私が「彼女」であった頃
椋畏泪
一
「行ってきまーす!」
「はーい、行ってらっしゃい」
今年小学校に上がった息子を、出来るだけ元気に送り出す。何気ない日常の一ページだが、だからこそ反抗期が来たら嫌だなとか、いつか息子が結婚して家を出てしまうのは寂しいなとか、心の底の方で感じてしまう。夫が休みならそんな感情も感じることなく忙しい日常に戻されてしまうのだが、昨日からの夜勤で帰ってきていない。
息子と夫と暮らす一軒家は、私一人には大きすぎる。そして、ついつい余計に考え込んでしまって、一人で感傷的になる。
「洗濯して、掃除機かけて、買い物行って、帰ってきたら家計簿」
独り言でやることをまとめ、曲がり角で息子の背中が見えなくなってから玄関の戸を閉める。
「ただいま」
誰にとはなく言うも、当然返事が帰ってくることはない。寂しさを紛らわすためにテレビの電源を入れ、昨夜一杯になった洗濯機に粉石鹸と柔軟剤を入れて蓋を閉めて、最近押しにくくなってきた『開始』のボタンを押す。
洗濯機はもう替え時かな、なんて考えながらリビングへ向かい冷蔵庫から麦茶のボトルを出して、コップに半分くらい注いで食卓へついて一息入れる。テレビの向こうの世界には、強盗のニュースが取り上げられていたが、自宅が私の世界のほとんどを構成するようになってからは極端に身近に感じることが出来なくなっていた。
ぼんやり数分間、テレビを眺めていると、いつの間にか占いのコーナーが始まっていたので、それを合図にいつも通り充電式の掃除機を取りに部屋の対角線の方へと向かうと、ソファーに置きっ放しにしていた携帯電話の新規通知を知らせるランプが点滅していることに気付き、内容を確認する。メールが二通届いており、確認すると一通は私が良く利用する化粧品メーカーからの試供品の案内で、もう一通は夫からのものだった。
『今から帰るね。ありがとう、美味しいご飯楽しみにしてる!』
息子を送り出す前に送信したメールへの返信。最後には間の抜けたような表情の顔文字が良い味を出していた。私も『気を付けて帰ってきてね!』と夫に倣って変な顔文字を付けて返信をしてメールの画面を閉じると、まだ新規通知のランプが付いていた。
まだ何かメールを見落としていたかなと、もう一度確認するが受信トレイに未読メールはなく、ホーム画面に戻ってようやく通知の正体に気がついた。
『本日はマサちゃんさんの誕生日です! お祝いメッセージを送ってあげましょう』
今の夫と結婚する前に付き合っていた最後の彼氏の誕生日、そう言えば今日だったな。突然、懐かしさに襲われる。
前の彼氏、マサちゃんと別れてから数回携帯電話の機種変は行なっていたが、電話帳のデータがまだ残っていたことに驚きだ。前の機種では誕生日に通知なんて来なかったので、単純に高性能になってきていて便利だなと思う反面、迷惑だとも感じた。一度終わった恋と感情。あの頃から私はどれくらい変わっただろうか?
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