ちょっとした事故にしては私の怪我酷くないですか

 病室に戻った私を待っていたのは、私の代わりに荷物を整理してくれたらしいお母さんと、部屋の奥にある椅子に静かに座るお父さんだった。

「真璃、お帰りなさい」

 病室に入る私に声をかけたお母さんは、少し疲れているように見える。お父さんの方も、待たせたことに小言の一つも言ってくるかと思ったが、特にそんなことは無かった。

 先生との話で、あまり良くないことを言われたのだろうか。

 二人の様子を窺いつつスケッチブックを机に投げ置きベッドに腰かけると、お父さんが声をかけてくる。

「真璃。先生と話した事を三人でもう一度話し合おうかと思っていたが、今日はそろそろ夕飯らしいからな。私達は帰ることにした」

「そう」

 短く返すと、今度はお母さんが口を開いた。

「また明日来るからね。その時にちゃんと話しましょう」

 そう言って帰る準備をしながら、お母さんはどこに何があるのかをひとしきり説明してくれる。

 お父さんは椅子から立ち上がり黒いコートを羽織ると、扉の前に立っていた。

「じゃあ、また明日ね」

 準備を終えたお母さんが手を振って病室から出ていく。お父さんは無言のままその後に続いていった。


 静寂の訪れた病室で、私は立ち上がり、ベッドの端に畳んで置いてあった病院服に着替える。着ていた私服はベッドの横の椅子に畳みもしないで置いてしまった。

 そしてそのままベッドに背中から倒れこむと、ぼうっと天井を見つめる。

 私はこうやって特に何も考えないままただ横になるのが好きだった。

 そろそろ夕飯と言っても、十八時まであと二十分ほどある。此花さんも十八時に病室に来てほしいって言ってたし、このまま時が流れるのを待とう。

 ……そう思っていたのだが、長時間の車移動やら久々に自分と同じくらいの歳の子と話したりやらで、私の体は思っていたより消耗していたらしい。

 いつの間にか意識はまどろみの中を漂っていた。

 ……でもまぁ、少し眠るのも悪くないかもしれない。

 そんな事を思ったが最後。私の意識は静かに闇の中に落ちていった。



          ◆ ◆ ◆ ◆



『なんかさ、最近調子乗ってない?』

 ——調子乗ってるって何?


『ちょっと可愛くてちやほやされるからってさー』

 ——自分の容姿なんて、別に気にしたこと無いのに。


『絵がうまいからって別に偉いわけじゃないっつーの』

 ——私が偉そうにしたこと、一度だってあった?


『ごめん。巻き込まれるの、嫌だから……』

 ——この前まで普通に話してたのに。


 どうして私だけこんな事になるの?

 どうして私が目をつけられたの?

 どうして——……


『————ん。ひ————さん』


 ——ああ、ほらまた聞こえる。今度は何を言われるのか。


『ひな————さん』


 ……違う。これは。


『雛本さん』


 呼ばれている。誰かに——



「雛本さーん……」

 暗闇の中で声がする。体が揺れる。誰かが肩を揺さぶっている。

 目を開けると、天井が映るべきの私の視界は、心配そうな表情をした此花さんの顔で一杯になっていた。

 どうやら少し眠るつもりが、普通に寝てしまっていたらしい。

 ……しかし。

「ちょっと近い」

 言いながら、私は目の前にあるその顔を右手を上げて押し戻した。

 うぇ、と変な声を上げて後ずさる此花さん。

 私はそのまま上体を上げると、時間を確認する。

 十八時十分。予定の時間を過ぎている。なるほど、なかなか来ない私を呼びに来たのか。

「ごめんなさい。寝てしまったみたい。行きましょう」

 謝罪しつつベッドから降りると、此花さんが恐る恐るといった感じで口を開く。

「あの、大丈夫ですか?」

「なにが?」

 言葉の意味が分からず聞き返すと、此花さんは私の顔を指さしてきた。

 何か付いていたのだろうか。

 よく分からないまま顔を触ってみると、触れた指先が濡れる。……涙だった。

 いつの間に涙など出ていたのか。

 私は困惑しつつも、服の袖で両頬を拭う。

「悪い夢でも、見たんですか?」

「……別に。なんでもないわ」

 確かに嫌な夢ではあったけど、泣くほどの物じゃない。……ないはずだ。

 あんなのもう言われ慣れてる。気にしないように出来ているはずなのだ。

 なのにどうして涙なんて出ているのだろうか。……理解できない。


「みぃちゃーん? ご飯並べたよー」

 涙を拭い終わると急に病室のドアが開き、看護師が顔を覗かせてきた。

「あ、ありがとう萌姉」

 此花さんに『もえねえ』と呼ばれたその人は、「どういたしましてー」と返しつつ、こちらを見る。

「あなたが雛本さんかー。あたしはここで看護師してる中原萌果って言います。みぃちゃん共々よろしくね」

 ……萌果だから萌姉と、……美桜だからみぃちゃんか。お互いの呼び方から察するに、この二人は親しい間柄なのだろう。

 共々、と言われても、私はよろしくする気は全然無いのだが。

 しかし年上で、しかもこれからこの病院でお世話になるであろう人には、最低限の礼儀は払うべきだろうか。

「……よろしくお願いします」

 渋々といった雰囲気を出してしまっているかもしれないが、一応そう返しておく。

 そして、私たちは此花さんの病室へと移動した。



          ◆ ◆ ◆ ◆



 食器の音だけが病室に響いている。

 私と此花さんは病室内にあるテーブルに向かい合って座り、ひたすら無言で夕飯の煮魚を食べていた。

 さっきから此花さんは箸を止めて何かを話そうとはしているようだが、声には出せずに食事に戻る、というのを繰り返している。

 話題に迷っているのか、それとも私に話しかけるのを躊躇っているのか。

 どちらにせよ、私は一度きりだと言ってここに来た。このまま何事もなく終わるならそれでいい。

 そんな事を思いながら魚の骨をよけていると、遂に此花さんが声を発した。

「雛本さんは、絵を描いたりするのが好きだったりするんですか?」

 顔を上げると、此花さんもこちらを見つめていた。

「さっき談話室で会った時、スケッチブックを持っていたので……」

 そしてそう付け加えてくる。      

 私は魚に視線を戻し、淡々と答えた。

「好きだったわ」

「……だった?」

「今は特にそうでもない」

「どうしてですか?」

「どうでもいいでしょ」

 そこまで続いたところで、会話は切れる。再び病室内は食器の音だけが響く空間に戻っていた。

 私は水を飲もうとコップを取るのに顔を上げる。

 その時ふと、食事で汚れないために二の腕あたりまで袖をまくっている此花さんの腕に目が行った。

 今まで袖に隠れていて気付かなかったが、その両腕には随分としっかり包帯が巻かれている。

 それに気づいたからか、次に私は彼女の首の下あたりにも包帯が巻かれていることに気が付いた。

 多分あのまま胸の方にまで包帯は続いているのだろう。


 私のその視線に気付いてか、此花さんはさっと腕を隠して袖を戻した。

「見苦しいですね、ごめんなさい」

「別に」

 そっけなく返すと、此花さんはゆっくりと話し始める。

「私、怪我で入院してるんです。顔とか頭は全然怪我が無いので分かりにくいですけど、服の下は包帯ばっかりで……。まぁ、骨とかは大丈夫みたいなので動くこと自体に問題は無いですけど、動くとまだちょっと痛いです……」

「……。……事故、とかかしら」

 聞き流そうと思っていたのだが、少し気になってしまい、聞き返す。

 すると話題を広げられたのが嬉しいのか、此花さんは頷いて、言葉を続けた。

「何か事故に遭って三週間くらい前にここに運ばれたらしいんですけど、その事故自体全然覚えてないんです。覚えてるのはその前に家族で温泉旅行に行こうって準備してた事くらいで……」


 ……三週間くらい前というと、大体一月の下旬ってところだろうか。

 考えていると、さらに此花さんは続ける。

「一週間くらい意識不明だったみたいで、目が覚めたのは二週間くらい前なんですけど。自分がなんでこんな事になってるのか全然分かんなくて……。お父さんは『ちょっとした事故に遭って』、みたいな事しか教えてくれないし……」

 不貞腐れたように言う此花さんは、父親への憤りを思い出したかのように口を止めない。

「ちょっとした事故にしては私の怪我酷くないですか!? こうやってまともに動けるようになったのだって二、三日前なんですよ! それまではベッドの上で痛みと格闘ですよ!」


 そこまで言うと、此花さんははっとして大人しくなった。

 興奮してしまったことを恥じてか、「すみません……」と付け加えると、最後にぽつりと言う。

「お母さんも……、全然会いに来てくれないし……。何も分からないんです、私……」

 やっと話し終えた此花さんは、コップを手に取り、落ち着きを取り戻すかのように一口水を飲んだ。

 そんな彼女を一瞥し、私は考えを巡らせる。 


 ——今の話。

 一月の下旬にあったなかなか大きな事故。

 私はひとつ、思い出す事があった。

 三週間くらい前にどこのニュース番組でも話題になっていた事故がある。

 内容は確か——、高速道路のトンネル内で大型トラックが転覆事故を起こして、爆発炎上。そのままトンネル内の車も巻き込まれて、かなりの死傷者を出したっていう——。


 ……まぁ、彼女が遭った事故かどうかの確証は全く何も無いわけだけど。

 私は考えるのをやめると、食事に戻る。

 此花さんも今は落ち着いて、黙々と魚をつついていた。



 その後は特に会話が続くことも無く、この食事会はお開きになるのであった。

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