第104話 勝敗
「オークに戦術が近いと言われてもな…それは褒めているつもりか」
「誉めテル。戦イ方幾つもあルのイイ。それダケタくさんの戦場で役ニ立つ」
騎士達に邪道と蔑まされていた戦い方を素直に認め、賛美するオークに、キャスバスィは少しだけ唇を吊り上げ皮肉げに笑う。
「…そいつは光栄だが侮辱だかよくわからんな」
彼女は今の自分の異常さに気づいていない。
部下を全て失った、その元凶。
そして討伐すべき標的であるはずのオーク族の族長…クラスク。
その相手とこんな会話をかわす意味はないはずだ。
だがなぜか彼とは対話を重ねてしまう。
思わずそうさせてしまうだけの何かがそのオークにはあった。
「褒められタラ嬉しくならなイか? 俺はなル」
「オークに褒められてもな、って話だ」
「そうダナ。それは確かニ」
「うん?」
怪訝そうな顔で問い返すキャスバスィ。
彼の返答には明らかにおかしい。
まあそれを言い出したらそもそも共通語で会話ができるオーク自体今まで見たこともないのだけれど。
「オーク他の種族ニ嫌われテル。嫌われテル奴に褒められテモ嬉しくなイ。そうイウことダロウ?」
「まあ…そうだな」
「なら喜ばなくテもイイ。タダ俺ハ凄イト思っタものハ凄イと思ウシ、言ウ。そこは勘弁しテくれ」
「…変な奴だ」
オーク族なのに自分たちが嫌われていることを知っている。
そしてそれを認めている。
その上で他の種族を称賛している。
これは一体何を意味しているのだろう。
「ま、私のすることに変わりはないが」
「同感ダ」
互いに腰を落とし、武器を横に構える。
鎧を着ているキャスバスィはこれ以上の長期戦におそらく耐えられない。
次の一撃で勝負を決める必要がある。
そしてそれがわかっているクラスクもまた彼女の決死の一撃に備えているのだ。
じり、と互いに右足をずらし、横に回り込もうとする。
だがそれをさせじと互いにその身をずらす。
もしそれを鳥などが上から眺めていたのなら、互いが意図したことではないけれど、奇しくも息を合わせたように二人で同じ大きな円を描いているように見えただろう。
クラスクの重圧がキャスバスィの体力と精神力を削ってゆく。
重い疲労が肩にかかってきた。
これ以上の膠着状態はまずい。
けれど決定的な攻撃の契機がない。
彼女は焦れて目を細め…
そして次の瞬間大きく目を見開くと地を蹴り一気に間合いを詰めた。
ぶうんと繰り出される大斧の一撃。
それが大雑把なようでいて技巧の末のものであることを彼女はこれまでの戦いで学んでいた。
体勢を低く、肩を掠めるようにしてその一撃をかわし…たはずが、瞬時に頭上から斧刃がい掛かってくる。
クラスクが手首を返して強引に斧の軌道を変えてのけたのだ。
だが急激に向きを変えればその威力は大きく減衰する。
キャスバスィは自らその一撃を鎧の肩部で突き上げるようにして受け止めた。
ずしん、と肩に凄まじい圧力がかかる。
減衰した威力ですらこれなのだ。
ひとつ前の全力の一撃をまともに受けていたら到底無事では済まなかっただろう。
だが彼女はこれが最後のひと踏ん張りとばかりに大きく右足を踏み込み、大地をがっきと足で噛んでその一撃を全力で耐え切った。
「ッ!?」
…クラスクに一瞬動揺が走り、同時にキャスバスィの肩が唐突に軽くなる。
彼の斧を持つ手に力が入っていない。
ぬるり、とクラスクが掴む斧とその掌の間に入り込む赤い液体…血。
そう、先刻彼女が傷つけた手の甲の出血が、鎧に弾かれることで彼の斧を持つ手を滑らせてのけたのだ。
それこそが彼女が作り出した隙。千載一遇の好機。
キャスバスィは右手に構えた剣を素早く胸元に寄せ左手を刀身に押し当てる。
「
彼女の奇妙な呟き…いや詠唱と共に、手にした剣に目に見えぬ何かが纏わりついてゆく。
その濃密な見えない何者かは、まるで猛烈な突風が森に吹き荒れたかのような風音を伴って刃を鈍く光らせた。
「
踏み込んだ右足で大地を蹴るようにして一気に肉薄し、同時にその刃を心臓めがけて解き放つ。
その瞬間…クラスクの姿がブレた。
まるで陽炎のように揺らめいて、ぐんにゃりと輪郭が不確かになる。
「そんなまやかしがっ! 効くかァ!」
だがキャスバスィの半分、エルフの目が、耳が、クラスクを消させない。
失われた輪郭が元に戻り、気づけばクラスクは変わらずにそこにいた。
ずぶりゅ、という不快な音と共にその刀身がクラスクの左胸に突き刺さり、刃が纏った何かがねじるように周囲の肉を切り刻み、その勢いのまま背中まで貫いた。
同時に凄まじい烈風が刃の先端から
「ハァ…ハァ……!」
荒い息をつきながら剣を持った右手を震わせる。
それはキャスバスィの奥の手。
最後の最後に取っておいた切り札だった。
エルフは生来魔術の素養が高く、特に精霊魔術との親和性が高い。
成人したエルフであれば、たとえどんな
彼女もまたエルフの血を引いており、精霊魔術の素質があった。
が…普通のエルフと異なり人間社会で育った彼女には周囲にそれを教え導く者がいなかったのだ。
ゆえに精霊魔術を本格的に学び始めたのはだいぶ大きくなってからで、覚えられた魔術の種類もそう多くはないし、少し呪文を唱えただけですぐに魔力切れを起こしてしまう。
けれど彼女はその分幼いころから鍛え続けた戦士としての技量があった。
唱えられる回数こそ少ないものの、そのわずかな機会を優れた剣技によって幾倍にも高めることができたのである。
「これ…で……」
「参っタナ。ミエに怒られル」
「な……っ!?」
動く。
まだ動く。
己の渾身の一撃を受けて、まだこのオークは蠢いている……!
「本当ハ腋ニ挟ムつもりダっタんダガ…」
ハッと気づいて己の剣が刺さった場所を見た。
心臓…ではない。
心臓の斜め上、ちょうど鎖骨のあたりにその刃は突き刺さっていた。
(あの時の…揺らぎか…!)
クラスク達のその日の作戦には隠密行動が不可欠だった。
耐久力の向上で以前より一回り大きくなっていた彼は、妻から「見つからないように気を付けてくださいね」と≪応援≫を受けていたのだ。
それにより彼は隠れ身判定に必要な敏捷度に補正を受け、さらに高い敏捷度を持たないと習得できない盗賊系のスキル≪隠密≫をミエの≪応援(旦那様/クラスク)≫の効果である≪疑似スキル≫によって修得していたのである。
キャスバスィの隊の背後に突如出現したのもこの≪隠密≫スキルの効果で樹木の影に潜んでいたからだし、先程の一撃で陽炎のように揺らめいたのもこのスキルによってキャスバスィ自身の影の中に潜もうとしたからだ。
それ自体はキャスバスィのエルフの血筋から来る優れた知覚によって阻止されてしまったけれど、後のない渾身の一撃の刹那にクラスクを見失いかけた焦りから、彼女の狙いがほんの僅かにずれた。
そして彼女の攻撃を見切って剣を腋で挟み込もうとしたクラスクもまたキャスバスィの精緻かつ高速の一撃を避けきれなかった。
結果としてその刃は二人の狙いのちょうど中間…肩の鎖骨のあたりを貫いたのだ。
(剣が…抜け…!?)
みちり、という音がして彼女の剣が動かなくなった。
己の肩を貫通したその刃を、クラスクが周囲の筋肉で締め上げ固定してしまったのだ。
『
だから刃を筋肉で締め上げるなんぞという芸当は本来できようはずがないのだ。
そんなことが可能だとしたら…それは常軌を逸した肉量の持ち主、ということになる。
「く、離せ……離せっ!」
…勝敗にこだわるのであれば、キャスバスィはそこでその剣を捨てるべきだった。
すぐに剣から手を離し、腰の短刀を引き抜いて戦えば、まだ多少なりとも勝てる見込みがあったはずである。
だが彼女にはそれができなかった。
それは亡き母の愛剣で、忘れ形見だった。
幼くして両親を亡くした彼女にとって、数少ない愛された記憶の象徴だったのだ。
ゆえに彼女はそれにこだわって…
「ふんっ!」
「きゃ…っ!?」
突然股ぐらをむんずと掴まれて、思わず生娘のような声を上げてしまう。
太腿でそれを阻止しようと挟み込むがまったく意味はない。
そのまま肩と股間を掴み、彼女を抱え上げたクラスクは…
そのまま、近くの樹の幹へと全力でその背中を叩きつけた。
「かは…っ!」
どうん、という音共に強い衝撃が走り、キャスバスィの肺から空気が漏れる。
けれどその硬さゆえ、逆に全身に走る衝撃を防ぐことは難しい。
強力な魔術行使による魔力減衰。
クラスクとの戦いの重圧で溜まりに溜まっていた疲労。
そして全力で叩きつけられた衝撃。
それまで耐えに耐えていたものが一気に噴き出し、激痛と目眩で意識が朦朧として体が震える。
それでも必死に我を保とうとする彼女の…下腹部の鎧をずらし、鎖鎧をめくってその腹部…臍の当たりを顕わにするクラスク。
そして無言のまま…己の握り拳を彼女の鳩尾に突き込んだ。
明滅する空。
舞い散る木の葉。
最後の最後に己を見つめるオークの顔を眺めながら…意識を飛ばす。
翡翠騎士団第七騎士隊隊長キャスバスィは…敗北したのだ。
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