貴女に刃を、ありったけの感情を

破壊神1/4《シヴァ・クォーター》

殺伐感情戦線

第二回「笑顔」姉の笑顔が嫌いな妹の話

不出来な笑みを見せないで

 勢いよく振り抜いた平手は小気味よい音の代わりに鈍い残響だけを耳に届け、私は痛みに顔をしかめて思わず手のひらを撫ぜた。

 頬を叩かれたそいつは頭部を微塵も動かさず、ただただ自分だけが痛い思いをしたことを思い知らされてさらに苛立ちが増す。

 数瞬の間状況を処理できずにフリーズしていたそいつは、私の仕打ちを理解すると、ゆっくりと顔を駆動させて表情を作った。

「……何をするのよ、絵里。痛いじゃないの」

 ──ああ、その顔だ。

 仕方ない子ね、とでも続けそうなその下がった眉が。

 慈愛すらも感じさせる、困ったような笑顔が──私の神経を逆撫でする。

「……笑ってんじゃないわよ」

「私、何か気に障ることをしたかしら。だとしたら、謝るわ。ごめんなさいね、私」

「笑うなって言ってるのよ!!!」

 今度は壁に拳を叩きつけ、口から零れる耳障りな音を遮る。多少痛いが、こいつの顔に比べればよっぽど柔らかく思えた。

「絵里」

「ちっとも姉さんに似てないのよ!!! この偽物!!」

 振り絞るような叫びは、しかし目の前の女の表情を変えるには至らなかった。

 私は、歯噛みして眼前の笑みを──姉と瓜二つの顔が作り出す、しかし姉なら私に絶対に向ける事のないだろう表情を睨みつけた。


◆   ◆   ◆


 工学者の父親なんてのは、この世に存在する父親の中でも最低の部類に入るだろう。少なくとも私たち姉妹の父はそうだ。自分の仕事は社会に貢献する尊い行いなのだと言い訳を振りかざし家庭を一顧だにしなかった癖に、いざ娘が死んだとなると大いに嘆き悲しみ、自分勝手な感傷から娘に似せた鉄人形なんて拵える、どうしようもない男。死んだ娘への精いっぱいの弔いのつもりなのだろうか。それとも姉を失った私を慰めるため? どちらにしても大きな見当違いだし、気色の悪いことこの上ない。そんな馬鹿な父親のせいで死人に似せたロボットなんかと生活する羽目になるこっちの気持ちも考えてほしい。

 私の毎日は、こいつのせいでめちゃくちゃだ。


◆   ◆   ◆


 きゅうう、と小さな音が無音の部屋の中でやけに大きく響いた。

 我ながら可愛らしい音を立てる腹部を、少し恨めしい気持ちで見つめるも、しかし視線で腹は膨れない。何も食べずに部屋に籠っていたら腹が減るのはごく自然の道理だ。ましてや、大声を張り上げたのなら、猶更。私は溜息をついてもたれかけていたドアから背中を離して立ち上がる。もう夜も遅い。この時間なら、リビングに降りても大丈夫だろう。

 足音をなるべく立てずに階段を降りると、はたしてあの忌々しいロボットはソファに腰かけて目を閉じていた。スリープモードだ。こんなところまで緻密に人間を模倣する父の凝りように、もはや呆れの感情を抱きもしない。

 さて何を食べようかと冷蔵庫に目を向けようとする途中、テーブルの上に置かれた皿に視線移動を阻害される。ラップで包まれたそれは、メモと共に置かれた肉じゃがだった。しばし逡巡したが、自分で何か作るのも面倒くさい。暖めなおして食べてやることにした。メモは一字たりとも読むことなく破り捨てる。わざわざ腹を立てる必要はどこにもない。

 音の小さなレンジに感謝し、私は熱を取り戻したジャガイモを口に運ぶ。……途端に、父が珍しく家で食事をした時の記憶が蘇り、その事自体に顔をしかめる。最悪この上ない。

 嫌な気分を呑み込むように、私は無言で箸を動かす。完璧だ。文句のつけようもない。その味は確かに、家族三人で食べたあの肉じゃがを寸分違わず再現していた。ロボットにここまでさせる技術に、工学者としての父がいかに優秀であるかを改めて知る。

 完璧なのは父の再現力だけでなく、そもそもこの肉じゃが本来の味そのものがそうであった。姉は昔からそうで、何をさせても完璧にこなしてしまう人だった。成績はいつでもトップを守り、部活の大会では新記録を残し。先輩後輩同級生を問わず誰にでも好かれ、その人望から生徒会長を務めるほど。姉が残した改革の成果は、卒業から数年が経つ今でも学内に見て取れる。父も相当だが、姉はそれ以上だ。鳶が鷹、とは言うが、姉の場合は鷹からジェット機と言った感じで、私はさながらキジバトとでも言うべきだろうか。

 姉に想いを馳せながら食事を終える。部屋に戻ろうとしたが、そのためにはあの偽物の前を通らなければならない。スリープモードを解除しないよう、足音を殺して脱出を試みる。起きないことを祈ってちらと視線を向けると、そこには瞳を閉じた姉の顔があって──私は思わず足を止めてしまった。

 ゆっくりと顔を近づける。細部にこだわる父の発明品は、スリープモード時にわざわざ寝息を立てさせるほどに精巧だ。ゆっくりと上下する豊かな胸の上にある顔は、すぐ下に鋼鉄があることを感じさせないほどのたおやかさ。こうして目を閉じていると、長い睫毛の一本一本まで本当に姉にそっくりで。

私は、思わず。

「姉さん……」

 口から洩れた言葉にしまった、と思う間もなく。迂闊な私の声を耳ざとく聞きつけたそいつはゆっくりと目を開き。

 そして眼前の私を認識すると、ゆるりと笑みを浮かべた。


「おはよう、絵里。ご飯は食べたかしら?」


 瞬間、満腹の胃の奥底がカッと熱くなり、私は思わずそいつを蹴り飛ばした。

 ソファから崩れ落ちる姿を見ても激情は収まらず、私は馬乗りになって金属人形に通じない拳を叩きつける。

「ふざけるな!! ふざけるな、ふざけるな、ふざけるな!!!!」

 感情に任せて、己の痛みも気にせずに殴り続ける。意味がないのは分かっていても、怒りを抑えきれない。

 ああ、本当にふざけるな。

 姉さんは。誰にでも人当たり良く、完璧だった姉さんは。

 二人きりの時に、私にそんな優しい表情を浮かべはしない──!



 父の最悪なところをあげれば枚挙に暇がないが、姉の死を巡る一件の中でもっとも最悪だったのは、姉を完璧に再現したことだ。

 そう、父は実に完璧に仕上げて見せた──父にいつも見せていた、完璧な外面を。



 私と二人きりの時の姉は、完璧な外面とは似ても似つかない、酷薄で、冷徹で、非情な女だった。

 出来の悪い妹を見下し、こき使い、時には暴力も交え、自分のいいように支配して自尊心を満たす、女王のような女──それが姉の本性。

 私以外は知りもしないだろう。それほどに姉の演技は完璧だった。たとえ家族であっても、家庭を顧みることのなかった父は欠片も疑いもしないはずだ。

 認めよう、このロボットは完璧だ。世間の皆が信じる姉の再現として。

 ただ──私にとってだけは、酷く出来の悪い、偽物なのだ。



 殴り疲れた拳を下ろし、馬乗りのまま、私は呟きと涙を零す。

「姉さん……なんで死んだのよ……」

 嗚呼、出来る事ならもう一度だけ、あの笑顔を私に向けてほしい。

 こんな偽物の暖かな笑顔なんかじゃなく──あの、心の底から私を見下した、芯から凍てつきそうな、あのせせら笑いを。

 姉さんが、私だけに見せてくれる──誰も知らない姉さんの本当の笑顔を。

 私の嘆きは姉に届くことはなく、ただ不出来な笑顔を浮かべる機械人形のセンサーに無慈悲に吸い込まれていった。


<了>

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