第110話 白手袋

「グリフィン侯爵閣下、権勢盛んで良い御身分ですな」

周囲の人間が慌てて止めに入ろうとしているのが目に入る。僕も酒の入った相手をまともに取り合うつもりはないので無視を決め込んだ。

「無視ですか。伯爵ごとき相手をする必要がないと」

アーセルと勇者様の結婚祝賀の宴を台無しにするわけにはいかないが、どうしたものかと困惑しているところにとどめを刺してきた。

「自らの幼子さえ守れず何が帝国の守護神だというのか」

今なら針を落とした音さえ聞こえるのではないかというほどに会場中が凍り付いた。最初に動いたのはグラハム伯だった。

「それは俺を非難しているのと同義だなアイリーマン伯爵。庇護下にあったものを守り切れなかったのだからな。それになにより帝国の伯爵ともあろうものが酒が入っているとはいえ、言って良い事と悪い事の区別もつかんか。ましてやここは婚礼の祝賀の宴。非常識にも度が過ぎるぞ。しかも一介の伯爵が侯爵に暴言とはな」

他を圧するグラハム伯の迫力にアイリーマン伯爵は真っ青になっている。そもそもグラハム伯は辺境伯、伯とはいえ格としては侯爵相当。つまりアイリーマン伯爵は僕とグラハム伯、ふたりの侯爵格を相手に暴言を吐いたことになる。グラハム伯の恫喝に酔いがさめ自らの行いに肝を冷やしているのだろう。真っ青になった唇がワナワナと震えている。そしてカッと目を見開いたと思うとポケットから白手袋を取り出し僕に投げつけてきた。これは僕でも知っている。決闘の申し込みだ。そこまでの事なのだろうか。謝罪をすれば済むような気がするのだけれど。困惑する僕に頭を抱えたグラハム伯が声を掛けてきた。

「拾えば受諾。拾わなければ侮辱したことになる」

そしてアイリーマン伯爵に対して

「アイリーマン伯爵、勇敢と無謀は違うぞ。よりによってドラゴンスレイヤーたるクレイジージェノサイダー、フェイウェル・グリフィン侯爵に決闘を申し込むとは。万の軍勢を集めても100回やれば100回、万回やれば万回負けるぞ。今ならまだ取り消せる。やめておけ」

「いや、やめません。いいぇ、やめるわけにはいきませぬ。たとえフェイウェル・グリフィン侯爵相手であっても。人の身なれば傷をつけることこそ」

「無理だから言っている。たとえグリフィン侯爵が無防備に貴公の剣を受けてくれたとしても傷ひとつ付けることはかなわぬ。真のドラゴンスレイヤーというのはそれだけの強さを持つのだ」

僕は驚きにグラハム伯をみやる。僕とミーアは、ウィンドドラゴンから祝福を受けた。それでも、僕たち自身その詳細はまだ十分に検証していない。可能性はあると思うけれど、それをここまで言い切るのは何か知っているのか、それともグラハム伯1流のハッタリか。それはそれとしてこの白手袋拾うべきか放置すべきか、困惑しつつミーアを見るとうつむいて震えている。それを見た瞬間に僕の中の何かが音を立てて切れた。1歩踏み出し、白手袋を拾う。それを見た周囲の人が息を飲むのが分かった。

「良いだろう。貴公からの決闘、受けよう。ただしやるからには覚悟を決めてくるがいい。骨も残さず地上から消し去ってやる。……とは言え、この場はヘンゲン子爵家の婚姻祝賀の宴だ、場を改めるべきと思う。グラハム伯いかがですか」

「そうだな。では、期日は3日の後、場所はヘルゲン南部郊外の草原。立会人は俺と、クレスト公爵閣下お願いできますか」

「私しかいないだろうな。立会人、受けよう」

そこから僕はアーセルと勇者様の前に進み出て謝罪する。

「祝いの席がこのようなことになり申し訳ない」

それに対し勇者様は痛ましげな表情で答えてくれた。

「いえ、グリフィン侯爵閣下はむしろ被害者。謝罪は不要です」

勇者様の横ではアーセルが何か言いたげな顔をしていたけれど

「それでも私どもは、退席せざるを得ないでしょうね。ぶしつけな形になってしまいましたが、おふたりのご結婚お祝いします。お幸せに」

見るとアイリーマン伯爵は衛士により退出させられていく。僕はミーアをそっと抱き寄せ周囲の痛ましげな視線からミーアを守り逃げるようにホールを辞した。

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