2章 雛本 真璃

こんにてぃは

 二〇一八年、二月中旬。曇り空。

 暖房の効く車の中から流れる風景を見ていて初めに感じたのは、ここが酷い田舎だという事だった。

 生まれも育ちも東京の私にとって、この町は退屈そうだ。

 ……まぁ、これから入院生活をする私には、あまり関係無い話かもしれないが。



「どう、真璃? ここが今日から真璃がお世話になる穂乃咲病院よ」

 だというのに、何時間かぶりに車から降りて地に足を付け、目の前にそびえる建物を見てみると、なかなか大きな病院のようで少し驚いた。

 こんな田舎には似つかわしくない病院が立っていられるのは、その、なんとかっていう神様のお陰なんだろうか。

「真璃の体が良くなるように、神社の方にもお祈りしに行かないとね」

「別にいい。私、良くなりたいと思ってないし」

 言葉を続けるお母さんにぴしゃりと言い放つと、次いで車から降りてきたお父さんが厳しい表情で口を開いた。

「そんな言い方はないだろう。お前がそんな事じゃ、良くなるものも良くならん」

 ああ、うざったい。

 どうせ私はもう長くないのだ。

 治る見込みだってもうないって前の病院で言われたでしょ。

 だからこその神頼み。

 そんなのはもう諦めと一緒だろう。

 自分たちの考えを私にまで押し付けるな。

 ……と、心の中でありったけの悪態をつきつつ、しかし口には出さないまま、怒りをぶつけるように思い切り車のドアを閉めた。

 

 病院で受付を済ませると、まずは三階にある自分の病室に三人で向かう。

 荷物などを置いた後は主治医の先生と色々話すそうだが、私はそれを絶賛ボイコット中だった。

「二人で話聞いてきてよ。私はいいから」

「お前の体の事なんだぞ! お前が行かなくてどうする!」

 お父さんの怒鳴り声を聞き流しながら私はベッドの元まで歩き、ボスっと勢いよく座る。

 思いの外良い反発力だ。寝心地が良さそう。

 なんて事を考えていると、お父さんは私の腕を激しく掴んで、無理やり立たせようとしてきた。

「来い! 何が何でも連れて行ってやるからな!」

「痛い! やめて!」

 それをなんとか振り切ろうと腕を振る。

 すると、そんなお父さんを後ろから制止したのはお母さんの声。

「あなた。真璃が嫌ならいいでしょう。私達だけで行きましょう」

「何? お前がそうやってすぐ甘やかすから、真璃がこんな我が儘を言うようになるんだ!」

 そうやってすぐ声を張り上げるお父さんが、私はたまらなく大嫌いだった。

 隙が出来たお父さんの腕を振り払い、私は足早に病室の扉まで歩き、手をかける。

「待て、真璃!」

「待たない!」

 その勢いのまま扉を開けて廊下に出ようとした所で、お母さんが声をかけてくる。

「真璃、これ」

 そう言ってお母さんが差し出してきたのは、スケッチブックと筆箱だった。

「なに?」

「病院の中でする事無くて退屈かもしれないから。これがあれば手元も寂しくなくなるかな、と思って」

 私はスケッチブックと筆箱を見つめて少し逡巡した後、奪い取るようにそれらを受け取り廊下に飛び出すと、さっさとその場を後にした。



          ◆ ◆ ◆ ◆



 たどり着いた一階の大きい談話室は、中庭側の壁がガラス張りになっており、そこを一望出来るような作りになっていた。

 中庭を見てみると、時期が時期なので花こそ咲いてはいないが、花壇などが沢山設置されていて、春への期待が持てそうな物になっている。

 ひと際目を引くのは、病院の背すら越える勢いでそびえる、中央に生える大樹だ。

「桜、かな。あれは」

 勿論まだ咲いてないが、これまた春にはとても映える物になるだろう。

 私は手ごろな椅子をガラスの前まで持っていくと、座りながら無意識にスケッチブックを開いていた。

 が、はたと手を止めて一度閉じる。

 描いてなんになるというのか。

 


 前の病院で、私の命は長くてあと二年だと宣告された。

 どれだけ学校で酷い事を言われようと、どれだけ酷い事をされようと、それでも私は絵を描ければそれでいいと。

 そう思っていたのに、天は何故かとことん私を嫌ってくる。

 いじめを受け続けた後の余命宣告に、私は心の折れる音というのを初めて聞いた気がした。

 あと2年しか無い命で絵を描く事に、果たして意味などあるのだろうか。

 そんな風に考えるようになっていた。


 

 ——ふと、何の気なしに振り返ると、私から少し距離をとった席に座って私の方を見ている女の子と目が合った。

 髪は顎から肩の間までのフワフワしたボブで、優しい顔立ちをしている。歳は……、多分私と同じくらいだと思う。

 一目で、良い子なんだろうと思えるような女の子だった。

 病院服を着ている所を見ると、彼女もここに入院している患者なのだろうか。

 

 私と目が合った事に気付いたその子は、すぐに「今目が合ったのは偶然です」と言わんばかりに顔を逸らす。

 私は一度ガラス張りの窓の方に顔を戻し、ガラスの反射を利用してその子を見た。

 すると、やはり女の子はちらっとこちらを見て、私がもうその子を見ていない事を確認すると、再び私をじっと見てくる。

 はあ、と息を漏らし、私はもう一度振り返ると、ギョッとした顔でまたも目を逸らそうとするその子に声をかけた。

「あの。私に何か用?」

 女の子はひとしきりアワアワしてから意を決したように私に向き直ると、口を開く。


「こ、こんにてぃは!」

 

 そして、噛んだ。

 顔を赤くしている。

 何にそんなに緊張しているのだろうか。

 そんな彼女に、私は「こんにちは」とだけ返すと、もう一度尋ねた。

「で、私に何か用?」

 それを受けて彼女は席を立ち、こちらに近づいてくる。


「あの、雛本さん、ですよね。——私、此花美桜って言います」


 

 それが、私と彼女——美桜との、『初めての』出会いだった。

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