第006話 ほどほどに
高耶が小学生の時は、学校に送り迎えをする親というのは珍しかったが、現在ではそうでもないようだ。
校門にはちらほらと迎えに来たらしい親達が子ども達が出てくるのを待っていた。
そんな中へまだ大学生の、一見してオタクっぽい高耶が近付けば、親達は警戒の目を向ける。少々居心地が悪いが、気付かないふりで待っていると、優希の姿が見えた。
「おにぃちゃんっ」
満面の笑みで駆け寄ってくる優希。本気で嬉しいのか両手を上げて重いランドセルに上下に揺られながら走ってくる。だから、高耶はそんな優希を軽々と抱き上げた。
「勉強頑張ったか?」
「がんばったよっ。きのうのおべんきょうのところをやってね。せんせいにほめられたっ」
「よかったな」
「うんっ」
普通の親子よりも熱烈な状況に、周りにいた親達は驚き、子ども達は羨ましそうに見上げる。これで不審人物認定は取り消されたかと高耶は胸を撫で下ろす。
しかし、今度は違う意味で注目を浴びてしまったようだ。
親達は子ども達をまるで回収するように連れて帰っていく。抱き着いてお帰りなんて保育園や幼稚園のように迎え入れる者は少ないようだ。
それもそのはずで、迎えが珍しくない理由は、子どもの独り歩きが安心できない世の中になったとも言えるのだが、一方で、時間に追われる子ども達が多くなったためだ。それもこれも、親達が過剰な期待をするからだろう。
彼らは学校が終わるとすぐに習い事に送られていくのだ。
「ゆうきちゃん、ばいばい」
「あ、はなちゃん、ばいばい」
母親に連れられて帰って行く友達に優希が手を振っている。
「はなちゃんね。これからばれぇなんだって」
「バレー……ダンスか?」
「だんす? ちがうよ?」
首を傾げる優希にもしかしてと確認する。
「バレーボールか?」
「そうっ。ぼーるっていってた。おててがいたいんだって」
「へぇ……今時はそっちもありなのか」
ダンスやピアノよりも、スポーツ系の習い事をする子どもが最近は多いようだ。その場合、親は結構な確率で運動音痴だ。
これは、子どもには苦労させたくない。自分と違って運動のできる子になって欲しい。という願望が向けられてしまった結果だろう。
小さい時に『ピアノを習っていたら』とか『格闘技をやってみたかった』といった親達のやってみたかったが、なぜか子ども達に反映される。
『色んな事を経験させて、可能性を広げてあげたい』なんてもっともらしく言う親が多いのは困ったものだ。
アレコレと手を出させて、合うものを見つけてあげたいという願いは、残念ながら見合う結果を出すことはないだろう。
子どもにもう行きたくないと言われれば『合わなかったのね』と鞍替えさせる。そうするとその先でも同じことが繰り返され、結果、何一つやり通すことのできない人間が出来上がる。
これに気付くのは、親になってからでは遅い。何にも興味の持てない子ども達は、今現在量産され続けている。いわゆる『ゆとり世代』なんてのは国が作ったというより、こうして親達が未だに率先して作り出しているのだろう。
その子ども達は大きくなり、仕事を持つようになっても本質は決まってしまっており、仕事に興味を持てないでダラダラとただ惰性だけで生きる残念な生活が待っている。やり遂げた事がないのだから、どうすれば出来るかを考えないのがいけないのだ。
そして、指導する者達の心は荒み、どうして認められないのか分からない若者達は不満が募り、影食いの餌食になる。
「なんて不毛な連鎖だ……ここか? ここが温床なのか?」
まさにこの場からそれが始まっていると感じて高耶は頭を抱えたくなった。
「おにぃちゃん? どうしたの?」
「ん? ああ、あの子らもお母さん達も忙しそうだなと思ってな」
「ん?」
困ったことに、この現代の風潮は、習い事に送り迎えをしなくてはいけない親達も病ませていく。時間に追われ過ぎなのだ。自分で自分の首を絞めているので、文句は言えないのだが、それがまた彼らを追い詰めていく。
「嫌な感じだな」
「おにぃちゃん? かえろ?」
「そうだな」
高耶は同情する目を親達に向けながら、優希を抱いたまま通学路を辿った。
そうして歩いている間、高耶は周囲を注意深く観察する。
「なぁ、優希、最近通学路で変な人とか見てないか?」
そういえば、男か女か、年齢や特徴など聞いておけば良かったなと後悔する。
「う~ん……わかんない。でも、へんなひとがいたら、ついていかないようにきをつけるよ?」
「おっ、えらいぞ。知らない人には近づかないようにな」
「おはなしされても?」
「『おはようございます』と『こんにちは』は言っていいけど、近付くのはダメだ」
「は~い」
子どもには危険が分からない場合がある。呼ばれたからと近付いては危ない。相手の隠している悪意を察しろとは言えないのだ。
例えば、倒れそうになってきた男の人を支えてあげようとする。しかし、男のそれは見せかけで、子どもの体を触りたいためかもしれない。
子どもは善意で対応しようとしているのに、それを騙すことが大人にはできるのだ。これに対処するには、今はまだ近付かないのが一番だろう。
「あっちのみちに、わらってるおにいさんがいるけど、つうがくろじゃないから、ちかづかないんだよ?」
少し何を言ったのか分からなかったが、何となく意味は分かった。
「お兄さん? 一人で笑ってるのか? そいつ、いつもか?」
「え~っとねぇ……がくねんげこうのときだけ」
「……黒いな」
そいつが怪しい。
「どこだ?」
「ヘンなおにいさん? あそこのみち。カナちゃんとミユちゃんが、あっちにいったほうが、ちかいって、とぎどきいっちゃうんだ」
住宅街の密集地だ。子どもによっては、決められた通学路を通るよりも家に近い道は多い。細い路地など、団体で通るにはいいが、幼い子どもだけでは危ない場合もある。その辺も考えられて通学路が設定されているのだろうが、そんな事情を理解できる子は少ない。
「ん? カナちゃんとミユちゃんっていうのは、ケンカしたお友達じゃなかったか?」
「うん。あ、あそこ」
昨日、泣くほど怒っていたのに、今日はもうケロっとしている。子どもの喧嘩なんてそんなものかと呆れる。ある意味、根に持たないのは良いことではある。
優希が指差した方には、二人の子どもがいた。一人は茶色いシックなランドセル。もう一人は黒に近いネイビーだ。赤だから女の子、黒だから男の子と一目で判じ得ないのは、こんな時不便かもしれない。
「ちゃいろがカナちゃん」
否、知っていれば人物まで特定が出来て便利なのだろうか。
よく目を凝らす必要はなかった。黒い靄のように、影食いはその人物を包み込んでいた。高耶には辛うじて顔が判断できるといった具合だ。
「優希、掴まってろ」
「うん」
ぎゅっと首元に腕を巻き付ける。それがなくても落とすつもりはないが、気持ち的には余裕ができる。
車道を挟んだ反対側。車が一台しか通れない一方通行の細い路地。そこで、自転車を脇に置いた男が少女達に手を伸ばそうとしていた。
高耶は跳ぶようにガードレールを乗り越え、道を渡ると、微かに少女達の声が聞こえてくる。
「やだっ」
「カナちゃん……っ」
二人は、男に肩を掴まれて震えているようだ。
「お兄さんと遊ぼうって言ってるだけだろ?」
そんな言葉は、いやらしい声音で発せられており、目はギラギラと黒い靄の中で光っていた。
明らかに怯える少女達と、それを笑う青年なんてものは放っておいていいものではない。しかし、それをちらりと見たはずのベビーカーを引く女性や、眉間に皺を寄せたスーツ姿の男なんかは、見なかったことにして通り過ぎていく。
舌打ちしたい気分でそれらを見ていた高耶だったが、駆け付ける前にそこへ一人の老人が向かっていく。黄色い帽子と手にした旗を見れば、それが『見守り隊』の人だと分かった。
「おい。何をしている。子どもが怖がっているだろ」
声をかけた老人に、青年は嫌そうなものを見るような目を向けた。
「なんだよ。ジジイ。この子達が通学路とは違う所を歩いてたから、ちょっと声をかけただけだろ」
「なら離してやれ」
「は? 注意してあげようとしてるのに? 俺が悪いんじゃないだろ」
確かに、悪いのは通学路から外れた少女達だ。しかし、その顔には抑えきれない欲望がチラついている。
「警察を呼ぶぞ」
「何言ってんの? 俺がこの子らのお兄さんだったらどうすんだ?」
「そうは見えない」
子ども達は動けない。だから老人は歩み寄り、それを助ける事にしたのだろう。当然の流れだ。
「いいから、離しなさい」
「うるせぇっ!」
静観すべきかと迷っていた高耶は、青年の足が老人に向かうのを見て駆け出す。一瞬の後、高耶はその青年の足を受け止めていた。
「なっ、なんだお前ぇっ」
「年長者に足を上げるとは、どんな教育を受けたんだ?」
足を下ろさせると、真っ直ぐに青年と向き合う。そこで少女達の肩にあった手が離れたので、高耶はまず一人を優希を支えていない腕で拐い取り後ろへ逃がす。
「ミユちゃんこっちっ」
もう一人もと手を伸ばしかけた所で優希が叫んだ。そのおかげでミユちゃんと呼ばれた子どもは高耶の方へと駆けてくる。
そんな動きを見て不利を悟った青年は、折りたたみ式の小さなナイフを掲げ上げていた。
「邪魔すんなよっ!」
「お前……バカか」
「なんだとっ!!」
優希を抱えたままの状態で、高耶はそのナイフを持った手を捻り上げる。同時に影食いを浄化した。
掴んだ腕を横に引き、態勢を崩させると、足を払って青年を地面に打ち付ける。その反動でナイフが飛んだ。それを危なげなく受け取り、何事もなかったかのように刃をしまう。
そこでふと、ナイフを自分が持っていては誤解の元と思い、老人に差し出した。
「これ、預かってください」
「あ、ああ……」
高耶は仰向けに倒れた男が起き上がろうと体を伏せたのを確認して、男の上にどしっと座ってやった。身動きの取れない場所というものがあり、そこをしっかり押さえる形だ。
「ぐぇっ……っ」
「つぶれちゃうよ?」
優希は目を丸くしながらもしっかりと高耶に掴まっており、座った振動で目を瞬かせるとそう高耶に指摘する。
「いいんだよ。ちょっとお仕置きしないとな」
「ふぅ~ん。おにぃちゃん、つよいね」
「そうか? それより、この悪いお兄さんを捕まえてもらうから、ちょっと電話するぞ」
「は~い。しずかにしてる~」
「よし」
この状況でも普段と変わらないのではないかという兄妹の会話に、一連の騒動を目撃した人々や老人、助けられた二人の少女達は、一言も発することができずにいた。
周りが混乱する中、高耶は優希を相変わらず抱き上げたまま、青年を下敷きにして、呑気な様子でスマホを胸ポケットから取り出すのだった。
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