第38話 村の中の襲撃
オーク達が3人ほど、壁に背もたれたり、村の中央でうろうろしながらミエに鈍い視線を向けている。
ミエははじめの内こそそんな彼らに手を振って応えていたが、やがて疑念と不安の方が少しずつ大きくなっていった。
オークは基本的に常にむすっとしていてあまり表情が読めない。
それは人間に犬猫の表情が分かりにくいのと同様種族の差も要因のひとつではあるが、オーク族が全般的に精神系の能力値が低いために情緒が乏しく、怒りや憎悪といった原始的な感情以外あまり顔に出せないというのも一因である。
だがミエは亭主であるクラスクの表情を観察することで彼の心の機微を読むことができるようになっていた。
それは彼がミエのスキル≪応援(旦那様/クラスク)≫の影響で精神系のステータスを向上させた結果、他のオーク達より感情豊かで表情が豊富だからである。
そして彼の表情が読めるようになった結果…ミエは他のオーク達の感情も或る程度分かるようになっていた。
そして…そんな彼女の目から見て、遠巻きに自分をじろじろと睥睨しているオーク達は…なにか良からぬことを企んでいるように、見えた。
ミエが一歩、後ずさる。
三人…いや三匹のオークが、二歩、彼女の方に足を進めた。
己の身に危機が迫っていることを察し、そのまま背を向けて走り出そうとするミエ。
だが一歩遅い。
「痛っ!」
逃げ出そうとする直前、大股で一息に追いついたオークに左手首を掴まれ、そのままねじるようにして腕を掲げられる。
上背のあるオークにそうされてしまうとまるで片腕で吊り下げられたような格好となってしまい、つま先立ちで伸びでもしなければ地に足がつかず、自由に身動きが取れなくなってしまう。
「ん…んんっ!」
ねじられた手首を戻すようにつま先立ちのまま体をぐるりと回すと目の前に三匹のオークがいた。
そろいもそろって下卑た笑みを浮かべミエの肢体を上から下まで嘗め回すように眺め、悦に浸っている。
ぞくり、とした。
彼らの目的はあまりに明白だった。
クラスクのいぬ間にミエを襲って犯そうというのである。
ミエも密かにそういう憂慮はしていた。
彼女が夫と認じているクラスク以外のオーク達は皆下品で粗野で、そして性に貪欲だった。
…まあ最後の件に関してはクラスクも同様なのだが。
さらに彼女が危惧していたことがもう一つあった。
オーク達の貞操観念についてである。
彼らは複数の妻を抱えることも珍しくない。
多くの女性を従えていることが彼らの優秀さの証ですらあるようだ。
だが一方で彼らは妻たちにその貞操を縛られてはいないのではなかろうか…という懸念が彼女にはあった。
簡単に言えばオーク同士で享楽のために互いの妻を交換して抱く…いわゆるスワッピングのような行為もあり得るのではないだろうか。
だから夫以外のオークが自分を抱きに来るかもしれないのではないか…
そういう惧れを彼女は抱えていた。
…まあミエの性知識はかなり乏しいので、スワッピングのような用語自体はまったく知らないのだけれど。
クラスク以外のオークに抱かれる…
嫌だ。
それは嫌だ。
オーク族の妻となって、彼らの風習や習性はなるべく受け入れようとしているけれど。
それでも愛する夫以外を受け入れることだけは、なにがなんでも絶対嫌だ…!
彼女もそんな風に気にはしていたし密かに警戒もしていた。
ただそれが今日だなどと、そして今だなどとは思ってもみなかった。
完全な油断である。
(駄目よミエ、こんなことで旦那様以外に体を許しちゃ…っ! しっかりなさい!)
己への叱咤で彼女の≪応援≫スキルが彼女自身に発動し、その体に力が漲った。
ミエは掴まれていない方の腕を思いっきり下に振り抜き、その勢いでその場に大きくしゃがみ込むことで自らの手首を掴んでいたオークの腕を振り払い、束縛から逃れる。
掴まれていた腕を強引に外したため肩に鈍痛が走るが泣き言を言っている余裕はない。
ミエは地を這うように四つん這いで数歩走り、そのまま上体を浮かせ脱兎のごとく逃げ出した。
「待テッ!」
「逃ガスナ!」
慌てて追いかけるオーク共。
必死に逃げるミエ。
その逃亡劇は…だが長く続かなかった。
ミエが走り抜けようとした村の家の一軒から、別のオークが飛び出して道を塞いだのだ。
「オット逃ガサネエゼ!」
「きゃんっ!」
肩を掴まれ強引に抱き寄せられる。
万力のような力で抑え込まれ、じたばたと抗うがどうにもできない。
幾らミエの筋力がスキルの力で強化されようと、元々の肉体性能が違いすぎるのだ。
「助カッタゼ…イクフィク!」
「ハァ…ハァ…足の速い女ダ…!」
力いっぱいもがくミエを押さえつけたオーク…イクフィクと言うらしい…は他のオーク共にニタリという卑しい笑みで応える。
「や…っ! 嫌っ! 離して、離してくださいっ!!」
「離セト言ワレテ離ス奴ハイネエ」
全力で抵抗するミエ。だがその抱擁は一切緩まることがない。
「サア、オ前ノ力、俺達ニモ寄コセ」
「力ってなんのことですかっ! 私知りませんっ!」
イクフィクの言っていることは的を得ている。
実際にミエには力があるのだ。
≪応援≫スキルの力である。
それが夫であるクラスクの身に多大な一時的補正と少量ながらも永続的補正を与えており、彼の昨今の活躍に繋がっている。
ただしそのスキルの使用は無意識に行われており、彼女自身は一切無自覚だ。
それに仮に彼らを応援したとて≪応援(ユニーク)≫の効果は得られないし、なにより心からの応援でない限り≪応援≫スキル自体効果が発現しれない。
したがってイクフィクららの目論見が成就することは決してないのだ。
ないのだが…彼ら自身はそのことにとんと気づいていないため、結局やることは変わらない。
この人間族の娘を飼い、毎夜抱いたことであのクラスクが強くなったのなら、同じことをすればきっと自分たちも…!
「や、ダメっ! 離してぇっ!」
周囲をオーク達に囲まれ、彼らが伸ばした手が彼女の腕を、肩を掴み、衣服越しにその胸に触れ、揉みしだこうとする。
今にも泣きそうな声で必死に足掻いていたミエは…その瞬間、遂に耐えられなくなってそこにいるはずもない相手に助けを求めた。
「旦那様っ! 旦那様ぁ!! …クラスクさぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁん!!!」
ばきい、と鈍い音がした。
ミエを囲んでいたオークの1匹がもんどりうって吹き飛び、民家の壁に叩きつけられて動かなくなる。
オーク共の肉の壁の向こうから伸びていたのは…拳。
もし斧を手にしていたならその柄すら握り潰さんほどに強く握り締められた拳が…先程のオークの顔面をえぐるように殴りつけていたのだ。
ざわり、とざわめき動揺するオーク共。
彼らの背後に…恐るべき形相の男…オーク族のクラスクが立っていた。
「お前たち…その手を放セ…ッ!」
押し殺すように放たれたその声には…
溢れんばかりの憤怒が込められていた。
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