第40話 決闘
「決闘…? クク、ハハハハハハハ!」
一瞬きょとん、とした顔のイクフィクは、だがその後すぐに笑い出した。
「クラスク…オ前ガ俺ニ一度デモ勝ッタコトガアッタカ?」
「昨日ハ昨日、今日ハ今日ダ」
「ハハハハハハ! 違イナイ! ツキノアル今ノお前ナラ勝チノ芽ガ少シハアルカモナ! ハハハハハハ!」
激しく哄笑したイクフィクは、だが突然ぴたりとその笑いを止め、自らの斧を片手で構えクラスクに突き付けた。
「決闘ヲ口ニスル以上、覚悟ハデキテイルンダロウナ?」
「アア」
そしてクラスクもまた、自らの斧を前に構えてそれに応える。
「オ? ナンダナンダ」
「決闘ダトヨ」
「マジカ!」
「久シブリダナ!」
「見ニ行コウゼ!」
ちょうど襲撃から帰ったオークや狩りから戻ったオーク達が彼らの周りにわらわらと集まってくる。
「オ、イクフィージャネーカ。相手ハ誰ダ」
「若手ノクラスクダトヨ」
「アー、アノ飼ッテル女放シ飼イニシテル変ワリモンノ…」
「ジャアイクフィーカナア」
「ワッカンネーゾ、ココントコクラスクの奴ハズット仕切リダ」
「ヘー、ソリャ面白ソウダ」
「ヨシ! ヤレヤレ!」
「殺セ! 殺セ!」
「手加減スルナヨー!」
たちまちイクフィクとクラスクの周りにはオーク共の輪ができて決闘のための人垣を形成し、無責任なヤジで囃し立てた。
みるみる大事になってゆく様子にミエはあわあわと周囲を見回す。
とてもではないが止められる雰囲気ではない。
決闘…彼らの言葉で『ファイク』呼ばれるそれはオーク族の最大の娯楽のひとつであり、また決闘する当事者にとってはなにより大切な儀式でもある。
決闘前に互いが交わした約束はオーク族にとって絶対であり、それを違えることは許されない。
このことからオーク族の風習や掟の多くはかつて幾多の決闘によって定められたものだとも言われている。
そんな決闘を自ら言い出した以上クラスクにはもはや退く道は残っていない。
勝って己の言い分を通すか、負けて全てを失うか。
どぢらにせよその末路は決闘の結果に委ねられたのである。
「ミエ、下がってイロ」
「は、はい!」
クラスクに押され、一、二歩よろめくように後ろに下がるミエ。
だがそこで背中を向けることなく踏みとどまった彼女は、左足で地面を大きくどんと踏みつけると、キッと眉を吊り上げ決意の表情で叫んだ。
「旦那様っ!」
凡そ女が出すとは思えぬ大きな声に驚いて、一瞬周囲のオーク共のヤジが止まる。
そしてミエの声に思わず振り向いたクラスクに向かって駆け寄った彼女は、そのまま彼に飛びつき、上背のあるクラスクの首に腕を巻き付け腰を落とさせると…
その頬に激しく、けれど優しいキスをした。
「…頑張って」
「任せロ」
囁くような激励と、決意を込めた重い約定の言葉。
二人が離れると同時に周囲がどよめき、それはやがて大きな歓声に取って代わった。
「ナンダアレナンダアレ!」
「ハジメテ見ルゾ!」
「人間族ノ風習カ?」
オーク族にとって女性は支配し隷属させるべき存在であって、好みや相性はあっても普通恋愛感情は存在しない。
だから快楽のために唇や肢体を噛んだり吸ったりすることはあっても、親愛のためにキスをするという感覚がわからないのだ。
「ナンダアレ…イイナ」
「アア。ナンカイイ…」
「イイ…」
わからないはずなのだが…二人の醸し出す雰囲気に当てられたのか、その奇妙な行為は彼らオークにとって好意的に受け止められたようだ。
「別レハ済ンダカ?」
戦斧を構えたイクフィクが牙が如き犬歯を剥き出しにして傲岸に笑う。
その視線はちらちらとミエの方に注がれていて、今から勝利した後の彼女の躾け方について考えを巡らせているようだ。
「アア。ダガ気にするナ。別れと言ってもすグに戻るカラナ」
ぶらん、と斧を横に構えたクラスクが、一瞬ミエの背中に視線を向けた後、これまた凄みのある笑みで返す。
いや…正確には彼が見たのはミエの向かった方角だが。
「ソウイウ軽口ハ…俺ニ勝ッテカラホザクンダナ!」
その叫びが…開戦の合図だった。
ぶう…ん、という少し間延びした音を立てながら、イクフィクの斧が真上から振り下ろされる。
だがそれは斧が大気を割らんが如き裂帛で、その先端にわずかでも触れようものならたちまち唐竹割りに両断されて地面に肉片が転がるであろう凄惨な一撃だ。
クラスクはその一撃を
まともに喰らえば顎先から脳天が逆に裂けそうな一撃だったが、イクフィクは右足を地面に激しく叩きつけた反動で後ろに跳び
そしてその勢いで己が地面に叩きつけた斧を引き戻し、ぶんと横に振りながらクラスクめがけて突進した。
一撃必殺を狙ったクラスクの大振り、その隙を逃さず最小の動きで横薙ぎに仕留めようというのだ。
だが…遥か頭上へ振り抜いたはずのクラスクの斧刃が、気づけばイクフィクのすぐ目の前まで落ちてきている。
クラスクが手首の返しと重力を利用して、
どん、と再び地面を蹴ったイクフィクはそれを真横に避けて、距離を取って再び斧を前に構えた。
クラスクもまた斧を相手に突きつけるようにして余裕を持って構え直す。
一瞬の静寂。そして続く大歓声。
ほんの僅かの間だが見応えのある攻防に、二人を囲んだオーク共はやんややんやと喝采を上げた。
「だ、だんなさま! だーんーなーさーまー! がんばえーっ!」
戦いのことはさっぱりわからないミエだったが、クラスクがまともに喰らえば簡単に真っ二つにされそうな斧刃の前にその身を晒し続けていることにずっとはらはらし通しで、声を枯らさんばかりに叫んでいる。
声を出し過ぎて呼吸をするのを忘れたのか、一瞬ふらつくミエ。
だがその脇と背後にいたオークが彼女を支え、倒れないように支えてくれた。
「あ、えーと、貴方達は…!」
背が高くやや痩身なラオクィク、小太りなワッフ、そしてオークの大人としてはやや小柄なリーパグ。
彼らはクラスクとよく一緒に狩りに出かけるオーク達だった。
よく見るといつの間にかにミエは彼ら三人に囲まれ、他のオーク達から隔離されていた。
いや守られていた、と言った方が正しいだろうか。
イクフィクの取り巻きがミエにちょっかいを出さないよう、彼ら三人が盾となり斧となって彼女を守護していたのである。
先程戦いの直前にクラスクが視線を向けたのはミエの背を追ったのではない。
その視線の先にいる彼の仲間達に、ミエの保護を頼んでいたのだ。
彼らは最近活躍著しいクラスクを中心に、彼の実力を認めている者、彼を純粋に慕う者、そして彼といれば喰いっぱぐれないであろうと実利を目当てに尻尾を振っている者など様々な要員で構成されている。
いわゆる若手オーク達による『クラスク派』といったところだろうか。
彼らはミエを左右と背後からがっちりとガードしつつ、オークらしい歯を剥き出しにした獰猛な笑みをミエに向け…腕を掲げてラスクに声援を送った。
「クラスク! クラスク! クラスク! クラスク!」
「兄貴ィィ! クラスクのアニキィィィィィ!!」
「ヨシ! クラ兄ィヤレ! ソコダ! イッケー!」
それはオーク共の群れの中ではほんの一部の…けれど間違いなく彼を熱烈に支持する声で…
ミエも彼らに励まされるように、声を枯らさんばかりに声援を彼に送った。
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