第99話 魔神王フェンリルvs白雷の騎士イルフェルト

「私は王国近衛騎士団長、イルフェルト・バーンシュタイン。貴殿をこれ以上先へは行かせぬ……」


 イルフェルトは、フェンリルと相対し、静かに、しかし猛々しく名乗りを上げた。それだけでも、フェンリルのイルフェルトへの評価は高まった。

 いったいどれだけの人間が、この魔神王と対峙できるのか。


「我が名は魔神王フェンリル。押し通るのみ」


 メイヴァーチル以来だった、渇望していた強者との対峙。フェンリルは歓喜に打ち震えた。その闘争を生業とする者らしからぬ男の静謐そのものの眼差し、フェンリルの脳裡にノイズが走る。


 我こそ全てを破壊する剛、絶対的暴力の化身。


 眼前で剣を携えている男は、力の為に全てを捨てたフェンリルとは対極。対極故すぐに理解できた。

 この男はきっと人として、騎士として地道に鍛錬を積み上げ、王国の為に敵を屠り続ける日々を送って来たのだと。


 才能、技能、或いは武器、神の加護を頼りに戦うという有象無象の次元ではない。むしろ、フェンリルはイルフェルトを、騎士狩りと謳われたアイリーン、ブランフォードのマーリア、そしてカゼルの同類だと判断した。


 センスが要るなら、センスの獲得まで鍛錬を積む。技が己の身体に馴染むまで叩き込み続ける。そういう、愚直と呼ばれて仕方のない地道な鍛錬の幾千幾万の日々が、魔神王と対峙する死地にて平静という矛盾を成立させている。


 それは激情に任せた狂気や、魂に科された宿業では至れぬ境地。


 剣の閃き以外一切を闇に沈めたアイリーンは、無明剣に至った。

 カゼルはその宿業とも言える憎悪ゆえ、絶対鏖殺へと至った。

 地道な鍛錬の果てにイルフェルトが辿り着いたのは武の極限。


 捧げ続けて来た万日ばんじつの鍛錬と、幾千の敵を屠って来た殺戮の日々を以て、貴様はこの魔神王オレの終焉を見せてくれるのか?


 フェンリルは期待に似た、何か名状し難い感情にくっくっと嗤っている。

 "人類の完全支配"とは言ってみれば"魔神帝国"としての"事業目標"。それとは別に、彼には個人的な願いがある。

 それは幾億の夜を越える修羅道の果て、"終焉を告げる者"である己の終焉の景色を見届ける事。即ち、自らの死、或るいは魔神王フェンリルの消滅。それを叶えるだけの強者との邂逅。


 イルフェルトの眦は決している。死地と知りながら、それでも敵を屠りに来た目をしていた。同じだった、黒鎧おれたちと。


*


 イルフェルトの単騎駆けは、結果的には善手に近いと言える。戦の基本は数、数が物を言う。しかし人々の憎悪を糧にする魔神王に対するのならば、下手に多勢を恃み、紅雨等の広範囲魔術によって餌食にされるより、戦力の高い者のみで仕掛けた方がまだ消耗戦に持ち込める可能性が高い。


 ただ、その答えを導き出した上でそれでも単騎で挑める者はそうは居ない。余程の豪傑か、愚か者。魔神王の見立てでは、前者。

 憎悪ただ一色に染まったフェンリルの中に、たまらなく愉快な気持ちが溢れて来た。


 その尾を引きながら、フェンリルが仕掛けた。大柄な体躯と重装甲を思わせぬ人ならぬ敏捷、それを真っ向から裏切る剛の一撃。イルフェルトは自身の技量の総動員で弾き返した。


 普通にぶつければ、細身の刺突剣でフェンリルの大剣を受けられる筈はない。

 魔神王の振るう大剣を弾き返す程の電磁力を伴った渾身の受けで、漸くイルフェルトは難を逃れた。


 ピシャ、と空気が膨張する。イルフェルトが雷に姿を変え、間合いを詰めて剣を振り翳す。


斬雷スラッシュ・ライトニングアルファ


 先の斬雷スラッシュ・ライトニングで仕留め切れなかった以上、イルフェルトは更に魔法の出力を高めた上で太刀筋を改めた。この死闘の中、即興でフェンリルの左腕と左脚部を焼き切って見せる。


「終わりだ、魔神王」


 走る稲妻、再び大気が哭いた。雷迅でフェンリルの頭上を取ったイルフェルトの"雷葬襲"。猛然と刺突の一撃を放つ。


「ふん!」


 だがそれも一度見た技だ、フェンリルは首を捻って刺突剣に頭部の角を叩き付けた。

 意図を察知したか、イルフェルトは剣を引いて攻め手を緩める。捻れた角で剣を絡め取るという離れ技。


 フェンリルの左腕と左脚は当然の様に溶着した。


 どろり、と幽霊の様に突如踏み込んだフェンリル、存分に勢いの乗った大剣の打ち下ろし。

 イルフェルトは剣に雷撃を纏ってその剛打を弾き返す。打ち下ろしが加速しきる前に、電撃の反発力と鍛え抜いた腕力を総動員して漸く防いだ。

 それは剣技も魔法も、磨き抜かれた強者のみに許された所業。


「素晴らしいな……イルフェルト、お前も魔神デーモンにならないか」


 フェンリルは機嫌も良さそうに尾を振り乱す。先程まではまだ人型だった、戦いの中憎悪という業火を身に宿し、着実に魔神として進化しつつある。無論鎧の内にある"魔神形態"も、だ。


「戯れ言を」


 イルフェルトは剣を振り払い、上段に構えた。通常の剣技の間合いではないが、構えに一切の隙は無く、刺突狙い。


「いいや、なるべきだ。貴様はその力を、"人類の完全支配"の為に生かすべきだ!」


 フェンリルは得物のマスティフを構える事さえしなかった。代わりに演説するように両手を広げた。


「国家などに忠義を尽くして何になる?貴様はその力を、下らぬ弱者を助ける為に消耗しているに過ぎんッッ!」


「くどいッ!」


 


「ぐォおああ……!」


「弱者を護らずして、何が騎士だ」


 イルフェルトがフェンリルの頭部の亀裂を狙うのは当然だ、貫通した刺突剣から紫電が迸る。

 更に斬雷・改の二連撃。一撃で倒せぬなら更に二撃叩き込む。その魔法発動と剣技に耐え得る肉体を日頃から鍛え上げておくこと。実にイルフェルトらしい技だった。


「ぐおァッ……!」


 雷撃魔法が得体の知れない金属で出来たフェンリルの外骨格を疾走する、凄まじい出力の雷撃魔法を受けて再びフェンリルは膝を付いた。

 雷撃魔法。放電現象、大気を走る稲妻とは、人間が思っているよりも遥かに高密度なエネルギーなのだ。


魔神デーモンなど力に溺れた破壊主義者の成れの果てだ、くたばるまで斬り倒す!」


 "雷迅"。イルフェルトが放電した雷と化して魔神王に斬り掛かる。


 初手は雷迅の勢いを乗せた"雷葬襲"。それも決定打にはならぬ、追い討つ斬雷の二連撃。三連撃。イルフェルトは、己が研ぎ澄ましてきた武の全てを叩き込んだ。

 斬雷は一撃でも人間が蒸発する様な威力。生物にこれほどこの技を叩き込んだのは初めての経験だった。


「……弱者は淘汰されて然るべきだ。己の力で生きれぬ弱者を生かすなど、それは人間のエゴに過ぎん」


 先程からイルフェルトの"斬雷"の直撃を受け続けていたフェンリル、とうとうイルフェルトに斬り返す。


 一切を破壊するべく薙ぎ払われるマスティフ。イルフェルトは剣の腹と左腕のガントレットで咄嗟に防いだが、飛び込んだ矢先"雷迅"の速度がむしろ仇になった。


「ぐ……ッ」


 瞬時に回避に"雷迅"を使う、光の速度でイルフェルトは退避した。

 防御は完璧と言っていい感触だったが左腕の甲冑が砕け、骨が飛び出している。

 左腕はもう用を為さないが、それでもイルフェルトは怯まなかった。雷迅の機動に捻りを加え、魔神王の狙いを攪乱する。


 だがそれでも、次第次第にフェンリルがイルフェルトの超高速移動に対応しつつある。その異形の眼がそれぞれ、イルフェルトの動きを視認する。三度に一度だったのが、二度に一度、フェンリルが斬り返す。仕舞いには"雷葬襲"がフェンリルに通る事が無くなった。


 何のことはない、フェンリルの目が慣れて来た。仮にも帝国軍特務部隊の長だった男の成れの果て、一度見た技はそう何度も通じない。そして魔神王を滅殺するつもりで雷撃魔法剣を叩き込み続けたイルフェルトが、それ相応に消耗しただけのこと。


 代わりに、フェンリルがイルフェルトの"雷迅"の超高速の踏み込みへ攻撃を合わせる回数が増えていく。巨体の重武装ながら、"雷迅"の発動前に斬り掛かる事も増えた。イルフェルトは致命傷を避けつつも、自らの血で赤く染まった。


「ぜッ……はッ……」


 肩で息をするイルフェルト、稲妻と共に振るわれる神速の剣が見る影もなく鈍った。フェンリルは悠然とした立ち振る舞いのまま、イルフェルトに合わせて攻め手を止めた。


 イルフェルトとて、ハナから魔"神"を殺すつもりで剣を振るっている。

 途方もない研鑽の果てに武の極限に辿り着いたのだとするのなら、人とて神をも屠れるかもしれない。


 だが眼前で、悠々と戦いの真似事をして人間と遊んでいるのは魔神達の王だ。


 通じない。攻守に優れ、至高と謳われた女神の雷撃魔法がまるで通じない。

 積み上げて来た研鑽。努力。血の滲む様な修練の日々が。先人の遺した技。


 こんな事があるのか。

 こんなに容易く負けるのなら、俺の人生はいったい。

 王国近衛騎士団長とは……


「……オオオォォッッ!!」


 足元が、自分そのものが、一切崩れ去る様な感覚。不安ごと断ち斬る様にイルフェルトは吠えた。矜持もかなぐり捨て、"雷霆一閃"。フェンリルに斬り掛かった。


 胴から上を真っ二つに焼き切られたフェンリル。次の瞬間には再生が始まった。ただ単純に、下手に防いで大剣の刀身を傷めるより、外骨格を再生させた方が魔力効率がいい。

 自分より速い相手は肉を斬らせて骨を断つ。この戦術はグラーズのそれをより洗練したものと言える。


 フェンリルにはイルフェルトの絶望が痛い程分かった。


 だが世界は"そんなもの"だ。弱ェってのはそういうことだ。

 弱者はすべてを奪われ消え逝くのみ。


 フェンリルの迅速たる踏み込みが両者の間合いを殺す。肩に担ぎ構えた大剣の柄頭の叩き付け、即座に打ち下ろし。受け損ねたイルフェルト、瞬時に雷迅を使って躱す。


「誇るがいい……貴様の武、魔法、いずれも極限の域にある」


 ビシャ、と血が地面を彩った。


 魔神王の打ち下ろしを躱し切るには一瞬遅かった。イルフェルトは右目、右胸部を切り裂かれた。


 マナを使い果たし、肩で息をするイルフェルトを前に、傲然と賞賛の言葉を口にする魔神王。焼切られた外骨格の亀裂も見る見る内に塞がっていく。


 その身は世界に憎悪が満ちる限り、不滅の厄災だ。


「俺も人間だった頃は力を求めた、今の貴様と同じ様にな」


「そして俺は魔神デーモンになって人間を超越した。しかし貴様は人間の"極限"に過ぎん」


「魔神になれイルフェルト。貴様ほどの騎士、殺すには惜しい」


 憎悪の悪魔が修羅の道へ誘う。そして力を手にしろ、と。

 悪魔との契約は何時だって甘露だ。


「……」

 

 イルフェルトには応じるつもりは毛頭ない、しかして彼も心に修羅を飼っている。そいつが静かに囁いている。


『魔神に成ってその化け物を倒せ、それがお前の……』


「イルフェルト!無事か!?」


 女だてらに戦場に良く通る声。イルフェルトが騎士の叙勲を受けた、忠義を誓った相手。エストラーデとその騎竜カーリアス。

 魔神王に敗れた騎士を助けに来る女王。これではあべこべだとイルフェルトは自嘲気味に笑った、彼女のお陰で修羅から遠のいた。


「エストラーデか」


 フェンリルは目だけで見上げた。


 丁度いい。イルフェルトの魔神化への生贄に、実に誂え向きの人間が現れたではないか。"黒影隷呪"で強制的に捧げさせれば、イルフェルトを魔神化できる。


 ……が、魔神の俯瞰的思考がその悪辣に過ぎたフェンリルの思考を改めさせた。

 幾ら悪魔だからと言ってやって良い事と悪い事がある、とベレトやベリアル辺りに説教されるところだ。


 何故なら魔神デーモンはその業に縛られる他は自由意志の存在だ。魔神への転生の成り立ちが歪んでいると、まず間違いなくフェンリルに反旗を翻すだろう。

 だからツヴィーテを無理に魔神にする事はしなかった。まして、イルフェルト程の使い手が魔神化して敵に回ると少々厄介に過ぎる。計画にも支障を来すだろう。


 あの爆炎の女王が何を思ったかは知らないが、律儀に一騎討ちの作法を守って手出しして来ない以上、こちらも"紅雨"などで手を出すのは無粋というもの。


 人間の時間基準で物事を考える癖がまだ抜けていない。

 力を求める者には、ただ与えてやれば良い。


「その男を連れて行け、マナ切れで最早戦えまい」


「陛下……どうか、御自重……」


 消耗の激しいイルフェルトは意識を失った。


「魔神王、貴様……どういうつもりだ……」


 エストラーデとて、この異形の化け物によもや情けがあるとは思っていなかった。


「……挑まれたから受けた迄の事。"勝負"は尋常だった」


 魔神王は大剣を地面に突き刺し、がしゃ、と腕を組んだ。


「退けば見逃してやる、と言っているのだ。代わりにジェイムズに伝えておけ、『地獄を見ぬ内に自分でケジメを付けろ』とな」


 イルフェルトの落雷に焼き尽くされた木々は白く砕け、石や大地は赤く融解している。それでも憎悪が世界の全てを黒く塗り潰す。


「所詮、人間がいくら藻掻いたところで何一つ変えられはせんのだからな……」


「……退くぞ!」


 エストラーデは、力尽きたイルフェルトを抱えて飛び立った。竜騎兵隊もそれに追従する。

 フェンリルは一瞥すらくれない。ただ舞い上がった白い灰の中、漆黒の魔神として其処に立って居た。


 魔神王の進撃は止まらない。

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