夜の空
廊下に出ると、愛斗のように車椅子の人、点滴を打ちながら歩いている人、幼い女の子など様々な患者がいた。他人からすれば愛斗もその様々のうちの1人なのだが。
僕は一体どのような人だったのだろうか。真面目?不良?女たらし?
愛斗の頭の中に色々な自分が浮かぶ。どのように自分というものを作っていけばいいのか。
愛斗に色々な疑問が湧く。その疑問は決して前向きなものではなかった。
記憶をなくすことなど普通ではありえない。どうすればいいのか、どう周囲と接していけばいいのか全く分からなかった。
明日、診断を受けてから考えよう。今は記憶の欠片を探したい。何か手がかりが欲しい。
愛斗と須崎は病院の外に出た。愛斗にとって外の空気は久しぶりだ。肺にたっぷりと空気を吸い込む。春の夜のまだ寒さが残った冷たい空気。吸った空気がキリリと肺に染みる。その冷たさのせいか、それとも傷のせいか、愛斗は深くは考えなかった。
そういえば今日は4月1日、エイプリルフール。もしかしたら記憶喪失は嘘かもしれない。神の嘘。
もしそうだとしたら相当罰当たりな神様
だ。だが、神に天罰は下らない。
ふと、御神のおわす空を見上げると星々が輝いていた。
白浜町の夜空は「星空ランキング」みたいな観光サイトに載っているような絶景とは言えない。それでも星はかなり見える。
あの星の中に僕の記憶の欠片があるのかもしれない。だとしたら遠すぎて取り返すことはできない。
「綺麗だね。久しぶりに夜空をちゃんと見たかもしれないな。空を見るのが好きな時もあったなぁ」
須崎はわざと関係のないことを言っているようだ。愛斗を不安にさせないためだろう。16歳の少年にだってそれくらい分かる。
「そうですね、ずっと眺めていられます」
「だろ?空と海は無限の可能性を秘めているような気がするんだ」
可能性の話をしてからしばらくして須崎は言った。
「どう?気分転換できた?」
「えぇ、最高です」
「それはよかった、君は強いね」
「強がってないと生きていけない気がするので」
愛斗は歯を食いしばって言った。目には涙が溜まっている。
そうだ、強がろうとしているんだ。不安にも恐怖にも全てに蓋をして。
数時間前に目覚めて記憶を失っていると知った。その数時間で様々な感情が芽生えた。もはやその感情たちが渋滞を起こしている。幼い子どものように多くの感性をこの瞬間も獲得しているようだ。
愛斗は筋力の低下によっておぼつかない脚で車椅子から立ち上がり、転びそうになりながらも走り出した。だが、すぐに耐えられず転んでしまう。
その瞬間、愛斗は夜空に向かって叫んだ。
「ああぁぁぁぁあああああああぁ!!!」
感情の蓋が開き、渋滞が一気に流れ出す。涙混じりの震える声で叫ぶ。
「帰ってきてくれ…愛斗…」
そう最後に言って愛斗は力を失った。須崎がそっと愛斗の頭に手を置く。
妙に安心する大きな手だ。大人の優しさを感じる。
その手で愛斗を抱き抱え、車椅子に戻した。
「今日は戻ろうか」
愛斗は小さくこくりと首を縦に振る。
再び愛斗と須崎は病院の建物の中に入っていった。
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