兄:在りし日の友人
「え? ちょ……追い払わなくても! 紹介、してくれたっていいんじゃないか?」
追い払ったつもりはなかったけれど、そういうことになるんだろうか。朋生との出会いなんてまともに話せる話題じゃない。
「妹だ」
「妹?」
訝しげに眉を寄せた後、高山は朋生の後ろ姿を目で追った。
「お前、妹なんて……」
「事情があってうちに引き取った」
戻ってきた目には探るような光が浮かんでいる。
「それが、姿をくらませてた理由だって……」
「はい。よろしいですよ」
まち針を打ち終わり、少々気まずそうに言って、店員はそそくさと離れていった。遮られた質問にこれ幸いと音を立ててカーテンを引いてやる。
「もう同僚じゃない。悪いが何も答える気はない」
「大空……」
その声に落胆の色が滲むのを感じても、かつての友人に思うところは何もなかった。
「……
「お前が伝えればいい」
「怒ってるのか?」
「いいや。そんなつもりはない」
「じゃあ……!」
一度興奮気味に上がった声は、そのまま飲み込まれて含みのある声音に変わる。
「……妹さん、可愛かったな。友達になってもらおうかな」
挑発だと分かっていても、思わずカーテンを引き開けた。シャツの上に着る予定のセーターはまだ足元に転がってる。
「ともきに近付くな」
「妹の交友関係まで口出す兄貴かよ」
「お前じゃなきゃ口出したりしない」
「差別はんたーい」
「高山」
彼の口角が意地悪く上がる。ああ、そうだ。よく見た顔だ。
「大空。どっちだ? 聞かれたくないのか、聞かせたくないのか」
思わず、朋生の去った方へ視線を飛ばす。見えるのは知らない顔ばかり。
「……どっちもだ。ともきには何の関係も無いことだ」
「ずいぶん過保護にしてるんだな」
「そうじゃない。俺と居るのは今だけだから、いつか離れて行くのに、俺の過去は必要ない」
「必要か必要じゃないかは彼女が決めることだと思うけど。ま、いいや。お前の話はNGね? じゃあ、純粋な彼女への興味でお近づきになるのは、口出さないな?」
にやにやと、高山は踵を返そうとした。
「高山っ」
引き止めさせられている。分かってしまうからいらいらとする。
「お前、千早と……」
「『もう同僚じゃない。何も答える気はない』」
ご丁寧に、口真似で返される。舌打ちが、響く。
「だから、近況の交換がしたいなら、飯でも食いに行こう? 妹さんも連れてさ。一緒に買い物してるくらいだし、仲悪くはないんだろう? 意外だけど、ちょっと安心した」
ふっと表情を緩めた高山は、さも当然というようにスマホを取り出して俺を促す。
深々と息を吐き出して、できるだけにっこりと笑ってやった。大サービスだ。
「行かない。個人情報も渡さない」
きょとんとした後、盛大に顔を顰めて、高山は今度こそ踵を返した。
「強情な奴!」
ここで断ったからって、奴は大抵の情報を手に入れられる。ほんの時間稼ぎくらいにしかならないだろうが、もう以前のような関係に戻る気も無い。朋生に接触するのはやめてほしいけれど、朋生がそれにどう応えるかは自由だ。よく考えれば、聞かれて困るような話なんてない。好きにさせればいいんだ。
小さく溜息をついて、セーターを拾い上げた。さっさと支払いを済ませて、朋生を探さないと。
* * *
婦人服売り場のフロアをざっと眺めても、高山の姿は見当たらなかった。さすがにそのまま朋生に声をかけに行くほど非常識じゃなかったらしい。
朋生は二種類のワンピースを並べてうんうん唸っていた。
「すまん。コート、持たせたままだった」
彼女の腕からコートとサングラスを取り上げる。
「あ、お兄。ちゃんと買ってきた? ネクタイと、チーフも?」
頷くと、さらに何か聞きたそうな顔をしてるのに口を引き結んでいるから、その頬を摘まんでやった。
「い……った」
「昔の同僚だ。悪い奴じゃないが、ちょっと厄介だから、どこかで声をかけられても構わなくていいから」
「どこかで……って、お兄といなかったら分からないでしょ? ちゃんと顔合わせてないし……」
「厄介だって言ってるだろ。得意なんだよ。そういうの」
不思議そうに少し首を傾げる朋生の頬から手を放す。
「……でも、ともきが何か聞きたいなら、話してみるといい」
「えっ」
痛かったのか、つままれた頬に手を当てながら、朋生は目を丸くした。
「い、いいの? 聞いちゃって」
「別に面白いことはない。俺が話す気がないだけだから……聞きたければ聞けばいい」
真意を掴み損ねてるのか、彼女の視線が少し揺れる。
「好きにしていい。気にしないから。ただし、食事や茶に誘われても、俺は一緒に行かない。そこだけ解っててくれればいい」
「……お兄はあの人嫌いなの?」
「いいや。言ってるだろ。悪い奴じゃない」
朋生は少し考えてから、小さく頷いた。それから気を取り直したようにワンピースに向き直る。
「ね。お兄はどっちがいいと思う?」
深めの光沢のある青い生地の上に黒の薔薇模様のレースがあしらわれているものと、首回りとスカートの切り返しが黒のレースのブルーグレーのワンピース。両手に持って交互に当てて見せる。いつものようにどちらでも、と口を開いたはずなのに違う言葉が飛び出した。
「青い方」
朋生もちょっとびっくりしてる。期待してなかった顔だ。
口に出してから、もう一度その服を見る。そうか。こういうのが好みなのか。他人事みたいに自分を知る。
「じゃ、じゃあ、こっちにする」
「試着しなくていいのか?」
「……見たい?」
何故か期待した目で見られたが、見たい訳じゃない。
「別に。当日入らないって騒がなきゃいい」
「大丈夫だよ! サイズ変わってないし!」
むっとして、意地になったかのようにそのままレジに向かう朋生の後を追って、彼女が財布を出そうと鞄を探ってる間に俺は店員にカードを差し出した。
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