第3話
勇者イクサ様が召喚された後、イクサ様と行動を共にした者がいます。
今の王宮魔導師長マレーンの一番弟子、エルレン。次期王宮魔導師長として人望も高く、魔術研究に打ち込み過ぎた学者一筋の他の王宮魔導師とは違い、話もできるという方です。
魔導師というのは、言い方は悪いのですが専門バカという方が多く、一般的というか常識というものから外れた人が多い職業です。なので話が通じない人がけっこういます。
その中で魔導師エルレンはバランス感覚があって、いろいろと気が回るところがある魔導師です。初めは勇者イクサ様の魔術修練の教師として、イクサ様に魔術指導をしていました。
勇者イクサ様が魔術を身に付けられないことが解ってからは、勇者の支援役として共に旅をしたこともある人物です。
そこ魔導師エルレンから話を窺います。
「イクサ様の指導にあたったのは私ひとりでは無く、剣聖ルブラン、槍士リオードも共におりました」
「はい、それは知っております。魔導師エルレン、あなたから見たイクサ様のことをお聞きしたいのですが」
「私から見たイクサ様、ですか」
椅子に座ったまま、腕を組み天井を見上げて考える魔導師エルレン。
少し神経質な感じの方ですね。
「イクサ様は、その、無口な方です。必要最低限のことしか口にしません」
「みなさんそのように仰います。でも指導するときは、イクサ様が解らないことを聞いてきたりするのでは?」
「そういったことがほとんどありません。イクサ様はなんといいますか、ものの覚え方が常人とは違うようです」
「違うんですか?」
「天才、なのでしょうね。説明を聞いて覚えるよりも、実際に目の前で見せたものを習得する方が速い、と」
「はぁ」
「剣聖ルブランと槍士リオードが技を教えるよりも、二人が手合わせするのを近くで見ているほうが覚えやすい、ということでして」
「もしかして、それが勇者の力、なんでしょうか?」
「解りません。魔術については私が教えてみましたが、イクサ様に素質が無いわけではありません。ですが『魔術はややこしい。先に剣と近接戦闘』という方針になりました」
イクサ様、魔術の素質もあったんですか?
流石は勇者様です。
「その方針はイクサ様が口にした言葉ですよね?」
「はい、そうです。初めのころはそのように言葉を口にすることもありました。剣聖ルブランと槍士リオードにも、『あれを見せろ』『さっきの奴をもう1度』という指示を出します」
「それでは皆さん、イクサ様と少しは会話をしたことがある、ということですね」
これは期待できますか? 戦闘についてならば会話は可能ですか?
たとえば私が、『強くなりたいので勇者イクサ様、私に剣を教えてください』と言えば、師匠と弟子として剣術議論などする。
これはいけるかもしれません。
「会話、ですか……」
魔導師エルレンが遠い目をします。
「私もイクサ様と親密に話をしようと考えたことがあります。いきなり違う世界に連れて来られて、家族とも友人とも会えない。そんなイクサ様が不憫になりまして、訓練以外でも話をしようとしたことがあります」
「魔導師エルレンはお優しい方なのですね」
「私が今の地位にいるのは、友人達が私を助けてくれているからなので。そのときはこれから魔族と闘うイクサ様の心の支えになれないものか、と考えていました」
このあたり魔術研究にしか興味の無い魔導師とは違いますね。次期王宮魔導師長としてエルレンは頼もしいです。
「初めて見たときのイクサ様は、聖女クロリア様より少し背の低い、可愛らしい女の子でした」
「えええええええええ!!」
嘘ぉ!?
クロリア姉上より背が低い可愛らしい女の子お!?
嘘でしょう!?
「本当です」
え? ちょっと待って下さい。
勇者イクサ様といえば大きい人です。
とても背が高くて大きい方です。
近くで見た憶えがありませんが、この国でイクサ様より背の高い人はいないはずです。
「魔族と戦うために身体を鍛えたら、今の姿に成長しました。だいたい三ヶ月で」
「三ヶ月で?」
「はい。身体がわずかな期間で急激に大きくなり、筋肉がつき、肌の色が変わりました。表情の無い顔だちと髪の色と瞳の色は変わってません。身長だけなら、だいたい1.5倍に伸びましたね」
……いやぁ、凄い成長期なんですね。
同年代の男と比べて背の低い私には、背が高いというのはちょっと羨ましいですね。
ちょっと大きくなり過ぎですが。
「必要な状況に合わせて肉体を変質させる。これはチキュウ界のニッポン人の特性なのかもしれません」
「なるほど、勇者召喚がこれまで秘術として隠された理由に繋がるのかもしれませんね」
チキュウ界のニッポン人は全員バケモノか……、
いえ、あの、えぇと、つまり勇者ということなのですか。
「イクサ様が邪念の無い方であったのが救いなのでしょう。あの方の怒りが我らに向けば、魔族以上の驚異となります」
「魔導師エルレン、イクサ様はこの国を救ってくれた勇者様です。そのような言い方は慎んでください」
「失礼しました。確かにイクサ様は我らのために戦ってくれました。しかし、私にはイクサ様の本意が解りません」
イクサ様の本意ですか。
イクサ様は何を考えて私達を助けてくれたのでしょうか?
故郷に戻るために戦っていた訳でも無いですし。
「私は、すこしでもイクサ様との距離を縮めようと、外で剣の素振りをするイクサ様にお茶とお菓子をお持ちしたことがあります。そのときのことですが、近くにエフラの花が咲いておりました。
私はイクサ様に話しかけてみました。
『今年はエフラの花が綺麗に咲いておりますな』
『エフラの花?』
『はい、この花が大きく咲くと秋の実りが良くなると、豊作の前触れとも言われる花です』
『この花は戦闘に効果はあるのか?』
『は?』
『毒、麻痺、睡眠、幻覚などはあるのか?』
『い、いえ、無害の花で』
『解毒、消毒、鎮痛、解熱に使えるのか?』
『いえ、薬草でもありません』
『それならば、なぜ、花の話をする?』
『いや、あの、綺麗に咲いたなぁと思ったものでして』
『花の美醜は解らん』
『はぁ』
『その話は花を見て美しいと感じる者とした方がいい。私を相手に花の話をしても時間の無駄』
『はぁ』
『以上』
『あ、あのお菓子はどうでした? 今の時期はチョルの実が旬でして、このチョルのパイはちょっと甘口ですが』
『糖分の補給になった』
『あの、あの、味の方は?』
『毒は入っていない』
『え? あの……』
『味覚と嗅覚は、毒と腐敗を判別するためのものだ』
と、まぁ、終始こんな感じでして。私が話しかけたことには、イクサ様は応えてくれたのですが」
「はぁ、でも、それなりに受け答えはできたのですね?」
「そのときは。その後も話をしてみようとしたのですが、イクサ様の方がめんどくさそうになりました。やがてイクサ様が首を縦に振るか、横に振るかで応えるだけになりました」
うーん、なんですか、これは?
花の色もお菓子の味もどうでもいいというような感じは。そういう女の人を相手にしたことが無いので、どうしていいかわかりません。
「魔導師エルレン、お茶やお菓子をイクサ様に持っていったということですが?」
「はい、まずは餌付けから、と考えまして」
「餌付けって……、あ、えっとですね。イクサ様が気に入ったお菓子とかお茶の銘柄などは解りますか?」
「まったく解りません。よく言えば好き嫌いの無い方です」
なるほど、好き嫌いが無い。
これは良い言葉です。ですが私の知りたいところからどんどん遠ざかっていきます。
好物なども解らないということですか。
甘いものが好きか、しょっぱいものが好きかも解らないんですか。
「食べられるものは食べます。ただ、処理するように口にするので、美味しいと思ってるのか不味いと感じてるのかも解りません。聞いてみても『栄養の補給』としか」
「味覚になにか問題があるのでしょうか?」
「味覚と嗅覚は鋭いようです。毒物については味と臭いですぐに解るようです」
「味は解るということですか?」
「そのようです。しかし、毒で無ければ味については思うことは無いようです」
えーと、食べ物に毒を混ぜてもすぐに解るということですね。
どうして好物を知ろうとしたら、暗殺対策を考えるような事になってしまうのですか?
あぁ、でもイクサ様を妻にして、いつも妻と同じものを食べていれば、毒が入れられていてもすぐに解るかもしれませんね。
その点では安心できます。
これがポジティブシンキングというものですか。
……違いますね。幸せな新婚生活に求めるものから大きく遠ざかった気がします。
考え込んでいると、
「ゼイル王子、私から申し上げるのは、イクサ様を私達と同じ人とは考えない方が良いということです」
「ですがイクサ様も同じ人でしょう?」
「確かに、手足の数も目鼻の数も同じですが、中身は私達と違う生き物です」
「言葉が通じて、会話もできるのでは無いですか?」
「魔族の1部や歳経たドラゴンとも会話は可能です。ですが習慣、文化、なにより物事の考え方が大きく違います。イクサ様は異界の人物。これは、人の姿に変化したドラゴンだと考えたほうが、理解しやすく付き合いやすいです」
……ドラゴンですかー。
確かにイクサ様は、人間離れした活躍の噂ばっかりの勇者様ですが。
「あのですね、魔導師エルレン。私はそのイクサ様と結婚することになったのですよ?」
「それは、なんといいますか……」
魔導師エルレンは言葉に詰まって目を伏せます。
……なんですか、その、仔兎が狼に捕まって食べられるのを見て、これが自然の厳しさか野生の掟かと、自分に言い聞かせるような態度は。
魔導師エルレンは目を背けたまま小さくボソリと呟きます。
「御愁傷様です」
それ言っちゃダメでしょう?
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