出雲神宝

John B. Rabitan

 男はいきなり斬りつけられた。

「な、何をするッ! おぬし、気でも狂ったのかッ!」

 そう叫びながら最初の太刀は何とかかわしたが、男が突然のことに事態が呑み込めず呆然としているところへ二の太刀が来た。男は慌てて自分の太刀をさやごと引き寄せる。

 そして、鞘を払って構えた途端、男の顔は見る見る青ざめた。

 だが、事の次第を呑み込む暇を与えず、次の太刀が斬りかかってくる。仕方なく男は、抜いたばかりの太刀で身を防ごうとした。

 太刀と太刀がぶつかりそこで金属音が鳴り響く……はずだったが……。

 男の体は最初はあしの茂みの中に倒れ、そのまま転がって水面へと落下した。


    ※   ※   ※   ※   ※


 現在の島根県松江市大庭町近辺は、約1600年前の昔も静かな田園地帯だった。

 空はよく晴れていた。

 遥か東方に火の神岳(大山だいせん)の、現代では見ることのできない噴煙を黄金の稲穂の波ごしに眺め、意宇おうの川風に髪とみずらをなびかせながら、タケモロスミ(武諸隅)は従者たちとともに川沿いに馬を歩ませていた。

 日はわずかに背後の、西の方に傾きかけている。

 円錐形の神奈備山かんなびやまと、八雲の山々とのわずかな平地に水田は広がり、堅穴式住居がその中に点在しているのが見える。その集落の近辺では、村人たちが珍しそうにタケモロスミの一行を見守っていた。

 彼らが珍しがったのは馬である。

 馬は彼らにとって十分好奇の対象であるらしい。何しろ生まれて初めて馬という生き物を見る人も、この地方では多いようだ。

 風が川岸に群生する笹の葉をそよがせた。

 その風の中の涼を、タケモロスミが一瞬楽しんだ時である。一本の矢が突然飛来して、彼の頬をかすめていった。

 馬がいななく。

 氷りつきそうになった心であわてて手網を引き、タケモロスミは馬を停めた。従者がどよめきを上げ、すぐにタケモロスミを囲んで防御の構えをとる。

 波打つ胸をおさえ、あたりを見まわした。風の音と従者の息づかいの他には、静けさがあるだけだった。

 わけがわからない思いに呆然としているうちに、次の矢が飛んできた。腰の剣を抜き、すばやくそれを払い落としたタケモロスミは、大声で草むらの方へ向かって言った。

「何者だ! 卑怯だぞ! 俺を大倭やまと大王おおきみミマキイリヒコ(御間城入彦)様の勅使と知ってのことかッ!」

 返答がない。ただ、これから何かが起きるということを、充分予感させる静寂だけが漂っていた。

 風がまた吹いた。

 まるでそれを合図にしたかのように、静寂を破った鯨波ときの声があがった。従者が一斉に銅矛を構える。

 次々に腰から剣を抜いて斬りかかってくるのは、地元の者のようだ。顔に入れ墨がない。

 剣と矛がぶつかりあう金属音が、さほど広くはない川のその岸辺に響きわたった。音によって、相手の剣は鉄剣であることはすぐにわかった。銅矛などひとたまりもない。

 木のつかが切られた。人間の胴を突き刺すにぶい音がして、血しぶきと悲鳴があちこちであがる。そしてまた金属音。

 タケモロスミは剣を片手に、ただとまどっていた。なにしろ馬がパニックを起こしてしまっていて、いなないて立ち上がったりで、手網さばきが片手ではできない状態になってしまっていた。焦れば焦るほど馬は人間たちの修羅場の中で、オロオロするだけだった。

 目の前で火花が散った。わけがわからない状態で、タケモロスミは闇雲やみくもに剣をふるう。またしても激しく馬は暴れ、とうとうタケモロスミは地に叩きつけられてしまった。

 さっと顔の前に、白い刃が向けられた。

 見上げると頭の禿げた老人が、薄ら笑いで見下ろしている。

 剣は馬から落ちた拍子に、手の中から飛び出していた。あと五、六寸手をのばせば、再びそれをつかむことができる。しかし少しでも動こうものなら、老人の握る剣が、彼の頭蓋骨を叩き割るだろう。

 それでも彼は、手をのばした。あと三寸、あと二寸。手の平を土の上で這わせるようにして、剣の方へと動かす。そのたびに老人の剣の冷たい感触が、じわじわと眉間にあたる。熱い血が鼻筋を伝わって、頬から大地にボタッと落ちた。

おん大将!」

 従者の一人が叫ぶが、自分の対戦相手で精一杯で、とても救出してくれそうもない。剣を突き付けている老人は、薄気味悪い笑いをまたしても浮かべた。

「おのれッ! 俺は、俺はここで死ぬわけにはいかないんだ。物盗りなら好きなだけくれてやる。俺は、重大な任務があるんだ」

 老人は、声をあげて笑った。

「その任務とは、出雲の神宝を大倭へ奪っていくということだが?」

ただの物盗りではないようだ。

「奪う? 違う! 奪うなんてことじゃあない! 大王様の勅命だぞ、しかも、国造こくそう殿とは話はついているはずだ」

「ふん、国造は知らん。けどな出雲神族は、大倭の大王がこう言うたけんこうというわけにはいかんけんな。神宝を献上すれば、それは完全に服属したっちことになあが。しかもその神宝は、クナトの大社おおやしろ勾玉まがたまだけん、絶対大倭などに奪わせとうはなあでな」

「やりかたが卑怯だぞ! 神宝を受け取りに行くその矢先になって、このように襲いかかってくるとは!」

 タケモロスミが、口びるをかみしめたその時だった。修羅場の外で、叫びが上がった。

「なにしちょうかあ!」

 何人かの足音が、駆け足でこちらへ来る。たちまち剣戟の音が止まる。

「こらあ、ケサリ! おまえはなんということをしちょうかや。引け!」

 顔を思い切り曇らせ、老人は力任せに自らの剣を大地に叩きつけた。たちまちその手下を引き連れ、退却をはじめる。

 かわりにその場に到着したのは、先程の叫び声の主で、小太りの若い男だった。よほど走って来たらしく、肩で息をしている。

「勅使殿。これはとんだ粗相を! どうかどうか許してごしない」

 不機嫌はなはだしくタケモロスミは立ち上がり、顔の血をぬぐうと、小太りの男をにらみつけた。

「何だってんだ、あれはいったい!」

「ありゃあ杵築きつき出雲臣いずものおみフルネ(振根)の重臣で、ケサリというもんでしてな、なんせ保守的な連中で、ほんに済まんことでした」

「済まんでは済まぬことだ。命を失いかけたのだぞ!」

「そこを何とか。ほんに謝りますけん」

 男はかしこまって頭を下げる。その首から下がる勾玉を見た時、タケモロスミはもしやと思った。

「あなたは国造こくそう家の?」

「はい、国造イヒイリネ(飯入根)の嫡子で、ウガツクヌ(鸕濡渟)と申しますだ」

「国造殿のねえ、しかしその」

 タケモロスミは、足についた土を払いながら言った。不機嫌さと胸の鼓動は、まだ収まってはいない。

「出雲臣とは何者ですか。この国にはそんなにいろいろ、派閥があるのですか」

「出雲臣っていうのは、この国がまだクナトの国と言われちょった時からの氏族でしてな。かつては大クナトのぬしとか呼ばれちょった人の子孫ですだ。カビのはえたようなやつらですよ」

 ウガツクヌと名乗った小太りの男は、少し苦笑した。

「その出雲臣のフルネとかいうやつの差し金で、俺を殺そうとしたんだな、あのじじいは」

 タケモロスミは地に転がる剣を拾うと、鞘に収めた。従者たちもそれぞれ傷ついた仲間を介抱しながら周りへと集まってきた。

「さあ、それはどげですかいねえ。なんせフルネは半年前から、築紫の国の宗像むなかたへ行っちょっておらんですけん、あのケサリが勝手にしたことでしょう」

「それより、あなたはどうしてここへ?」

 まだタケモロスミは、口調がぶっきらぼうなままだ。ウガツクヌというこの若者からは、態度こそ畏まってはいるが真底頭を下げきっていないという波動がひしひしと伝わってくる。

「神宝引き渡しの手はずは、調っているのでしょうな」

「はい、それはもちろん。ただ」

「ただ?」

「国造である父イヒイリネの姿が、今朝方から見えんのでして」

「神宝は?」

「いや、神宝はございますけど、なにぶん父が立ち合わんことには……。わしもひと月ほど因幡の方へ行っちょって、今朝戻ったばかりですけん。そげなことで、父を捜しに出たところでして」

「ほんとかよ」

「ほんとうですだ。ま、とにかく、国庁へおでになあてごしない」

 従者の何人かは仲間に背負われて、一行は川沿いの道を東へと歩みだした。左手には水田ごしに、神奈備山が一行を見下ろしていた。

 額の傷はそんなに深くはなかったので布でとりあえずの止血をして、タケモロスミは馬の口をとって歩いた。まだからだじゅうが、警戒心で固くなっている。

 

 やがて竹薮の向こうに、塀と高床式の建物の屋根と千木が見えてきた。

 国庁は十数棟の建物からなっていた。いずれも白木造りで、屋根は板ぶきだ。ただ高床へ昇る階が側面ではなく三角の屋根の面にあることが、大倭とは異なっていた。その中のいちばん大きな棟の、広い一室に通された。

「ここにて、しばしお待ちを」

 ウガツクヌがそう言って、出て行こうとした時である。

「若ッ! 若ッ!」

 と、大声で叫んで走り込んで来る者があった。国庁の家人らしい。だが、すぐに客人に気づき、何やら声をひそめてウガツクヌに耳打をした。

 ウガツクヌの顔がみるみる蒼ざめていくのを、タケモロスミは見た。

「いかがなされた?」

 ただごとではない様子なのでそっと尋ねてみたが、ウガツクヌは部屋の入口に、呆然と立ちすくんだままだった。西日がその背後から、部屋の中へ差し込んでくる。

 ウガツクヌの重い口が、やっと開いた。

「あの、父の遺体が、上がったと、今……」

「えッ!?  なんですって!?  国造殿が!?」

「父の遺体が、神路しんじの海の岸辺で、発見されたと」

 一瞬、何と言ったらいいのかタケモロスミはわからなかったが、とにかくも立ち上がった。

「行ってみましょう。馬をとばして行けばすぐです」

 たちまちウガツクヌと相乗りで、タケモロスミは馬上の人となった。ちょうど夕陽に向かって進むかたちだ。

 勅命を帯びて出雲路に着くや否や、自分はどうやらたいへんな事件に出くわしてしまったようだと、タケモロスミは実感していた。

 風を顔に受けながら、彼は考えた。ここで国造イヒイリネが死んだとなると、せっかくうまくいきかけていた神宝の引き渡しも、何やら面倒なことになりそうだ。大王おおきみの勅命というものが、ずっしりと肩にのしかかってきた。

 何はともあれ、神路の海に着いた。対岸の山脈との間に、東方から入り込んでいる入海が、神路の海だ。今、まさにその海面すべてに黄金の粉をまき散らし、その一角の空を真紅に染めて、夕陽が西の山に沈もうとしていた。

 そんな黄昏の中で、海浜の葦の茂みの中にタケモロスミはイヒイリネの屍体を見た。あきらかに斬殺されている。一刀両断での絶命のようだ。

「おやじッ!」

 ウガツクヌは馬から飛び降りると、屍体から一間ほど手前の大地に伏して、激しく泣いた。タケモロスミは、なぜすぐにでも遺体にすがらないのだろうと思いながらも、幾分冷静にそれを見下ろしていた。

「おやじッ、誰が、誰がこげなことを」

「これはよほど剣のたち人の手にかかったのだな。そうでなければ、このような斬られ方はするまい」

 タケモロスミが何を言っても、号泣するウガツクヌの耳には入らないようだ。

「おやじィ、絶対仇を討ってごすけん、待っちょってごせ」

 あたかもウガツクヌの泣き声が海面を揺るがように響き、最後の赤いひとかけらも消えて、夕陽は西の山間に今没しきった。


 国造の遺体はそのままに、ふたりが国庁に戻った時はすっかり夜になっていた。

 その門を入ったところの庭内で、突然白刃がうなった。それはタケモロスミ目掛けて撃ちおろされる。しかも、隣を歩いていたウガツクヌからだ。

 とっさに首を右に倒して避けたが、しつこく剣は彼の身体を追った。あわてて自らの剣を抜き、顔面をかばう。

 ガシッと金属音が、暗闘に響いた。

 あまりの唐突の仕打ちに、タケモロスミは必死にウガツクヌの攻撃をかわしながらも、頭の中は呆然としていた。タケモロスミの従者は、なすすべもなくオロオロと立たずんでいる。

 つばぜりあいとなった。力はこちらのほうがありそうだ。普段は温和そうな小太り男も、今はなぜかその顔に怒気をみなぎらせていた。

「なぜですッ! どうしたというんですか!」

 ぐいぐいと相手の剣を押していきながらも、頭の中に疑問が渦巻くタケモロスミは、ただただ尋ね続けた。

「おまえだ! おまえがおやじを殺しただ。そげに決まっちょう!」

「ちょっと待って! 違う!」

 思い切り相手の剣を跳ね上げる。平衡感覚を失い、ウガツクヌは剣を落とした。それでも素手で、タケモロスミへと組みついてくる。自分は剣を持っているのだから、ウガツクヌを一刀両断にするのは簡単だ。しかし自分は彼と闘う理由はない。タケモロスミはそう思って、自らも剣を捨てた。とっくみあいの末、とうとう武人肌のタケモロスミが、贅肉の多いウガツクヌを組み敷くかたちとなった。

 腕をねじり上げながらその顔をのぞきこみ、ひとことひとこと説得するように、タケモロスミは語りかけた。

「どうして俺が国造殿を殺す必要があるんだ? 神宝も順調にいただく手はずも、調ったばかりではないか」

「今の大倭やまと大王おおきみミマキイリヒコは、信用できんけんな」

 腕をねじられ、あえぎながらもウガツクヌは言い放った。

「馬とかいう動物にった人たちを大量にひきつれて大陸から来て、大王になあたんだが。そげな氏素性も知れぬ大王など」

「それは確かにそうだが、大倭では初代イワレヒコ(磐余彦)様から先代のオホヒヒ(大日日)の大王様まで、各部族の長が持ち回り制で大王をやったのだから、わがミマキイリヒコ様が大陸から来られて大王になっても、不都合はあるまい」

「しかし、わしらはその初代のイワレヒコの大王より前の時代、大倭がまだ築紫の国にああた時から、この出雲の国造に任じられてきた家系だ」

 ウガツクヌを押さえるタケモロスミの手が、一瞬ゆるんだ。そのすきにウガツクヌはほだしから抜け出て、尻餅をつくかたちでタケモロスミを見た。

「大倭(邪馬台やまと)を巫女みこという女王が治めちょった頃、この出雲はクナトの国というてな、女王国とは敵対しちょっただ。わしらの祖先はその大クナトのぬしに、大倭へ国譲りをさせるため日の巫女様から派遣された天菩比命あめのほひのみこと様じゃ。じゃけん、代々この国の国造を仰せつかっちょう。いわば大倭とは親密な仲だったんじゃ。そげだっちゃいうのに」

「それなら」

 語気も荒く、タケモロスミは言い返す。

「なおさら大倭の俺が、国造殿を殺害するわけがないじゃないか」

 地に屈み、タケモロスミはいちだんとウガツクヌに詰め寄った。

「いいか、よく考えてみてくれよ。まず第一に、俺がおぬしの父上を殺す理由はないこと。父上が国造になられた時に大倭まで来られて、大王様に忠実を誓うあの『出雲国造神賀詞かみよごと』を奏上された時のことは、俺とてはっきりと覚えているしな。次にあの遺体の状況をよく思い出してくれ」

「遺体の状況? そげなもん知らん。この国では嫡子たるもの、遺体にさわろうものなら相続権を失うんじゃ」

「そうか。では教えてやろう。父上の遺体に剣の鞘はあったが、当の剣はどこにもなかった。しかもあれだけの傷口なのに、どこにも血が飛び散っていなかった。これは父上があの場で殺されたのではなく、どこか別の場所で殺され、あそこへ運ばれたということだ」

「んん」

「それにさっき、俺がおぬしの剣を落としておぬしに組みつかれた時ふと思ったんだが、俺は丸腰のおぬしを一刀両断にしようと思えば簡単だった。父上の斬傷は、まさしくそのような一刀両断だったんだ。つまり、相手が剣の達人なのではなく、父上の方が全く抵抗できない状況にあったのだと思うが、どうだ?」

「しかしおやじの剣が鞘になかったのなら、少なくともおやじは、剣は抜いたということになあが」

「とにかく、俺を信じてくれ!」

 タケモロスミは立ち上がった。

「俺は勅使としての使命がある以上、嫌疑を抱かれたままで帰るわけにはいかない。国造殿を殺害したやつを、俺がきっとつきとめてやる。どうかそれまで、俺の命を俺に預けてくれ」

 ウガツクヌは黙って、しばらくうつむいていた。そしてしぶしぶと、首を縦に振った。


 翌朝早く、タケモロスミは国庁からほど近い神坐かもすの森へ向かった。そこは出雲臣家の祭祀場で、あの自分を襲撃した老人、ケサリの住む所でもあるとウガツクヌから聞いたからだ。

 ウガツクヌもタケモロスミがケサリという名を出した時、何かがはじけるようにうなずいた。

 大クナトのぬしの流れをくむ出雲臣なら、天の菩比ホヒの末イヒイリネと、大倭のタケモロスミの両方を殺害しようとしたとしても不自然ではない。だが出雲臣のおさのフルネは、今は築紫だという。したがって、その長老のケサリこそ国造殺害の下手人である可能性は大きい。

 タケモロスミは馬上、意宇の川上に向かってゆっくり進んだ。途中意宇川は左へ曲がり、八雲の村々から水が流れてくるかたちとなる。

 タケモロスミは直進した。右手の神奈備山が近くになり、左手も宮山の山脈がせまる頃、背の高い杉小立が宮山の麓に見えてきた。これが神坐の森だ。

 神奈備山は独立した円錐形の山だが、宮山はそのままいくつもの山と峰続きになっている。

 その神坐の森の入口で、タケモロスミはあわてて手網を引いた。そして、しまったと思った。

 杉木立の間の長い石段の上が神坐の森だが、石段の下近くの一本の杉の木の枝に、老人はぶらさがっていた。

 首をくくっている。しかし自殺ではないことは、そのからだに残る無数の斬傷から明らかだった。

 犯人と目ぼしをつけた者は、被害者として今、葬り去られようとしているのである。

 一気に石段を駆け登ったタケモロスミは、祭祀の斎庭という神聖な場であるはずの神坐の森の広場に、ケサリの手の者とおぼしき人々の屍が散乱しているのを、目の当たりに見てしまった。

 広場の中央には祭檀のようなものがこしらえられてあり、ずいぶん大きな杵と臼が、その上にどっしりと置かれている。火をつけるための杵と臼だ。それをとり囲むように、いくつもの死体がころがっている。

 タケモロスミは肩で一回、深呼吸をした。

 ケサリは殺されていた。

 もう一度彼は、大きく息をついた。

 しばらくは呆然と立たずんでいたが、とにかくも重くなった胸をひきずって、彼は石段のてっぺんから下の方を見た。予想していたケサリとの一戦も、これでなくなったわけである。

 石段の上からは、意宇の里の水田、神奈備山、その左後方の神路の海、そしてその対岸の北山山地までが大パノラマとなって見わたせる。真正面に大山だいせんの白い噴煙だ。

 広場の中央の杵と臼とを一瞥して、タケモロスミは一歩一歩石段を降りた。自ら真犯人を捜すと豪語した彼にとって、まず第一のあてがはずれてしまった。石段の下では従者たちが矛を肩に、雑談をしていた。

 その時不意に、彼は右手に目をやった。石段を降りて右に行けば、すなわち宮山への入口。そこに奇妙な棒状の物を見たのだ。

 一気に石段を降りると、彼は従者をも通り越して、宮山への入口へと走った。

 地に突き刺さっていた棒状の物は剣だった。宮山へ登る坂道の下に、剣は切っ先を下に、地にもぐらせている。柄は血で汚れていた。タケモロスミは、それを引き抜いてみた。

 銅剣でも鉄剣でもなかった。木剣だった。尖端は刃物で切られたように、スパッとなくなっている。そして、剣のあったまわりには血痕が点在し、あきらかにそれは宮山の中から続いていた。


「ウガツクヌ殿! 父上のご遺体にあった剣のさやは?」

 国庁に馬を全速力でとばして戻ったタケモロスミは、ウガツクヌを探すとそれだけを激しく言った。従者などは、とっくに置いてきてしまっている。

「鞘? それがどうかしましたかいね?」

 怪訝な顔つきはしながらも、ウガツクヌは剣の鞘を持ち出してきた。全体にしっかりと、鞘巻きがされている。タケモロスミは庭に立ったまま、その鞘に拾ってきた木剣をいれてみた。

 ぴったりはまった。柄と鞘の造りが同じことからも、この木剣はイヒイリネの物に違いない。

「この木剣は、お父上のものですね?」

「いや。この鞘自体、いつもの父の帯剣のものではああせんじ」

「父上の剣ではない?」

 タケモロスミは、じっと鞘に収まった木剣を見ていた。それをウガツクヌものぞきこんで見た。

「それ、どこにああたですか?」

「宮山の入口です。宮山の方から、ずっと血のしたたりも続いていましたよ」

「え?」

 宮山と聞いて、ウガツクヌの顔が微妙に変化したのを、タケモロスミは見のがさなかった。

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