第158話 優れた回収法
「しかし中途半端な畑じゃのう」
棄民達が耕しかけた場所を見ながらシャミルが率直な感想を述べる。
「運んできた種籾の量が少なすぎるんじゃないですかね」
普通に考えて種まきから収穫までの間に相当な量の種籾やら肥料やらさらには彼らの食料やらが必要なはずなのだが、どうにも棄民達はそれらを十分に持たされた形跡がない。
仮に中途で野盗に奪われたにしてもあまりにも少なすぎる。
命令を下したのが相当な世間知らずでないとしたら、意図的な厄介払い、或いは遠回りな処刑としか解釈できないのである。
ミエは夫の憤怒の理由はもしかしたらそのあたりにもあるのかもしれないと感じた。
族長として人の上に立つ身である彼は、棄民達の扱いを見て、彼らに命令を下した者が為政者としての責務を果たしていないと感じたのではなかろうか。
「それじゃ。ミエ、連中もはや食料もなければ種籾もないじゃろう。どうするんじゃ、収穫したら返してもらう約束で貸し付けるか?」
「ニャン? アーリンツ商会に種もみが御入用かニャー?」
猫髭を撫でつけながらアーリがドヤ顔でポーズを決める。
頭の中ではすっかり大店の店主になった気分のようだ。
「種籾はもちろんアーリさんに用意して戴きますけど…貸し付けはしません」
「「は…?」」
ミエの言葉に二人の怪訝そうな声がハモった。
「貸さニャいならどうするつもりニャ?」
「えーっと…農業って収穫して初めて実入りが発生するわけですけど…そこに至るまでの日々の農作業も大切ですよね?」
「当たり前じゃろ」
「そりゃそうニャ」
「ならその日々の作業に対してお金を支払うことにしませんか? それなら彼らが今無一文でも農作業に従事できます」
そこまで聞いたところでシャミルがハッと驚愕の表情を浮かべ、ミエを凝視した。
「ミエ、お主…彼らを農民ではなく賃金労働者にしようというのか…!?」
「ニャ…ニャ…!?」
シャミルの真剣な表情にびっくりして二人の顔を交互に見比べたアーリは、まだ事の全容がよく飲み込めていないようだ。
「…どういうことニャ?」
「農民は収穫期に作物を収穫できる前提があってそれまでの日々の農作業を行うわけじゃ。収穫期の大量の収入を見込んどるわけじゃな」
「それはわかるニャ」
「ミエはその収穫期で得られる収入を小分けにして毎日分割で支払う、と言っておるわけじゃ。それは彼らに収穫前から収入をもたらす一方、収穫期の作物は彼らの手ではなくわしらが手にする、ということになる」
「ニャ…!?」
そう、収入がなく今日の食事にも事欠く彼らには、将来の麦の収穫を待っていられるだけの余裕がない。
その点ミエの方式なら日々の作業に対して報酬が発生するため収穫期まで彼らは飢えずに仕事を続けることができる。
けれどそれは収穫物で得られる収入のいわば前払いである。
賃金を事前に支払っている以上収穫物は賃金の支払い側に渡る事になるわけだ。
「それは同時に農地の所有権もわしらが有するということになる」
「えーっと…要はアーリ達が地主になって連中は小作人かニャ?」
「小作人とはちょっと違いますね。小作人は地代を払いますけど収入自体は収穫物から得ますから凶作では大損してしまいますけど、作業に対する賃金の支払いであれば収穫物の多寡は労働者には関係ありませんから。もちろん不作になって収入が減れば翌年以降の支払いに影響は出るかもですけど」
「ニャ…つまり給金ニャ! うちの店で仕事するのと一緒ニャ!」
「はい。ですから最終的には村のどこで働いていただいても構わないようにしたいです。農作業はあくまで今の職場と言うことで」
「ううむ…農業をそのように捉える発想はなかったのう…」
シャミルは腕を組んで呻くような声を上げる。
「ニャ、ところでそれってお金じゃないとダメなのかニャ? パンとかはダメかニャ?」
「ええ。賃金で支払うことによるメリットが四つほどありますから」
「そん
ニャに」
「…説明してくれるかの、ミエ」
「え~っと、でもそんな大した話じゃないですよ…?」
真剣な面持ちのシャミルを前に、ミエは頭を掻きながら説明を始める。
「第一に今言ったように彼らを仕事に対価を支払うことで雇用することができます。棄民の方たちはどうもあまり自信をお持ちでないようなので、慈善事業で養うのではなくこうした形式で雇った方が社会復帰しやすいかなと思って」
「成程…誰かに無理矢理命令されるのではなく、対等な契約であると意識させて自立を促す算段か」
シャミルの言葉に頷きつつ、彼女の物分かりの良さに舌を巻くミエ。
「第二にオークの皆さんにも一部農作業に従事してもらいたいんですが、その時彼らに作業のやり方やノウハウなどを伝授してほしいんですよね」
「…めっちゃ怖がらニャいか?」
「はい。ですのでオーク達に教えてくれる方には割増金を払います。賃金の場合そうした差額をつけやすいので」
「ニャるほど…」
ふむふむ、とミエの言葉を吟味するアーリ。
「それってオーク達への報酬も賃金で支払うのかニャ?」
「はい。それが第三の理由です。今後の事を考えてオークさん達に貨幣経済に一刻も早く慣れて欲しいんです。うちの村ではまだ物々交換が基本ですから」
「そんニャに上手く行くかニャー」
「物々交換とは言っても、今の村は襲撃を控えた分労働に対する対価として食べものやお酒を配給したりしてますから順応する素地は育ってると思うんですよね。なのでそこはあまり心配してません」
ミエの説明にふむふむと頷く二人。
「第四の理由は…回収の為です」
「「回収…?」」
「アーリさんの仰るように仕事に対してパンやお酒を直接渡すやり方だと正当な報酬だとしても全部こちらの持ち出しになっちゃうじゃないですか。でも同じ食べ物を手に入れるにしても渡すのがお金だった場合お店で買う必要がありますよね? そしてこの村には当分アーリさんのお店しか出店の予定がありません」
「「あ゛……!」」
ここに至って二人もようやく気付いた。
賃金を支払ってもその使い道が賃金を支払った側の店しかないのであれば、その金は確実に回収できる。
驚異の回収率100%である。
将来の麦の収穫分を前払いで払っているという名目でありながら、日々の支払い自体でも一切損失がない…どころかアーリが仕入れ値に気を配れば毎日利潤を得ながら賃金の支払いを続けることができるのだ。
「いいアイデアだと思いません?」
「いいアイデアというかなんというか…おぬしえっげつないこと考えるのう」
「商人ニャ…この子生粋の商売人ニャ…!」
「えっと商人はアーリさんなんですけど…?」
ミエとしては単に日々の賃金の支払いをなるべく損しない形で行いたかっただけなのだが、どうも今の方式が二人のツボに入ったらしい。
「してそれはなんという方式じゃ!」
「そうニャ。せっかくだから覚えておきたいニャ!」
「ふぇ? 方式? えー…?」
軽度の興奮状態でミエににじり寄ってくる二人。
気圧されてちょっと後ずさるミエ。
「方式って言ってもえーっと…こういうのなんて言うんでしたっけ…確かこう自画自賛、じゃなくってええっと…ああ、マッチポンプ、みたいな…?」
マッチポンプとは本来隠れてマッチで火をつけた後、人前で水をかけて消火することで他者から称賛を集める自作自演を意味し、転じてそうした手法で自ら利益を得るような行為全般を指す和声外来語である。
ちなみに和製英語ではない。
ポンプはオランダ語だからだ。
用法からわかる通り本来は批判的なニュアンスを含む言葉であり、あまりよろしい意味で使われているとは言い難い。
だが…
「なるほど! マッチポンプと言うのか覚えておこう!」
「ニャ! 勉強になったニャ!」
「え? あの…?」
なにか勘違いしたらしき二人は、それをすっかり経済手法の一つとして覚えてしまったようだ。
「すごいニャミエは! まさにマッチポンプの達人ニャ!」
「ウム、これは見事なマッチポンプと言わざるをえまい!」
「ぜんぜんうれしくないんですけどー!?」
その後…『優れた回収法』を意味するマッチポンプなる謎の用語がこの世界の経済学の書物や商人達の訓戒の中に散見するようになり…
異なる世界から来た者達に混乱を来たすことになるのだが、それはまた別の話である。
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