12
妹:はじめてのりょうり
びっくりし過ぎて、熱が吹っ飛んでしまった。
……なんてことはないんだけど、本当に一瞬熱があることを忘れてしまったくらいには驚いた。
お兄ちゃんが料理をするなんて、まだ信じられない。
でも、そういえば、お兄ちゃんは他の家事も一通りちゃんとこなせる。
今だって、目の前で洗濯物を干してるし、ちゃんと皺を伸ばしてからハンガーにかけてる。お茶碗を洗う手つきも、最初からてきぱきとしていたし、と、いうことはやったことがある訳で……
料理だけ出来ないと思い込んでたあたしがおかしいのかな?
いや、でも、こんなに便利な世の中なんだよ? ひとり暮らしでも卵ひとつ焼けなくても食べていける。「できる」がどの程度なのかは、まだわかんないじゃん。
あ、いや。違うな。
お兄ちゃんが料理をする、と自分で決めたことの方がびっくりなのかな。
食べることさえ面倒臭がるのに!
むーん、とレンゲを口にくわえて眉を寄せてお兄ちゃんを眺めていたら、お兄ちゃんの手が見覚えのある布を掴んだ。
あれ、なんだっけ。ハンカチ? にしては素材が……
慣れた手つきで両手でぱさりと空気を含ませるように上下に振ったその布は、三角形のシルエットで。
うっかり、口の中にまだ残っていた柔らかいご飯粒を吸い込んだ。
げほごほとむせながら、慌てて立ち上がってお兄ちゃんの手からそれを奪いに行く。ついでにかごの中に残ってるだろう相方も探し出す。
「そ、それ、と、これはいい!」
下着類は自分で洗う時にと分けてたのに!
連休だから、あたししか洗濯しないだろうと油断してた。ハンガーを一本もらって部屋に駆け込む。
お兄ちゃんにはただの布きれなのかな。水着と変わらない感じ? いや。変な反応されても困るんだけど。だけど!
いつものように部屋の中に干して居間に戻ると、お兄ちゃんは何事も無かったかのように続きを干してた。なんか、お騒がせしてすみませんって感じだ。
空になったかごを持って洗面所へ戻るお兄ちゃんは、テーブルの横を通り過ぎる時に「薬飲めよ」って普通に言った。
意識してるのがあたしだけみたいで、なんか、悔しい。
忠告通り、忘れかけていた薬をぷちぷちと押し出していたら、お兄ちゃんがあくびをしながらまた通り過ぎる。
「……お兄も寝る?」
「ああ。食器、洗わなくていいからな。置いとけ」
「うん。おやすみ」
「ともきも寝ろよ」
「うん」
お兄ちゃんの部屋のドアが閉まると、カーテンを引く音が聞こえた。
ちょっとだけ、うどん作っちゃおうかと考えて、折角やる気になってる人に失礼かと、鍋だけ調理台の上に出しておく。
お兄ちゃんは片づけもするから、物の位置とか調味料のある場所とか分かってるはずなんだけどね。
……本当に、作るのかな?
一眠りして、蒸し暑さに目が覚める。
薬のせいか、全身がぐっしょりと濡れたようだった。気持ち悪さに全部を脱いで、枕カバー代わりに巻いていたタオルでざっと全身を拭う。ふわふわしていた頭もスッキリして、身体も軽く感じた。
着替えてしまって、水分補給をと冷蔵庫を開けると、みかんの粒の入ったゼリーが目についた。お粥はすぐ消化しちゃうし、熱が下がったからお腹が空いた感覚が戻ってきていた。スポーツ飲料と一緒に取り出して、食卓テーブルに移動する。
家の中は静かなもので、お兄ちゃんはまだ寝てるんだろう。
もう陽は傾いてきてるようだし、暗くなったら起きないんじゃないかな、とか考える。
透明なゼリーとみかんを半粒だけスプーンで掬いあげて、目の前でぷるぷると揺れるゼリーを観察してから口に入れた。冷たくて柔らかいゼリーは舌で潰して食感と喉越しを楽しむ。冷たいものが気持ちいいのは、まだ熱が下がりきってないからだろう。
まるまる一個食べ切れたことに満足して、もう一眠りしようとトイレに立った。
戻ったら、お兄ちゃんがスプーンとゼリーの空ごみを片付けようとしているところだった。
「あ、いいよ。自分でやる」
「……もう持ったし……熱、下がったのか?」
「だいぶ? 測ってないけど」
プラごみのごみ箱にゼリーカップを放り込んで戻ってきたお兄ちゃんは、スポーツ飲料を持ち上げたあたしに手を伸ばした。
まだ少しお兄ちゃんの手の方がひんやりしてるような気がするけど、微妙な感じだった。お兄ちゃんもちょっと眉をしかめてる。
「寝起きで、よくわからん」
首筋に当てられた手を、そのまま後頭部に回されて引き寄せられる。こつんと、額がぶつかった。
「ああ、まだあるな。七度台ってとこか。夜にはまた上がるだろうから、あんまり起きてるなよ?」
すぐに離れて行ったお兄ちゃんは、調理台の上の鍋の蓋を開けて中身を確認してから、計量カップと調味料を用意し始めた。
キスされるんじゃないかとか、邪な妄想をしたあたしは、そんなことを思ったのが恥ずかしくて、手に持ったスポーツ飲料をごくごくと喉に流し込む。
ちょっと顔が火照ってるけど、スマホで確認しながら準備してるお兄ちゃんには気付かれないだろう。
……気付かないでほしいな。
一旦部屋に戻って枕元にペットボトルを置くと、顔の火照りが治まったのを確認しつつ、上着を引掛けて居間に戻る。
いつもはお兄ちゃんが座る場所の椅子を引いて腰掛け、両手で頬杖をついた。
戻ってきたあたしに、お兄ちゃんが厳しい目を向ける。
「寝ないのか?」
「ちょっと心配で寝てられない」
小さく舌打ちが聞こえた。
「やりづらい。大丈夫だ。火さえつけば煮える」
「うん」
返事をしつつも立ち上がろうとしないあたしに、お兄ちゃんは諦めたのか準備の続きを始める。
鍋に計量カップで量った水とだしの素を入れて、続けてお醤油とみりん。それを火にかけたら、野菜室にあった玉葱と人参を切り始める。
ゆっくりだったけど、危な気は無くて意外だった。
先に鍋の中身が沸騰しても慌てず火を弱めておくところとか、口を出す場所も無い。
「ほら。大丈夫だろ? 寝てろ」
「……うん」
玉ねぎを切り終わって鍋に入れ、一息ついたところでしかめっ面で睨まれる。睨まれてるのに、なんだか幸せな気分になってえへへと笑いが零れた。
「新妻を見守る気分て、こんなかなぁ」
「誰が新妻だっ」
包丁をわざとらしくこちらに向けたので、まだ見ていたかったけど仕方なく立ち上がる。それを確認すると、お兄ちゃんは真面目な顔で人参と向き合った。
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