君の心
家の近くのバス停から家に向かって歩いていると、犬と散歩している芽衣の後ろ姿を見つけた。愛斗は歩く速度を早め、芽衣に追いつこうとする。犬を連れている芽衣には、すぐ追いつくことができた。愛斗が芽衣の隣に位置取ると芽衣は愛斗をちらりと見た。
「今帰り?」
先に芽衣が話し出す。
「うん、そうだよ」
愛斗は芽衣の柴犬の背中をしゃがんで撫でながら答える。
「遅いんだね、随分と」
「ちょっとね。芽衣は部活ないんだよね今日。岳が言ってた」
「あぁ、日高...。で、誤魔化さないで。何してたの?」
少し言いづらいが茜の存在を教えたのは芽衣だ。言っても問題はそんなにないだろう。
「実は、茜さんと話してた」
「あぁ、彼女さんか。私が言ったからでしょ?」
その通りである。あの状況で芽衣に言われなければ茜を永遠に放置していたかもしれない。それを考えると妙に怖くなった。
「で、どうだったの?」
芽衣がさっきあったことの内容を訊いてきたのでほとんどあったことを話す。
すると芽衣は
「やっぱ愛斗って女心分かってないよね?そりゃあデートなんて行ってくれないよ」
と愛斗を叱りつけるように言った。
「なんか間違ってたかなぁ」
愛斗は自分の頭を掻きながら言った。
「間違ってるよ!そういうのはもうちょっといい感じの時に言わないと」
犬がクゥーンと鳴いた。それを聞いて芽衣は犬の背中を撫でる。
「いい感じ?」
「いい感じって言うのは、なんて言うかなぁ...。とにかくそれも分かってないんじゃダメだよ」
芽衣に散々否定された。「女心」は難しすぎる。李徴が虎になった理由を説明する方が簡単かもしれない。「山月記」は授業でやっているが「女心」の授業はない。分からなくても仕方がないのではないか。
「そのうち分かるかな?」
「まあ分かるんじゃないの?」
「何でそんな怒ってるのさ」
「怒ってない」
そう言うも、芽衣の表情は明らかに怒っている。
「じゃあイラついてる?」
「愛斗のその態度にイライラする」
理不尽だ。僕が何かしたというのか?
「えぇ...」
「まあいいや。またね愛斗」
2人の家の前に着いてしばらく経っていた。大人しく待っていた柴犬と、芽衣は家に入っていった。
「美咲。女心って何だ?」
夕食後、ダイニングで2人きりになった時、義妹である美咲に訊いてみる。
「どうしたの急に」
「いや、ちょっと聞いてみたくて」
「まあいいけど、難しいなぁ」
女子でも難しいという「女心」。愛斗に分かるのであろうか。
「やっぱ難しいのか?」
「難しいね。だけど難しいからこそ男の人には分かってもらいたいというか...」
「なんだそれ」
愛斗には美咲の説明が全く理解できない。
「言わなくても分かってほしいんだよ、女の子は。好きって言う気持ちとか、嫌っていう気持ちも」
愛斗はその説明でなんとなく分かったような気がしていた。
つまり察してほしいという訳だろうと。
それは都合のいい話だ。伝えもしないのに男に分かれと。
自分にそれができるのかと愛斗は不安になった。だが、それができなければ茜のことを知ることはできない。逃げれば過去の自分への冒涜になる。
「そっか、ありがと」
愛斗が適当に感謝する。
すると美咲は
「分かったの?」
分かったか分かってないかで聞かれれば、分かっていないと答える。でも少しも分からなかった訳ではない。
「まあ少しは」
「少し?じゃあさお兄ちゃん」
なにやら物欲しそうな目で美咲は愛斗を見つめる。
「ん?」
「今、美咲はお兄ちゃんに何してほしいでしょう?」
美咲が「女心」の答え合わせをするかのように愛斗に試練を課した。
愛斗は考えた。この状況で美咲がしてほしいこと...。
だが、考えれば考えるほど分からない。模範解答がない時点で愛斗にとっては難題だった。
「...」
「...本当に分からないの?」
美咲が悲しげな表情で見てきた。少し罪悪感が湧いてくる。
「ごめん。分からない」
「こういう時は素直にちゃんと感謝してほしいなぁ。教えてあげたんだし。特別なことじゃないでしょ?そういうのが大事なの」
美咲に正論みたいなことを言われてなんか悔しいような恥ずかしいような気分だった。しかし、その分よく分かった。何気ない気遣いが大事なのだと。一気に距離を縮める必要はない。徐々に、ゆっくりでいい。
いつか別のことでそんなことを誰かに言われた気がする。
焦っても仕方ないし良いこともないだろう。茜ともそうやって親しくなればいい。
「あ、ありがとう、美咲。よく分かったよ」
照れくさかったが、今度はしっかりと美咲の目を見て感謝の言葉を述べる。
美咲はとても満足そうだった。
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