第87話 エピローグ(第二章最終話/第一部完) 愛する人と、月の下で

「ミエ…?」

「あ、旦那様!」


クラスクに声をかけられ、ミエはぱっと顔を輝かせ振り向いた。

流石に血染めの服は着替えていたけれど、彼女らしく駆けずり回った後がありありとわかるほどには汗に濡れていた。


昼に始まった宴はすっかり日が暮れた今でもまだ続けられていて、しかもまだ終わる気配がない。

元々オーク族は酒と宴を好む種族ではあるけれど、流石に浮かれすぎではないだろうか、などとミエは心配してしまう。


ただいつものオーク族の宴会と一つ大きく違う点があった。

広場の中央に大きな焚火が用意されていることだ。


オーク族は生来≪暗視≫持ちであり、彼らだけで祝う宴なら本来光源など必要ない。

闇の中でも昼間のように騒ぐことができるからだ。


つまりあの灯りは女性達のために用意されたもの。

それがすぐにわかるミエもまた、それだけオーク暮らすこの村に馴染んできたということだろうか。


「なにをしテイタ?」

「お酒とお料理が足りなくって…村中の女房集を集めて作ってました。ようやく一息ついたところです」

「そうカ。世話をかけタな」

「いえ、こんなことなんでもありませんわ……旦那様は?」

「さっきまデ族長達が離しテくれなくテな…」

「ああ…」


酒を呷りながら若き新族長にああでもない、こうでもないと語り聞かせる酔っ払いの族長ども。

左右を挟まれ肩を掴まれ、クラスクはつい先刻まで逃げることもできず彼らの武勇伝や自慢話や愚痴やらを聞かされ続けていたのである。

それは辟易もしようというものだ。


ちなみに現在その席は隙を見て半ば強引にラオクィクに代わってもらっており、そんなことにも気づかぬほどに泥酔した族長どもに絶賛絡まれている真っ最中の彼がリーパグが指を差され笑われている頃合いのはずだ。


「それデ、こんなトこロデなにしテル?」

「あ、いえ、せっかくだからちょっと高いところから村の様子を見たいと思って…」

「アア…」


ミエがいたのは村一番の大きな建物…になるだ。

そこにはリーパグやシャミルたちの手で公衆浴場が建造されようとしていたけれど、前族長ウッケ・ハヴシによってその壁が叩き壊され、建造が中断されていた。


「ダガここから屋根にハ登れそうダぞ」

「本当ですか…きゃっ!?」


とんとんたーんと巨体に似合わず軽やかに壁を蹴り登ってゆくクラスク。

積まれた瓦礫の上からなんとかそこに辿り着こうとしたミエが、足場が崩れかけ思わず悲鳴を上げる。


「ミエ!」

「…はいっ! とぉー♪」


だがクラスクが伸ばした手に顔をぱあっと輝かせた彼女は…

嬉し気な掛け声とともにそれを掴み、屋根の上の夫の胸に飛び込んだ。



「ふふ、まるでキャンプファイヤーみたい…」



建てかけの公衆浴場の屋根の上、体育座りをしながら眼下の広場の光景を眺め、ミエが呟く。


「なんダ、それハ」

「ふふ、夢、です…いつかやりたかったこと…もう叶わないですけど」


高校の文化祭、後夜祭…そしてキャンプファイヤー。

夜の学校、フォークダンス、意中の相手と手を取って…


病床の中、退院の時期を計算しながらそんなことを夢見ていた頃もあった。


実際には文化祭の準備をする前に体調を崩して再入院してしまったけれど。

そしてそのまま死ぬまで二度と学校に戻ることはできなかったのだけれど。


「アレは違うのカ?」

「…そうですね。そうかもしれません」


ここは学校ではないけれど。

祭りの真っ最中で、大きな焚火があって、皆が躍っていて…



…そして、意中の人が隣にいる。



確かにそれは彼女が夢見たものと少しだけ重なっていて。

決して同じではないけれど、憧れた幸せの欠片は…今、確かにこの胸の中にある。


ならば…きっとそれでいいのだ。

ミエは目を閉じて小さく息を吐くと…かつての夢と決別した。


「ミエ…教えテ欲しいこトがあル」

「私に?」


振り向いた先にあるクラスクの顔。

遠くの焚火の炎に照らされた彼の横顔は昨日に比べてやけに精悍で、ミエは思わず胸を大きく高鳴らせた。


「こう、女が集まるト、話す!」

「はい」

「男も酒飲むト、話す!」

「…ええ」

「そうイウ…こう話す、色々…」

「雑談?」

「そうイうのトハ違う気ガすル」

「…噂?」

「ソウ! 多分ソレダ!」


ぱん! と手を打ってクラスクが目を輝かせる。


「ソノ噂! 噂ヲ…コウ、誰かニされル!」

「誰かに?」

「誰だかわからなイ! デモされル!」

「ええっと…それはですか? それともですか?」


おお、と感嘆の表情で妻を見つめるクラスク。

自分が言い忘れていた、けれど言いたいことには含まれていた事柄だったからだ。


「悪イ噂! 悪イ噂色々されテル!」

「それは…お辛いですね」


ミエが同乗の言葉を挟むが、クラスクはぶんぶんと首を振った。


「違ウ! 辛イケド違ウ! 悪イ噂されルの仕方ナイ! !」

「……っ!」


ここにきてミエにもようやく夫の言わんとすることが飲み込めてきた。

今のこの村の…いやオーク族そのものの問題を何かに喩えたいのだ。

だがその言葉が出てこない。

オーク語には抽象的な表現が少ないのだ。

それを懸命に説明しようとして、このような回りくどい言い方になっているのである。


「ソノ…こう悪イ噂されテ! それデも生きテル! みたイな…そうイウ感ジノ言葉、ナイカ?」

「それでも生きて、ではなくて…それでも生きてですよね?」

「ソウダ」


ミエは顎に指を当てて考える。

オーク族の状況、夫の言いたいこと、色々と考え合わせれば…



「なら…後ろ指をさされるレピ ラクティフ ユピールポゴヴフ イーク パスト、かな」

「…ソレダ」



クラスクは眼を見開いて心底感心する。

自分が言いたいこと、やりたいことを、この嫁はまるでまじない師のようになんでも理解してしまう。解決してしまう。

なんてできた嫁なんだろう。

なんて凄い女なんだろう。



クラスクは感嘆しつつも崩していた足を戻し、しっかりと座り直す。



「聞いてクレ、ミエ」

「はい」


そして、村の喧騒と焚火の炎を見つめながら、言葉を選ぶように話し始めた。


「これまデ、オーク族色々してきタ。奪ったリ、襲ったリ、攫ったリ…色々ダ」

「…はい」


それはオーク族の歴史…そしてオーク族の暮らしそのもの。


「デモいつまデも同じこトデきルト俺思わなイ。オーク族負けルと悔しイ。次もっトもっト強くナル。デも他の種族もきっト同ジ。俺達に負けテも次もっト強くなル。もっトタくさん来ル。ダから…いつかオーク族負けル。ソウ思ウようにナッタ」

「…………!」


ミエは面を伏せ、膝を抱えている腕をぎゅっと強めた。

顔がほんの少しだけ青くなる。


だって夫をのはきっと自分なのだ。

今を楽しく生きられればそれでいい、そういう享楽性こそが彼らの種族性だったのに、夫は自分と共にあることで考え、学び、そしてその事で思い悩むことを覚えてしまった。


彼は…オーク族でありながら今日ではなく明日を、明日よりもその先を…




ってしまったのである。




勿論それはとても素晴らしいことではあるのだけれど、喜ばしいことではあるのだけれど、

果たして……それは本当に幸せなことなのだろうか?


あらゆる種族を敵に回したこの状況で、先の見えないこの状態で、もしそんな事を覚えてしまったなら、きっとそのオークはとても辛いだろう。とても悩むだろう。

そのことを考えたとき、ミエの胸は激しく痛んだ。


「オークがいつか負けル…負けルのは嫌ダ。負けル事デ村のがなくなるのはもっと嫌ダ。ダカラ俺ハオークの暮らし変えタイ。この村を変えタイ」


クラスクは…頭の中で渦巻いていたものをひとつひとつ言葉に変えて、自分自身で確かめるように口にする。


「奪わなくテイイ暮らしを手に入れタイ。襲わなくテ済む生き方を探しタイ。ミエが言うように攫わなくテも女の方から来テくれルような…そんな村にシタイ」



静かに語る口調に、少しずつ熱が籠って、



「スゴクスゴク大変。ワカル。今まデオークがやっテきタコト、きっト全部全部邪魔スル」



己の内に湧き上がってきた想いを…『夢』を、クラスクはその日、はっきりと口にした。




「デも俺は目指しタイ。オーク族が誰にも”後ろ指差される”コトナイ場所…作りタイ」




胸の内を全部ぶちまけて、高揚した気持ちそのままにミエの方に顔を向ける。



「…手伝っテくれルか?」

「はい…はいっ! いつだって…いつだってミエは旦那様と共にありますからっ!!」




隣のクラスクに飛びついて、首に腕を巻き付けて。

互いに見つめ合い、うっとりと見つめ合って…











そして愛する二人は、月の下幸せなキスそして、終了。

























…今日のところは!

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