が拒否された理由だろ? 薬だよ。国が禁止してる奴さ。二支店ほど任されてる古株の店長が手を染めててなあ。俺は正直気に入らなかったんだが、金だけは本店に文句を言わせないレベルで収めてたもんだから俺も強くは言えなくてなあ」
「ああ…」
アーリンツ商会が噂や評判を気にしているのは今回の件でよくわかった。
提携先の店でそうした爆弾が爆発して連鎖して評判が下がるのを気にしているのだろうか。
それとも単に倫理的に受け付けないのだろうか。
「ともかく今回もらった試供品で本店の奴らを説得する。絶対やめさせる。こっちのが将来ずっと儲けになるってな」
「ああ、頑張れよ」
「言われなくても」
二人は互いに己の部屋に入り、倒れ込むようにベッドに飛び込んで…
そして脳裏に浮かぶ妙にノリのいいリズムを思わず口にしていた。
はちみつオーク♪
はちみつオーク♪
平和を愛するオークたち♪
無駄な争い好まない…♪
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