第4話 もう一人いた

脳内にベルの音が反響し、俺は目を覚ました。

大きくあくびをしながら、5時10分と表示された目覚まし時計を止めた――正直

まだ眠い。

この時間だと家族はまだ寝ているため、起こさぬよう、ゆっくりと階段を下りた。


「そういや、目覚ましの音で起きるのは久しぶりだな」

俺は朝食のパンをかじりながら、呟いた。

昨日河江と別れた後、俺は過去を思い出すヒントになりそうなものや、河江に

持っていると言ってしまった写真を求めて夜遅くまで自室の捜索を行った。

結果としてめぼしいものは見つからず、単に就寝時間が遅れただけだった。


今日帰ってきたら、母さんにでも聞いてみるか。

そう考えつつ玄関で靴を履いていると、制服のズボンに入っているスマホが震えた。

確認すると、昨日連絡先を交換した河江からチャットメッセージが届いていた。


『ようくんいまどこ』

家族と公式アプリ以外から届いたメッセージに若干感動を覚えつつ、

『家だけど?今から学校』と返事を返す。すると即返信がきた。はえーな……

『あと15分待ってもらえる?そっち行くから!』

河江からの返信を呼んだ俺は、昨日教えてもらった数軒先の河江の家を

目指すため、玄関のドアを開けた。





「何とか間に合った……」

電車到着まであと3分。何とか乗り過ごさずに済みそうだ。

よもや駅まで全力ダッシュをする羽目になるとは――原因は隣のこいつだ。

「いやー、朝からいい汗かいたねー」

諸悪の根源である河江は、細かいことは気にしないでと言わんばかりに、

ひたいの汗を拭いながらニコッと笑顔を見せた。

ちょっとかわいいのが、逆に腹立つ。


「誰のせいだよ、まったく」

結局あの後30分以上は待たされることになり、危うく遅刻するところだった。

「ほんとっごめん!」

手を合わせつつ河江は深々と頭を下げた。

「それよりどう、感想は?」

「反省の気持ちが伝わってこないんだが」

「してるよー!で、どうどう?似合ってる?」


俺との制服を着た河江は、その場でくるっと1回転をしてみせた。

ふわっと舞うスカートを見つめちゃう、だって男の子だもん。

「同じ高校だなんて聞いてない」

スカートの舞いの終焉に未練を残しつつ、制服の感想ではなく、今感じている

思いをそのままぶつけた。

「へへへ、サプラーイズ!ビックリした?」

「ああ、マジで」

「ほんとに?やったぁぁ!大成功!ちなみにクラスも一緒だよ」


勝利のポーズといわんばかりに河江は腰に手を当て大きく、大きな胸を張った。

ちなみに、大きな胸の部分を強調するのに特に他意はない。繰り返す、

「ホントは、家の前で待ち伏せする予定だったんだけど、寝過ごしちゃった」

クラスも一緒の転校生ってシチュを用意するぐらいなら、いっそ曲がり角で

食パンをくわえながら、遅刻~遅刻~!ってぶつかってこいと思わなくもない。

「結局俺のほうが河江の家の前で待ってたしな、30

「あーあ。せっかく洋くんのお母さんにも内緒にしてもらってたのになー」

こいつにはどうやら皮肉が通じないらしい。てか母親よ、お前もグルか。


「ちなみにまだ感想をいただいていませんよ、隊長?」

前かがみで敬礼をする目の前の小悪魔が、意地悪な笑みを浮かべた。

「……かわいい」

割と勇気を振り絞りながら呟いたセリフを、電車の警笛がかき消した。





「へぇー、カナダにいたんだ。英語ペラペラ?」

「いいよねー、めっちゃ憧れるわ」

「つーかスタイル良すぎ、顔ちっさ」

俺の後ろの席では、河江が絶賛質問攻めにあっている。

『転校初日あるある』って動画でもこんなシーンあったなーなどを思いっつ、

俺は無関心を装いながらも、バッチリ聞き耳を立ていた。

過去を思い出すヒントになりそうな情報を手に入れるチャンスだと思った。


そうやって、窓の外を眺めるフリをしていると、後ろから河江の声がした。

「洋くん、ヘルプ!」

いや無理無理無理。コンビニの店員さんにすみませ~んと声をかけるのさえ

無理なのに、この集団の輪に混ざるのはハードル高いって。自殺行為。

「洋くん?」

そんな寂しそうな声で名前を呼ばないでくれ。あーもう分かったよっ!

「なに……?」

俺は意を決して振り向くと、その空間にある視線のすべてが俺に対して注がれる。

胸が締め付けられ、呼吸が荒くなるのを感じた。

それでも踏みとどまれたのは、目の前の河江が、笑顔で迎え入れてくれたからだ

と感じた。


「えぇ~?ふたりはどんな関係~?」

ファッションに疎い俺でも、わかる程度に化粧をした女子生徒が、肩まで伸びた茶色の髪をクルクル指に巻きつけながらが興味津々に聞いてきた。

俺ギャルって苦手なんだよな。なんかこう……ギャルギャルしてるんだよ。

名前はたしか竹宮恵奈たけみやえな。先ほど河江に自己紹介をしていたのをしっかりこそこそ聞いていた。


「私と洋くんは幼馴染!ねっ、洋くん?」

河江の問いかけに短く「ああ」とだけ答えようと思っていた矢先、

「女の子の幼馴染とかマジでうらやましいぜ。なぁ、成希なるき?」

「そうですね……それでは幸喜こうきは女の子になってください。そうすれば

少なくとも僕には女の子の幼馴染ができますから。いや、やっぱなしで。

想像したら吐き気を催しました」

二人の男児生徒が突然喋りだしたので、俺は慌てて口をつぐんだ。


休日は友達とバーベキュー!ってノリが好きそうな陽キャ代表みたいなのが

飯田幸喜いいだこうきで、七三のヘアースタイルに丸眼鏡が『ザ・優等生』という印象を与えてくるのが近藤成希こんどうなるき――この二人も河江にしていた自己紹介で覚えた。盗み聞きスキルが上限に達している、この俺をあまりナメないでもらいたい。


「そういやお前が誰かと絡んでるとこ初めて見たぜ。えっと……マジですまん、名前なんだっけ?」

飯田と目が合いそうになったので、俺はとっさに目線をそらした。

「昔からそうですが、幸喜は本当に空気が読めませんよね……高桐くんであってますよね?」

軽くため息をつきながら、近藤が俺の代わりに答えた。名前を知ってくれている

クラスメイトがいたことが嬉しくて、思わず顔がにやけた。いかんいかん、キモいと

思われてしまう。

「なっなに言ってんだよぉー!冗談!高桐だろっ!知ってた、知ってた!」

アニメや漫画で百万回は見たであろうテンプレな誤魔化し方を、よもや現実にやる奴がいたとは……今まで嘘くさっ、と馬鹿にしたことをお詫びして訂正いたします。


「恵奈、初めて高桐の声聞いたんですけど~めっちゃウケる」

手を叩きながら、竹宮が声を出して笑っているが、不思議と悪意は感じなかった。

なぜなら、他人への侮蔑ぶべつや悪口といったものは、ひっそりと陰湿に、だが

相手が認識できる程度に実行されることがほとんどだからだ。

中学の3年間でいやというほど体験したし、今この瞬間も、クラスメイトの数人が俺の顔をチラ見しながらニヤニヤと何かを話しているのが見えていた。

忘れようとしていた嫌な記憶がフラッシュバックを起こすと、呼吸は荒くなり、

胸が苦しくなった――。


「洋くん、大丈夫?顔色、良くないよ?」

ひたいに人のぬくもりを感じた――それは河江の小さな右手だった。

「私のせいで、朝から走らせちゃったから……ごめんね、洋くん」

「なんでもない。大丈夫だから」

うまく笑えていないことは十分理解している。それでも俺は精一杯笑顔を見せた。

俺なんかのために悲しい顔はさせたくないから。


「恋リアみたいでキュン死するわ~。これで付き合ってないってマ?」

「あーもう、マジうらやましーぜ!こうなったら、鈴ちゃんの歓迎会

今日やるべ!!このメンツでぱぁーっと盛り上がろうぜ!」

「幸喜の言っていることは意味不明ですが、歓迎会を開くのには僕も賛成ですね。

今日は部活もありませんし。」

「恵奈、別クラなんだけどオナ中の友達誘っていい?てか今こっちに呼ぶわ~」


感傷に浸る間もなく、どうやら放課後に河江の歓迎会を行うことが

ほぼ決定したらしい。歓迎会の主役であるはずの河江を見ると、いまだ心配そうに

俺を見つめていた。そろそろ、その顔はやめてくれ。

「本当に大丈夫?」

顔を近づけてきた河江からはやさしい香りがし、一気に心が落ち着いた。

「大丈夫」

今度はうまく笑えた気がする。

「そっか……歓迎会やってやってー!イエーイ!」

優しいほほえみが一瞬、その後はいつもの河江に戻り、満面の笑みで

歓迎会の開催を喜んでいる。やっぱり河江には、笑顔のほうが似合う。


そういえば、先ほど過去の映像がフラッシュバックした際、

『幼い河江が不安そうに俺のひたいに手をやる光景』を見た。

断片的であり、それ以上のことは分からない。

過去の自分は、その時何を感じ、何を思ったのだろうか?――知りたいと思った。

こんな気持ちを抱いたのは、で初めてだった。


ちなみに、もう一つ思い出したことがある。

過去の写真で『キヨちゃん』と河江が呼んでいた子のことだ。

まぁ、思い出せたのは当時の顔と名前ぐらいだが。

長い黒髪に、いわゆるジト目といわれる目つき。アニメや漫画に出てくる

無表情キャラって感じだろうか。名前はたしか――


「お~い、キヨ~!こっちこっち~」

ドキッとした。なんせ今頭の中で思い出していた名前を誰かが口にしたからだ。

声の主はギャルの竹宮だった。手招きに気づいた様子の女子生徒が、俺たちの

輪に近づいてきた。背は小さいが、長く伸びた黒髪とジトっとした目つきに合わせて、無表情の見本のような顔が、クールビューティーといった印象を与えてきた。

「みんな注目~。彼女がオナ中の友達のキヨで~す」

倉石澄音くらいしきよね――俺のもう一人の幼馴染がそこにいた。


































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