第48話 折れた牙、脆き心。
すべてを捨てて力を求めた。
刃向かう奴は殺し、復讐することだけを思って生きてきた。なのに何故アイツに勝てない?
俺に、いったい何が足りない?
「大丈夫ですか!しっかりして下さい!」
遠くで誰かが叫んでいるような気がした。
王国の影響によるものではない。
時期的に自然な雨期の始まりだろう、このところ湿度が高かった。帝国の渇いた大地さえ抉る猛烈な雨が突如降り出した。
雨に打たれながら、カゼルは力なく横臥している。穿かれた腹部から流れ出る血が、降り注いだ雨を赤く染める。
「この人、特務のカゼルさんだ!」
「急げ、死なせるな!帝国病院に連絡しろ!」
……衛兵諸官等の努力を不意にするようで恐縮だが、このまま死なせてくれると有り難いんだがな。
そう、ニヒルに笑って口を開こうとして、出てきたのは血の塊だけだった。身体を起こす事さえ億劫だった。剛力無双とたのんだ己の肉体が、鉛になったかのように重たく感じた。
カゼルは己の意思に反して瞼を閉じた。
*
カゼルは闇の中、意識を取り戻した。
委託医師イェレーナの個人病院なのか、急患対応の帝国病院なのか判別は付かなかった。委託費を鑑みれば、イェレーナとて深夜に叩き起こされても文句は言えぬ筈だが。
しかし待てども暮せども、闇に眼が慣れなかった。
そも、一般的な闇夜程度ならカゼルは視認できる。
次第にカゼルは、その"無明"の闇が現実のものではない事に思い当たった。まるで、毎夜見る悪夢の中に閉じ込められたように感じた。
死んだのか?
それにしては、意識と記憶が継続している。
そう言えば、王国のアバズレ女神が喚び出す勇者どもも、闇の中からアバズレ女神に救い出されてこのアルグ大陸にイセカイ・テンセーするのだとか。
"尋問"した結果分かっている。
笑わせてくれる。
闇の中でもがき続けてきた俺に、闇から救われる事を求める者が勝てる道理などない。
同様に、一切の光さえ無くした"無明"の闇こそ己の寄る辺としたアイリーンに闇の中をもがくだけの俺が勝てないのも道理だ。
カゼルは力強く握り拳を作った。
アイリーンも、"顎無し"も、追放者どもは全員殺す。必ずこの手で葬ってやる。
しかし、その決意はどこか覚束ない。
まるで地に足が付いていないかのようだ。
その理由について、しばらくカゼルが思案していると、ふと闇の中に何者かの気配を感じた。
闇ではない、次第にそれが現実にはあり得ぬどす黒い炎だと気付いた。その炎に焼かれる"何か"がいる。
それは、力強く歩み寄ってくる。
少しずつ輪郭が露わになると、カゼルはそれが巨大な黒い狼の化け物だと認識した。
血がこびり付いて黒々と染まったような毛皮に、赫灼と闇を照らす業火を纏っている。闇そのものであるかのようなどす黒い炎が、この無明の闇を照らしている異様な有り様、その理解を超えた光景にカゼルの背筋に悪寒が走る。
それ以外に浮かんだ感情は、懐かしさ。
まるで、ずっと昔からこの化け物を知っているような。
カゼルは長く、アルグ大陸で人も獣も亜人も問わず戦い続けてきたが、こんな魔獣は見たことがない。
その化け物は、四つある目でこちらを睨みながら唸り声を上げている。何の冗談か、カゼルと同じ赤褐色の瞳だ。そして人の言葉を話すのだとしたら、なにやら文句を言いたげにしている。
「ゴルルルル………!!」
地鳴りのような唸り声の後、その狼の化け物はカゼルに語り掛けてきた。
「弱い。弱いぞ、カゼル・ライファン・ブランフォード。今更お前は救済など求めているのか?手ぬるい、笑わせる……!」
家畜とされている馬や犬とは訳が違う、魔獣のような邪悪さとその知性。
どちらかというと、その気配は帝都で人に扮している魔神アスモデウスなどに近い。
その狼の化物は、禍々しく獰猛な見た目とは裏腹にやけに流暢なリサール語を話す。
「なんだ?テメェは」
「……
「なに言ってやがる、鏡を見たらどうだ?犬野郎」
「我は貴様が心に燃やす憎悪の顕現、貴様の"力"の根源なり」
狼の化物は、あろうことか自分がカゼルそのものだと語った。
「俺の力は俺が鍛えて身に付けたモンだ」
「分かっていない、お前は何故苛烈な鍛錬を己に課した?血で血を洗う闘いに身をおいた?」
狼が、くくく、と含み笑いをこぼす。
悍ましいほどにカゼルと同じ嗜虐性。
「憎かったからだろう?お前を遺して死んだ母が。お前を出来損ないと呼んだ父が、姉弟達が!お前を見捨てたブランフォード家が!」
「知ったような口を叩く」
「
狼は不快な嘲りを込めてそう言った。
カゼルは他人を嘲るのは好きだが、嘲られるのは大嫌いだった。
今すぐその得意げな四つ目を全て抉り出してやりたい衝動に駆られる。
「人は"力"で従える、お前の眼には利害しか映らない」
カゼルの衝動とリンクして、狼の毛皮を焼く黒い炎が燃え上がった。
「悲しみなど抱かない、涙など枯れ果てた。お前の血は凍て付いている、今更救済など求めるな。まともな人間のフリをするな。受け入れろ、お前は"そういう"人間なのだ」
「フン、顕現だか駄犬だか知らねェが、説教がしたくて化けて出てきたのか?」
「左様、忠告してやろうと思ってな。貴様は憎悪ゆえに生き、愛ゆえに死ぬ男。ゆめ忘れるな」
「なまじあの女を妻などにしたから、貴様は
マリエッタのことを差しているのだろう。
彼女と共に過ごした日々は、暗澹としたカゼルの人生にとって唯一の光明だった。
「……」
だが、今はその光が闇に堕ちたカゼルを焼いている。
「あの女を失って貴様はすべてを憎んだ。更なる"力"を得た!素晴らしい"力"だ。研ぎ澄まされ、狂気でもって練り上げた絶対的暴力!」
この闇を赫く照らす業火が勢いを増したが、その勢いはやはり"なにか"に食い止められている。かつて愛したマリエッタの存在と記憶がカゼルをこの憎悪の奔流とも言うべき漆黒の炎に飲まれる事を食い止めているのかもしれない。
しかしそれこそがカゼルの罪悪感の源泉でもあった。
マリー、お前は俺と出逢わなければ……
「……だが、まだ"贄"が足りぬ」
狼の化け物が涎を垂らし、唸る。
「アイリーンと言ったか?あの女の言うとおりだ。お前の怒りも憎しみもまだ温い!すべて
「あの女が手を組んでいるのは貴様の妻子と仲間の仇、グラーズ・エイブラハム・リサール。今は、"顎無し"か。貴様は顎を砕いただけで満足か?」
「何故奴の名を知っている?」
「貴様は
「我は貴様が知る以上の事は知らぬ。本当は貴様も知っているのだ。帝国議会の資料を読み漁り、貴様は妻子を殺した男の情報を掴んでいる。思い出せ!」
「……」
カゼルは押し黙った。
「貴様は脳も記憶も酒で焼けているが、本当は理解している」
「……黙れ」
「アイリーンは最初から一度だって貴様の味方じゃあない、母を知らぬ貴様の心の隙をついて貴様に取り入った。あの女は最初からグラーズの仲間だ」
「黙れッつってんだ!」
「知っていながら、気づいていないフリをしている。記憶の片隅に追いやって、真実から目を逸らしていた。その結果、お前は仲間も家族も失った」
「テメェなんぞに何が分かる!」
カゼルは怒りに任せて狼の化物に殴り掛かった。
しかし、拳はなんの手応えもなく通り過ぎた。
代わりに、カゼルの身体にもそのどす黒い炎が燃え移った。
「うッ!?おわああああッ!!?」
カゼルは炎上しのたうち回る。
何が恐ろしかったかと言えば、そのどす黒い炎はカゼルにとってやけに温かった。
禍々しく燃え上がるどす黒い炎を、心地良く思う感触がどうしようもなく悍ましかった。
「再び奴等と相まみえる事があれば、お前は身も心も修羅と成り果てるだろう。お前は何よりもそれを恐れている」
「……」
「修羅に堕ちる。それこそがお前にとって何よりの救済であるにも関わらず、な。恐ろしいか?仲間を失うことが」
「よもや帝国の民の為に戦っているなどと、思っているのではあるまいな」
「いい加減、下らぬ欺瞞で己を騙すのは止せ」
狼の化け物は声を張り上げた。
「思い出せ、貴様が戦う理由を!存在する訳を!復讐ですらない。貴様はただ
「俺は帝国特務騎士だ、修羅だかなんだか知らねェが……」
「まだガキの騎士ごっこを続けるつもりか?今のお前のどこが騎士なのだ?そんなだから、こんなものが目に映る。
狼の化け物が前脚を上げる。
前脚の上に、マリエッタの幻影が現れた。
悍ましい事に、この狼の化け物の両前脚にはカゼルのモノと同じタトゥーがびっしりと刻まれていることにも気が付いた。
「……テメェがあの女の幻影を見せてやがるのか、俺に忘れさせない為に!」
「違うな。この期に及んで死んだ妻に縋っているのはお前の弱さにほかならぬ」
「激情に呑まれる方が"弱い"だろ?」
「それはどうかな?思い出せ、貴様から全てを奪った者達が、のうのうと生き永らえている」
狼のその言葉で、カゼルは思い出した。
否、その狼の化け物と同じ景色を共有していた。
「頭蓋を打ち砕け、八つ裂きにしろ!奴等がお前の家族や仲間をそうしたように!」
「そう、三千世界の生き辛苦を魂に刻み込め。生を受けたことを呪わせろ!すべて、
「
がしゃん!と狼の化物を縛る数多の鎖が鳴った、その鎖も幾つかは黒い炎の為に焼け焦げ、用を成さなくなっていた。
狼の化け物を縛る鎖も、残りわずかだ。
「知ったことか、駄犬野郎が」
「ゴルルルル………つれないじゃないか、
「まあよい、お前はすぐに"力"を求める。目が覚めればすぐにでもな。いつでも待っているぞ」
この化け物が、俺の心象だとでもいうのか?
無論、ろくな死に方はしないと自負していたが、己が裡に潜んでいる獣がまさかこれほどとは思いもよらなかった。
カゼルは凍えるような戦慄を抱きながら意識を覚醒させる。
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