やさぐれ魔術師ルカ 自戒の旅路
しノ
プロローグ
「あ……あ……」
少年は意味のない言葉を漏らしながら、目の前の出来事から目を逸らせずにいた。
黒い癖毛の、紫の大きな釣り目が特徴的な十歳くらいの少年だった。細身ではあったが同じ年頃の子供よりは若干背が高く、遊びではなく戦いでついた筋肉で引き締まった体が、彼の特異さを物語っていた。
戦闘に慣れ、力もついているはずの少年に支えきれない重みがなだれ込む。
「に……兄さん!」
少年になだれ込んできたのは、彼の兄だった。
彼の兄は魔術師の証である黒いローブを纏っていた――小柄だからか、纏っているローブが彼の体格には合っていないらしく、裾や袖が少し余っていたが。「魔術師にしては優しすぎる」と周りから評されていても、優しく強い兄は少年の誇りだった。
(兄さんは強い、兄さんは負けない、兄さんは死んだりしない)
自分に言い聞かせるように心で呟き続ける少年に、もたれかかる兄の腹部から流れだした血の生暖かい感覚が触れ、焦燥を駆り立てた。
「……だいじょうぶ、か……」
痛みからか愛おしさからか――弟と同じ紫の双眸を細め、兄は少年の頭を撫でた。
「に……兄さん!しっかりして!」
「……よかった、……おまえが無事で……よかった……」
うわごとのようによかった、とつぶやき続ける兄を見て、少年はさあっと顔を青ざめさせた。脱力してもたれ掛かる兄の重さが、少年の恐怖をさらに増大させていく。
(出血が多い――今の兄さんに、治療魔術の痛みが耐えられるだろうか)
「……う……」
そうこうしているうちにみるみる兄の血色は悪くなる一方だ。
どちらにせよ、止血しなければならない――少年は意を決し、傷口に両手を翳した。
「……紡ぐは命の糸、死の足音を―――」
「解けろ」
男の低音の声が響いた瞬間、少年は目を見開き、弾かれたように声の方へ振り向いた。
「何故邪魔をした!」
少年は声の主である男を睨み付け、そう怒声を上げる。先ほど少年を支配していた恐怖はきれいに消え去り、代わりに怒りが彼の心を支配した。
切れ長の眼を持つ、黒髪の男だった。がっしりした体つきが、黒いローブの上からでも良く分かる。見た者を凍り付かせそうなほどの冷たい目で、少年を見下ろしていた。
「お前が魔術を使えば、その傷口に残る残滓がお前の魔力に塗り替えられる。あれに対抗するためには、奴の残滓を調べなくてはならん。本来、あれは生け捕りにすると命じた筈だ」
「でもっ! 兄さんが――!」
「この程度で死ぬのなら、その程度の魔術師だったと言う事だ」
「なんだと……!?ふざけるなっ!」
平然とそう言う男に、耐え切れなくなった少年は男に飛びかかった。男の近くに控えていた部下らしき魔術師たちが、少年を止めようと立ちふさがる。
部下たちは少年を捕まえようと手を伸ばすが、その手は蹴り飛ばされ、時には足場にされ――すぐに距離を取られる。身軽な子供ゆえの身のこなしと言ったレベルではない少年の動きに、魔術師たちは着いて行けずにいた。
「星よ落ちろ!」
少年がそう唱えると、彼の手から数多の光が溢れ、魔術師たちの方向へ飛んでゆく。
ほとばしる光が魔術師たちにぶち当たると、火花を上げて炸裂。炸裂した魔術の光で火傷を負った魔術師たちは苦悶の声を上げている。
「今のは警告だ――次は炭にしてやるぞ!」
魔術師たちが動けずにいるのを見て、少年は威嚇するように――しかし、どこか得意げにそう吠えた。
「…………子供一人どうにもできないのか、お前たちは」
男はそうつぶやくと、真っ直ぐに少年に近づいて行った。特に、警戒する様子もなく。
男の行動に少年は一瞬動揺したが、すぐに男を睨み付け、口を開いた。
「星よ――!」
再び魔術を使おうとした少年に、男は何かを投げつけた。集中が途切れた少年は舌打ちし、それを避けるべく後ろへ跳んだ。
「―――!」
ガラスが割れるけたたましい音が響き渡る。少年が避けた場所には、粉々になったガラスが外から漏れる月光に照らされ、ほのかな輝きを帯びていた。
「子供はそうだ。――集中が続かず、感情に支配され、すぐ気を取られる」
「な――!」
男の言う通り――音に気を取られていた少年は、男の接近を許してしまっていたことにようやく気づいた。気づいた時にはもう遅く、男は容赦なく少年の鳩尾に蹴りを食らわせた。
「ぐぅっ!」
男の鋭い一撃に、少年は身体が乖離したような錯覚を覚えた。崩れ落ちながら口から血を吐いた少年を、男はただ冷たい目で見降ろしていた。
「その程度で、魔術師を名乗るな」
「っ、るさい、消え、ろ――ッ!」
息も絶え絶えに少年が声を振り絞ると、男に向けた左掌から黒い光線が四方八方に放たれた。黒い光は無作為に当たった物体を爆裂させ、轟音を立てて周囲を破壊しつくしていった。
その様子を見てあきれたような顔をした男は静かに口を開く。
「――崩壊せよ」
男のその一言だけで、その場にまた静寂が戻った。破壊も、轟音も瞬時に消え去ったのだ――一言、だけで。
「そ、んな…………」
少年の体力に限界が来たのか、まるで降参したかのようにその場に倒れこんだ。
「お前には確かに才能がある。――だが、あるだけだ。強力な武器を持っていても、使いこなせなければ意味がない」
朦朧とした意識で、少年はおぼろげに男の言葉を聞いた。煩い、黙れ――そう叫びたいのに、声が出ない。この男を殺すための魔術を使いたいのに、そのための声が、出ない。
「連れて行け」
少年はかすんだ目で、男が踵を返すのを見た。身体が浮き上がるのを感じ、力を振り絞って手足をばたつかせた。
「おま、えっ……なんで、……んな……こと」
痛みに苦しみながら問う少年に、男は顔を向けることはない。
「私の行動も意思もすべて――魔術師の未来――ひいては、世界のためだ」
あっさり答えた男の声は、ひどく冷たいものだった。
少年は、絶望の形を思い出した。
それはいつも人の形をしているのだ、と。
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