(おまけ)友:一件落着
「へぇ。最近ご機嫌だと思ってたら、そういうこと」
千早はジョッキを豪快にあおって中身を飲み干すと、カウンター向こうに「おかわり!」って差し出した。
「『ご機嫌』、だったか?」
「辺見係長の件で署内まだざわついてるのに、残業も苦じゃなさそうだったし」
枝豆を口に運ぶ指先はネイルこそされていないものの、綺麗に整えられている。
「そうかな……振られたから、慰めてもらおうと思って誘ったんだけど」
「悲壮感がないけど。どうせ、お子様の恋愛ごっこみたいに、ちょっと手を繋ぐとか、軽いキスくらいで終わらせたんでしょ?」
吸い込んだビールが、気管に入り込んで盛大にむせる。
「……やっぱりね」
ごほごほと止まらない咳に、店員が大丈夫ですかとおしぼりを差し出してくれた。
俺は、その優しさを千早に求めたい。当人はしれっと新しいジョッキに口をつけているけれど。
「……はぁ。ちょっとはこう、嫉妬とか、ないの」
「うーん。朋生ちゃんじゃ無理かな。あれ、浩二が手を出せる感じじゃないもん。陵の気持ちも感づいてたんでしょ?」
「そっちはなー。どんな理由があれ、一緒に暮らしてるんだから居心地はいいんだろうなって。あんな拗らせてるとは思わなかったけど。危なく本当に朋生ちゃんと結婚するとこだった」
「……結婚、してもいいと思った?」
「思ったよ。毎日お弁当作ってくれる奥さん、結婚から始めても大事に出来る自信はある」
にこにこと言い切ったら、ようやく千早の顔に不満気な色が浮かんだ。
「悪かったわね。料理の壊滅的な女で」
「料理云々でもないけどね。一番欲しい幸せが手に入らないなら、二番目でも十番目でも育てられる幸せを大事にしなくちゃいけない訳で」
「一番があるの?」
不思議そうに、千早はゆっくりと目を
ふふと笑って話題を変える。俺はボディバッグの中から一枚の紙を取り出して、折りたたんだまま千早に渡した。
「何これ」
「さっきの話で大空に一筆書かせたやつ」
「とっといたの? もう使わないでしょ」
千早が笑いながらその紙を広げている間に、俺は鞄からペンを取り出した。
「だって、貴重だろ。俺の為にあいつが署名してくれたんだぞ。妹を頼むって頭まで下げて」
「あー。はいはい。陵に頼られたのが嬉しかったのね。もう、陵に妻の欄埋めてもらえばよかったのに」
「なんでお前たち似たような発想するんだ」
コロコロと笑う千早にペンを差し出す。
「千早も名前、書かない?」
「いいわよ」
軽く受け取って、大空の名前の横にペンを持って行く千早の手を掴んだ。
その手を『妻になる人』の欄まで導く。
「千早は、こっち」
急に力の入った手とは対照的に、こちらを向いた瞳はゆらゆらと揺れていた。
「やっぱり、俺じゃ、だめ?」
「だって……私…………私は、何番目?」
「千早は特別。順番なんかつかない」
「嘘ばっかり。浩二は陵の方を優先したじゃない。陵のために昇任試験も頑張って、あのタイミングで受かって異動になったら、あたしとは別れなきゃならないって解ってたくせに」
「大空は女じゃないだろ。同じ特別枠でも種類が違う。それに、あれはあのタイミングじゃなきゃいけなかった。悔しいけど、全部を抱えられるほどスーパーマンじゃないから……さ。俺、後悔はしないけど、反省くらいはするし、出来ることに手を抜きたくはないから」
「……知ってる。私、お弁当なんか、作らないわよ」
「期待してない。っていうか、俺が覚えようかな。そういうのもいいかなってお前なら思うよ」
「……馬鹿だよね」
「一途でしょ」
ぽろりと涙が一粒転がって、婚姻届に染みたので、俺は慌ててその紙を取り上げた。
「泣くなよ。朋生ちゃんにも署名してもらって、コピーして取っておくんだ」
千早は泣きながら吹き出した。
「陵、怒るよ。お前らのことは承諾してないって」
「は? 俺、別にこれを朋生ちゃんに渡すとは言ってないし。最初から、いつか千早に書いてもらうつもりだったし」
珍しくはにかんだ笑顔を見せた千早が可愛くて、俺は千早を引き寄せて、久しぶりのキスを味わったのだった。
ま、その場でがっつり平手くらって、結局婚姻届にも名前を書いてもらえないまま、その日は店を出たんだけどね。
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