第189話 天使です

男が干からびていくのをただ呆然と見つめることしか出来ないはずだった。だが、光に包まれるという表現が相応しい光景の後、その男はやつれてはいるが、元の状態で穏やかに眠っていた。


「危なかったな……助かった。瑠璃」

《高耶さんの望みだもの》


瑠璃は真っ白な翼を消すと、服装もヒラヒラとした薄い布を重ねる天使然としたものではなく、近くに見えた服屋のマネキンに着せられていた服に変える。素足だった足下も、パンプスに変わっていた。


そして、ふわりと床に降り立った。


そんな瑠璃に、高耶は目を瞬かせる。


「……よく似合ってるな」

《っ、ありがとう。高耶さんに褒められるの、すごく嬉しい……》


恥ずかしそうに目を少しそらす瑠璃。そんな彼女に、周りの者は警備員も含めて誰もが見惚れていた。


服装を変えても、天使であることには変わりないのだ。瑠璃色の紫を帯びた濃い青の髪は艶やかで、その色とは別に淡く発光しているように見える。染めたとしてもこの色は出ないだろう。あり得ない色なのに、それが当たり前のように受け入れられる不思議。


そして、最もあり得ないのが金の瞳だ。人形のように見えるがそうではない。確かな生きた者としての輝きがあった。


「けど、良いのか? あまり地上に滞在するのは良くないだろう」

《ふふ。高耶さん、気付いてないの? また格が上がってる。だから、高耶さんの近くなら神域に近いから大丈夫》

「ん? そう……なのか」


式神という体裁を取ってはいるが、瑠璃は式神達とは違う誓約を結んでいる。それは、大陸の方の祓魔師エクソシストの能力の一つ。



『天使召喚』



天使は、格、能力の高い者の請願せいがんによって呼び出すことができる。その力を認めた場合は専属の誓約も可能だ。


「なら悪い。アレと同じ物がまだありそうなんだ。探してくれるか? あ、だが、俺の近く……はどの辺までだ?」

《半径で二百くらい。上下も》

「そんなに? そうか……なら頼む」

《任せて。見つけたら祓ってしまっても?》

「ああ」


瑠璃はそのまま優雅に身を翻すと、展示会場の中へ入って行った。


「さてと……店長。すみません、ちょっとご相談が」

「あ、はい!!」


茫然としていた店長が、呼ばれて覚醒すると、一も二もなく駆け寄ってきた。


「咄嗟のこととはいえ、瑠璃を出してしまいましたし、防犯カメラの映像とか、後で弄ることになると思います。この場の方々への口止めも……」

「彼らへの説明は私の方でやらせていただきます! ご当主にお手間は取らせません!」

「そ、そうですか? なら、警備員や従業員さんはお任せします。警察やマスコミについては専用の人員で対応しますので、ご心配なく」

「分かりました!」


救急隊も到着したらしい。連盟の方から手は回っているはずなので、そちらは問題ないだろう。今回のことについては『呪われた物』が影響したということが表には出ないように処理される。


高耶は腰を抜かしたように座り込んでいる瀬良智世の祖父達に近付く。この間、優希は大人しく俊哉の傍にいた。ムクが居るから、何かあっても問題ないとはいえ、空気の読める子だ。


俊哉もだが、そこには同級生の彰彦あきひこと伊原久美、瀬良智世の従兄弟らしき同年の青年も固まって床に座り込んでいた。


高耶は瀬良智世の祖父だという古美術商の男性に目を向ける。


「確か、大和やまとさんでしたよね」

「っ、あ、ああ! 覚えてくれていたのか」

「はい。最近は中々、お話する機会も取れませんでしたが」

「そうだなあ。君のファンは増えたからねえ」


手を差し出して背を支えながら立ち上がらせると、近くにあった椅子に腰掛けてもらう。トレードマークとなっている黒い杖も拾い上げ、その手にそっと差し出した。


「先週も来てくださりありがとうございます。イギリスの方に買い付けに行っておられた帰りだったとか」

「はは。まあね。いやあ、高耶くんの演奏を聴いて、一発で疲れが取れたよ。君が店に出ると聞いた日になんとか帰って来られて良かったと、あの日は本気で胸を撫で下ろしたねえ」


トラブルがあって、飛行機の時間がかなり遅れたらしい。そこで、キャンセルが出ていた前の便に変更したという。全ては高耶の演奏を聴くため。


「そうでしたか。あまりご無理はなさらないでくださいね」

「なんの。買い付けに行けなくなっても、あの店には通わせてもらうでな」

「ありがとうございます」


彼は大和いづき。エルタークの客の一人だ。高耶がピアノ演奏をし始めた当初は、フロアのスタッフの仕事もしていた。当時はまだ高校生。お酒が入る前の時間なので客入りも少なめで、その時には、お客と話をすることもあった。その頃からの知り合いだ。


「ところで……高耶くんはもしや……橘家を知っていたりするか?」

「ええ。ご当主の蓮次郎さんにはよくお世話になっています」

「っ、橘家のご当主と! そうか、それであのようなことが……力のある陰陽師は、式神を人化させることが出来ると聞いているんだ。高耶くんは……」

「そうですね……それなりには……」

「それはすごい!!」


キラキラと、少年のような目を向けられ、高耶は苦笑するしかない。


「大和さんは、橘家と契約されているんですか」

「ああ。そういった所と繋がりがなければ危ないことがあるとな……今回のこともだが……」


古美術品というのは、念が込もりやすい。中にはそれこそ呪われた品というのも多く存在する。


意図的ではなく、長い年月をかけて込められた念が、呪いのようなモノに変化してしまうのだ。


それを見つけ出し、時に念を祓い、時に封じるため、古美術商は陰陽師家と契約をする。大和家は橘家と契約しているらしい。


「大和さんのしていたこの指輪とあの男が手にしていた剣からは、橘の術の痕跡が感じられませんでしたが」

「この指輪は、大和家に伝わる指輪だ。それこそ、大和家が古美術商を生業なりわいとする頃に手に入れた物でな」


そこで高耶も思い当たる。彼と出会った頃から、この指輪は必ず指にはめられていた。古い物特有の力は感じていたが、それが悪いものだという感じは受けなかった。だから、高耶も気にしていなかったのだ。そういう、代々受け継いでいくアンティーク品などに、あって然るべき力でしかなかったのだから。


「なるほど……たまたまあの剣と今回出会って、共鳴したということでしょうか……あの剣は?」

「あれは、この場に出す物ではなく、たまたまここに私が居るからと、鑑定が終わったあれをここに届けてもらったのです。箱に入れたままあの裏に置いていたのですが……突然、あの男が突っ込んできて……」


指を差された先。そこに剣を置いていたのだろう場所は、確かに突っ込んで来たという言葉が見えるほど、めちゃくちゃになっていた。


「そうですか……橘家には、こちらから連絡させていただきますが、よろしいですか?」

「はい。もちろん。お願いします!」


高耶はいづきから少し離れると、当主である蓮次郎に連絡した。そして、すぐに行くという言葉で、速攻切られた。


「……」

「どうしました?」


突然切られたという様子が見えたのだろう。いづきが心配そうに声をかけてきた。


「あ、いえ。すぐに行くと言われました。当主が来ますので、大丈夫かと」

「た、橘のご当主が……っ、私も一度しかお会いしたことがないのですが……」

「お気になさらず。今回のような場合、当主抜きでの対応の方が、後々問題になったりしますので」

「はあ……なるほど」


そこで、救急隊がこちらに来た。


「そちらの方々にお怪我はありませんか?」

「大丈夫です。驚いて座り込んでいただけですので」


いづきが答えると、救急隊は頷いた。


「わかりました。あ、お疲れ様です。秘伝のご当主。確認をさせていただきたいのですが」

「ああ。あれは悪魔系の呪いだったようです。骨も残らないやつですね。天使の力で祓いましたので、呪いは残っていないと思いますが、身体的な変化は確認してください」

「承知しました。では、失礼いたします」

「お願いします」


救急隊はこれでと、去って行った。


残ったのは、警備員二人。店長が救急隊を見送っている間の監視だろう。特に何もせず、留まっている。


そこに、瑠璃るりが戻ってきた。


《高耶さん。一つ、封じがかけてあるですが、解いて対応しても?》

「封じか……蓮次郎さんが来るまで待とう。後はどうだった?」

《同質のものが二つ。それは祓っておきました》

「助かる」


悪魔系の呪いを陰陽師達が祓おうとすれば、とても手間がかかる。術の質が違うためだ。それを、高耶は瑠璃が居ることによって苦もなく可能としていた。


そこで、今まで大人しくこちらの様子を窺うだけだった俊哉が口を開いた。


「なあ、高耶。そのお姉さん、天使?」

「天使だな」

《はい》


穏やかに微笑まれ、俊哉達は見惚れる。


「……マジで天使……っ、いやいや。天使とかもう訳わからんから! どうなってんの!?」

「それは、私も聞きたいねえ」

「……蓮次郎さん……」


そこに、蓮次郎がやって来たのだ。


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