第153話 翡翠騎士団入隊

「とにかく半分黒エルフブレイだからってあいつはなんにも悪くない! 牢屋なんかに入れられたらアイツが参っちまう。ずっと瘴気を浴びてて身体も丈夫じゃないし…」

「瘴気? ちょっと待ってくれ。それはどういうことかね」


キャスの言葉に眉を顰めた翡翠騎士団団長ヴェヨールが、彼女に詳しい事情を尋ねる。


「あいつは…あいつはずっと魔族に飼われてたんだ。瘴気の中で体を壊して…黒エルフブレイの糞親父に捨てられたから教育だって人間族の母親からしか受けてないし…本当だぞ! 嘘じゃないぞ!」

「ほう! それは貴重な情報だ。それなら瘴気被害者保護法が使えるかもしれん。黒エルフブレイではなく魔族の被害者という体面ならこちらとしてもやりやすい」

「助けられるのか!?」

「そうだね。私が手を貸せばなんとかなるかもしれない」


だが…己の言葉にキャスの表情が僅かに陰ったことをヴェヨールは見逃さなかった。


「どうしたのかね」

「…お前に助けられる理由がない。仮にあってもあったとしてもお前に返せるものがない」

「人を助けたいと思うことに理由が必要かね」

「!!」


ヴェヨールはキャスが先刻言った言葉をそのまま返した。


「だがそれでも君がこの借りを気にするというのなら…こういう交換条件はどうかな」



そうして…その後も色々あったけれど、最終的には翡翠騎士団団長ヴェヨールの尽力によってギスを無事取り戻すことができた。


ただし、その見返りとしてキャスは翡翠騎士団への入隊を余儀なくされる。

それが彼の出した交換条件だったからだ。


「すまない…その、あいつには少し手を貸してもらってな。スカウトを断れなかった」


ギスを助けるために交換条件を飲んだ、とは流石に言い出せなかった。


「あらいいじゃない。キャスの性格なら騎士はきっと向いてると思うわ」


両手を合わせギスが微笑み、その後少し咳込む。

無事帰還したとは言うけれど、捕らえられる前に比べ少し体が弱くなったようだった。


「だから…その、あまりここには顔を出せなくなる」

「いいのよ。気にしないで。あの子達は私が面倒みるから」


彼女たちは表の街から弾きだされた子供達、或いは棄民やその子孫の面倒を見ていた。

それを全てギス一人に任せるのは心苦しかったけれど、団長と交わした約束は守らねばならぬ。


キャスにはこの当時からそういう妙に律儀で生真面目な面があった。


「すまん。暇ができたら会いに来る」

「ええ。待ってるわ」


けれど…その暇はなかなか来なかった。

剣の腕はともかく、貴族の子息でもなんでもない彼女が騎士としてやっていくには覚えることが多すぎたのだ。

だが彼女は持ち前の負けん気と不断の努力とでそれを埋め、多忙の中多くの勲功を上げ、遂には騎士隊長に叙任されるに至った。


けれど忙しすぎるその日々は、彼女の中からかつての路地裏での日々を薄れさせていき…多忙に次ぐ多忙の中ようやく僅かな暇を見つけて彼女が路地裏に足を向けた時…既にギスの姿はそこにはなかったのだ。



×        ×        ×



「隊長が…元は路地裏の…?」


騎士達がキャスの意外な出自に驚き、ざわめく。


「お前たちが私を知ったのは私が第三騎士隊副隊長の頃からだったろうからな。知らんのも無理はない」


地べたに膝をついたまま、自嘲気味に笑ったキャスが隊員たちに振り返る。


「どうだ。幻滅したか?」

「とんでもありません! 隊長!」


エモニモが必死の表情で訴えかける。


「どんな出自であろうと隊長が為した数々の武功の価値が、私の敬意が失われることなどありません!」


彼女の言葉に配下の騎士達もうんうんと頷き合う。


「それで…その後、ギスさんは…?」

「ミエ殿…それが私にもわからぬのだ。彼女の不在を知ったのもつい最近の事。かつて手下だった連中に尋ねても遠くに旅立った、既に出立したとしか言わず…いつか必ず再会しようと誓いはしたが、その後こちらへの討伐命令が下されてしまったので」

「なるほどの。旅立ったと言われたのでは危機感が薄かろうな」

「まさに《アクシトゥクム》。だがまさかにこのようなことになっていようとは…」


ふむ、と腕を組んでミエが考え込む。


「え~っと、つまりそのギスさんは旅立ったと言いつつ実は王都から追い出されてて、ここに向かった可能性が高い、ってことでしょうか」

「ああ。おそらくは」

「…その割にその…手下さん? たちが王都にいられるのはなんででしょう?」

「ふむ。そこはわしも気になっていたところじゃ。キャスや、そのギスとやらの実力は相当高いと考えてよいのか?」

「ああ。体は少し弱っているが当時どころか今の私の部下でも相手にならんだろう」

「ほう、正規の騎士相手でもか!」

「うむ。ただ…発作が起きると何もできなくなるので、そこを狙われると…」

「ふぅむ…」


キャスから得られた情報からシャミルが推論を巡らせる。


「単純に考えると、実力のあるその黒エルフブレイを追放するため、手下どもの無事を交換条件にしたのではないかな。話を聞く限りそうした情のある娘に聞こえる。或いは損得勘定か」

「なるほどー。お目こぼしされたってことですかね」

「色んな手練手管で城から棄民を追放するような輩が律義に約束を守るかどうかはわからんがな」

「ふえっ!? 約束守らないですか?!」

「お主は人を少々信用しすぎじゃと何度も言うとるじゃろうが!!」


約束と言ってもおそらく書面を交わしたでもない単なる口約束だろう。

貧しい立場の者を平気で城から追い出そうとする連中が、それも口約束の当人が目の前からいなくなった後で律義にその約束を守らるとは到底思えない。


「…とはいえ今しばらくは約定を守る可能性もある。無論出て行ってくれた方が有難いんじゃろうが…無理に追い出すこともないと考えておるのではないかな。例えば人間族ならまだ我慢できるとか、或いはよほど森の件でエルフ族の事が相当腹に据えかねておるとか」


シャミルの言葉にミエは感心したように何度も頷く。

これまた全く疑っていないの図。


「それで…実際のところどうなんでしょうか、長老さん。その…褐色の肌の方がいらっしゃったんですか?」

「私も詳しくはわからないのです。城から出されたとき私達には食料と種もみと多少の農具が与えられました。そして王都で暮らしていた場所ごとに三隊に分けられまして…」

「なるほど。自分の率いていた隊以外の事はよくわからない…?」


ミエの問いに、長老は平伏しながら頷く。


「ですが…言われてみれば他の隊の一団に褐色の肌をした者がいたように思います」

「「本当ですか?!」」


ミエとキャスの声が重なり、長老が驚きと怯えでびくりと身を竦ませた。


「い、いえ、その者は普段隊の後ろの方を黙って歩いていたらしく詳しくはわからぬのですが…ここに来るまでに幾度か野盗などの襲撃を受けまして…その際に向こうの長の代わりに大声で皆を指揮していた者が…はい、フード越しに黒い肌の色だったような…」

「あいつならやりそうなことだ…! それで、その人物は…!?」


問い詰めるような口調のキャスの前で、長老は静かにうなだれ、語る。


「なんとかここに辿り着けた者は…我々だけなのです」

「そんな…!」


膝をついたまま、がくりと両手をつき、呻くように呟くキャス。

旧知の相手の最期をこんなところで聞かされて、相当のショックだったのだろう。


「キャスさん…」


そっとなだめるように彼女の背に手を乗せ、優しく撫でたミエは…

ずっと黙って彼女らの話を聞いていた夫、クラスクの様子が少々おかしいことに気が付いた。


腕を組みながら、人差し指でトントンと肘を叩きつつ、仁王立ちで、鼻息荒く、己の前に平伏している村人たちを睥睨している。

ミエの見たところ…それはどうにも憤怒の感情に見えた。

けれど一体今の話のどこに怒りの要因があったのだろうか。


「つまり…言われルがままに住んデイタ場所を追イ出され、野盗ドもに襲われながらこんな遠くまデ逃げ延びテ、今俺達の前デ抵抗もせずに這い蹲っテイルのか、お前らハ…!」

「あ……!」


夫の言葉にミエは今さら気づいた。

オーク族にとって人生は戦いである。

何かを勝ち取るために命がけで戦うのが彼らの生きざまだ。

そんな彼らの価値根からすれば、幾ら被害者とはいえろくに戦いもせず、ただ流されるままに奪われ続ける彼らの在り様に憤懣や侮蔑の感情を抱いてもおかしくない。


「あ、あの、旦那様…っ」

「…ミエ」

「はいっ!」


なんとかその怒りを鎮めてもらおうと声をかけたミエだったが、クラスクの静かな一言にびしりと背筋を伸ばしてそれ以上何も言えなくなってしまった。


ミエは夫が求めれば幾らでも助言はするし、彼を諫めもするけれど、基本的に夫がこうと決断したことには決して逆らわぬ。

妻として夫を立てるべき、というのが古風ながら彼女の価値観だからである。

無論それ以上に彼に対する親愛と信頼が強いからでもあるのだが。




クラスクは確かに怒っていた。

己の目の前で地べたに伏して許しを請うだけの彼らの在り様に怒っていた。




ただ…ミエが危惧していたような、彼らを軽蔑し唾棄するような感情とはそれは些か異なっていた。



魔族とやらに攫われたのは不運であって己の自業自得ではないではないか。

魔族だかなんだかが追い散らされた後に受けた同族からの差別も別に己に非があるわけではないではないか。

長く住んでいた場所を追い出され、あの地図で考えたら相当遠いこんな遠い場所まで行軍させられたのだって、彼らの罪ではないではないか。



なのになぜ、なんで…こいつらはこんなにもにしているのだ?



クラスクは知っている。

この世界には理不尽があると。

いやむしろ理不尽に満ちていると。

己の意のままにならぬものなど幾らでも転がっているのだと、知っている。



だが…反撃の機会すら与えられぬまま虐げられるのは、武器を持って抗うすべすら教わらず苛まされるのは、少々不公平なのではなかろうか。

ふと、そんなことを思ってしまったのだ。



「…気が変わっタ」


ぼそり、と小さく呟くと…彼はこの村に情報収集のために訪れたという本来の理由を、かなぐり捨てた。



「俺達はオーク! 強イ種族! お前達弱イ! 反撃デきなイ! それトも…俺に逆らう奴はイルか?」



ギロリ、と平伏する村人たちを睨め回して竦み上がらせる。

その場に居合わせていた騎士達は先頭のエモニモをはじめ皆色めきだったが、クラスクの強烈な視線にたじろぎ、言葉を発する事もできず押し黙った。


なにせ負け知らずだった彼らに初めての土を付けた相手である。

その上彼らを一から鍛え上げた当の隊長がそのオークに一騎打ちで敗北し、恭順しているのだ。

そんな相手に睨みつけられれば逆らう気も失おうと言うものである。


「イナ

イのか…なら今からこの村は俺のモノダ。お前らはみんな俺が頂イタ。元の国の事は忘れロ。イイナ?」


傲然と、そう言い放つ。

村人たちに拒否権はなかった。

彼らが鋤や鍬を構え襲いかかったところで、目の前の巨漢のオークどころか背後のオーク兵一人すら倒すことはできないだろう。


「おい、ちょっと待たぬ…か?」


クラスクの突然の豹変ぶりに慌てたシャミルが口を開き、目を細めたゲルダがいざという時に備えて腰を落として戦闘準備に入ろうとしたところをミエが無言のまま目線で制し、首を振る。



彼女の眼はこのまま様子を見てて欲しい、と訴えかけているように見えた。



村人達は観念した面持ちで面を下げる。

せっかく言われた土地に辿り着いたのに、オークの襲撃に遭ってしまうとは。

そんな土地だなんてのに。


今度こそ一巻の終わりだろう。

なにせ相手は人間ではない。オークなのだ。

奴隷として虐められ、或いは売り飛ばされ、そのまま野垂れ死んでしまうに違いない。



「ヨシ。これデお前らは俺のモノになっタ。なら次は…」



クラスクがちょうどそう言いかけた時…村はずれから大きな声が聞こえた。

間延びするような声…オーク語である。

クラスクから用事を言い遣ったワッフとサフィナが、他のオークどもと荷車を引いてやって来たのだ。



その声を聞いたクラスクが…

ニタリ、と唇を歪め笑った。





「次はまず飯ダ。自分のモノに飯を食わせるのは族長の仕事ダからな!」





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