2020年3月17日

 いつものように水槽から姿を消してしまっていたダザイだったが、PCでの作業をしている最中にふと視線を左へ振った私は、外付けHDDのそばを緩慢な動きで這っている甲虫を見つけた。ダザイである。やはり水槽から抜け出していたらしい。ピンセットを使って掬い取ったダザイを見ると、何やら一回りほど大きくなったように思えた。ダザイが私の知らないところでしっかりと栄養を摂っていたことがわかり嬉しくなった。成長したのは肢体の大きさだけではないようだ。私は予めセットしておいた水面の枯葉に戻ってきたダザイをのせてやった。


 数時間の後、小説をひとエピソード分書き終えて水槽を覗いた私は、ダザイが水面を遺体のように漂流しているのを見つけた。例のごとくピンセットを使って枯葉の最も高い位置にダザイをのせてやる。肢体が乾くのを待っているのか、入水未遂の後はいつもそうするように、ダザイは微動だにすることなく神に祈るようなポーズのまま枯葉の上でじっとしていた。


 外の空気を吸って部屋に戻り、枯葉の上で停止したままのダザイを見ていた私は、ふと、どうして彼奴は背中の堅い翅を使って逃げないのだろうかと疑問に思った。同じ甲虫でも天道虫などは物体の先端へ行くと飛翔する性質を持っているが、このなんという虫なのかわからないダザイにいたっては、死んだふりをしたとき以外に翅を開いたのを私はまだ見たことがなかった。そんなことを考えながらダザイを見ていると、彼奴は飛び立つどころか水槽内に縦横無尽に跋扈する水草を伝って水の中に潜り始めてしまった。あろうことか私は、ダザイのその華麗な身のこなしに数分間もの長い時間に渡って目を奪われてしまっていた。短く見積もっても三分は見ていた。三分である。三分といえば世間ではカップ麺に湯を注いでから食べるまでの待機時間と相場が決まっているが、大人になって『なんでんかんでん』というラーメン屋で粉落としなる硬麺を食してからというもの、神経質で律儀な性格の私でさえきっちり待ったことがないほどの長さだ。ただの虫である。絶世の美女ではない。そんなものを見るために使う時間としては鼻毛が伸びるほどに長い。私はもっと有効な時間の使い方があるはずだと気づき、ダザイを見るのをやめてPCでの作業へと戻った。

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