ヒヨコちゃんは曇り空

傘木咲華

ヒヨコちゃんは曇り空

 十六歳の高校二年生である晴岡はるおか明日太あすたは、薄墨色のウルフヘアーに黒縁眼鏡をかけている。すらりと背が高く整った容姿をしていて、クラスの中でも目立つ存在だ。それでも、基本的には普通の高校生と言っても良いだろう。

 ただ一つ、

 ――人の感情が見えてしまう。

 という点を除いては。


 元気だったら、晴れ。不安や迷いが渦巻いていたら、曇り。悲しいことがあったら、雨。その人の感情が天気となって頭上に現れる。それが明日太の能力だ。笑顔の時に雨が降っていることがあれば、平然としているのに太陽が燦々と輝いている時もある。つまりは、人の心がわかってしまうという訳だ。

 中学一年生の時、明日太は自分の能力に気が付いた。視力が悪くなってきて初めて眼鏡をかけた時、あまりにも現実離れした光景に驚いたものだ。どの眼鏡を試しても、母親や店員の頭上には太陽がある。眼鏡を外すとなくなって、かけ直すとやっぱり現れた。

 自分はいったい、いつからこの能力に目覚めていたのだろう? 眼鏡をかけ始める以前から天気が見えたのかも知れないし、そうじゃないかも知れない。高校生になった今でも答えは見えなかった。

 でも、受け入れてはいる。だって、人の心が見えてしまうのだ。笑っているのに曇りや雨だったら、そりゃあ心配で声をかけてしまうものだろう。だから今日も仕方がないのだと、明日太は自分自身に言い聞かせていた。


 教室の窓からでもわかるくらい、桜は綺麗に咲き誇っている。新学期に入ってまだ数日しか経っていないのだと感じさせる景色を、明日太はただじっと見つめていた。

(さて、どうしたものか……)

 放課後。クラスメイトが帰宅したり部活へと向かったりしている中、明日太は教室から動けずにいた。帰宅部なのだから早く帰れば良いのだが、やはり気になってしょうがない。

 時刻は午後三時四十分。随分長いこと沈黙していたような自覚はあったが、放課後になってから十分も経過していたようだ。このまま黙り込んでいる訳にもいかないし、そろそろ動き出さなければ。そう思って口を開こうとしたのだが、

「明日太くん、どったの? いつもはすぐに帰ってるのに」

 先に声をかけてきたのは、教室に残っているもう一人の人物――日名川ひなかわ頼子よりこだった。

 高校生に見えないくらいの小柄な身体と、おさげにした向日葵色の髪。いつも明るく、クラスのアイドル的存在と言っても過言ではない程、誰とも仲良くできるのが彼女の特徴だ。

「……あぁ、ヒヨコちゃんも残ってたんだね」

 日名川頼子のあだ名は「ひなちゃん」だが、明日太だけは「ヒヨコちゃん」と呼んでいる。別にヒヨコちゃんと特別な仲ではないのだが、一年生の時も同じクラスだったのだ。小柄だったり、鮮やかな髪の色だったり、ヒヨコちゃんのことは第一印象からヒヨコっぽいなぁと思っている。ヒヨコちゃんも特に嫌がったりはしていないので、そのまま呼ばせてもらっているという訳だ。

「うん、私もちょっとねー。それで、明日太くんは?」

「あー……ええっと。僕はただ、桜に見惚れてただけだよ」

「ぅえっ?」

 確かに、明日太の誤魔化し方は下手だったのかも知れない。でも、何もそこまで驚くことはないだろう。大袈裟なヒヨコちゃんの反応に、明日太は思わず唖然とする。

「……な、なるほど! そっかそっか、そういうことね」

 少しの間があったものの、ようやく言葉の意味を理解してくれたらしい。ヒヨコちゃんはうんうんと頷き、笑顔を向けてくる。まるで安心しているような、優しい笑みだった。

 しかし、そんな明るい表情とは裏腹に――ヒヨコちゃんの頭の上には、灰色に濁った雲が浮かんでいる。今にも雨が降り出しそうな程、どんよりとした雲だった。

 明日太にとってヒヨコちゃんは、太陽の人だ。高校生になってから約一年間、少しでも曇った様子など見たことがない。常に明るいイメージはあったが、精神的にも強い人なのだと思っていた。だからこんなにも心配になってしまうのだろうと、明日太は苦笑する。

「あ、見て明日太くん。あそこ、竹馬王子がいるよ」

「ん、ああ……本当だ」

 明日太の表情を見て何かを感じ取ったのか、ヒヨコちゃんは話題を逸らすように窓の外のグラウンドを指差した。遠目でもはっきりとわかる、竹馬に乗った体操服姿の男子。竹馬に乗った王子様……略して竹馬王子は、ヒヨコちゃんと同じく一年生の頃からのクラスメイトだ。本名は確か、竹谷たけや君久きみひさだったか。如何せんあだ名の印象が強すぎて本名を忘れてしまうが、その元凶は明日太にある。

「私、知ってるんだよ。竹馬王子が竹馬王子になったのって、明日太くんのおかげなんでしょ?」

「え。何でそれを……」

「だって明日太くん、お人好しだから」

 じっと窓の外を見つめたまま、ヒヨコちゃんはきっぱりと言い放つ。一瞬、ほんの一瞬だけ、雲の色が淡くなったような気がした。振り返ってこちらを見るヒヨコちゃんは、ふふんと得意げに微笑んでいる。

「……まぁ、間違ってはないけど」

 竹谷君久を竹馬王子にしたのは、確かに明日太の仕業だ。

 彼は小学生の頃から竹馬が好きらしく、全国大会にも出たいと思っている程だった。しかし中学生になると周りから変な趣味だと馬鹿にされ、高校に入った時には完全に封印しようとしていたらしい。そんな彼に声をかけたのは明日太だった。今のヒヨコちゃんと同じように、平然とした顔をしながら曇り空を浮かべている。そんなの、無視できる訳がなかった。「周りの目より、自分の好きな気持ちを大切にした方が良い」。ちょっと背中を押しただけで、竹馬王子は竹馬王子として輝き始めた。たった一人の竹馬同好会まで立ち上げて、生き生きと活動をしている。今だって、竹馬王子は眩しいくらいの太陽に照らされていた。

「ふふっ、やっぱり明日太くんはお人好しだ」

 竹馬王子との出来事を正直に話すと、ヒヨコちゃんは楽しそうに微笑んだ。

 確かに、明日太はお人好しなのだろう。この能力に気付いてから今まで、何も変わっていないのだから。

「……ヒヨコちゃん、その…………少しだけ、元気がないように見えたからさ。何かあったのかな……って」

 恐る恐る、明日太は訊ねる。

 ヒヨコちゃんはわざとらしく小首を傾げる仕草をした。しかし、雲の色は一気に濃くなってしまう。それだけではなく、表情も引きつっているように見えた。

「…………凄いね、明日太くん。まるで超能力みたい」

 そっと呟かれた言葉に、明日太は心の中で「ぐふぅっ」と唸り声を上げる。「なんちゃって」と言いながらヒヨコちゃんは力なく笑っているが、こちらは内心ヒヤヒヤだ。

「大したことないんだよ。片思い的なことで、ちょっとね」

 明日太から視線を逸らし、窓の外を見つめながらヒヨコちゃんは小さな声を漏らす。大したことはないと言いながらも、声は震えてしまっていた。

「……それって、もしかして……」

 少し悩んでから、明日太は窓の外を指差した。竹馬王子は相変わらず元気に竹馬に乗っている。彼が王子と呼ばれているのは、整った容姿からだ。誰にでも優しくてクラスの人気者というイメージがあるし、ヒヨコちゃんとも仲が良い印象がある。

 しかし、

「え? ないない。そんな訳ないよ。確かに教室ではよく話すけど、それだけ」

 ヒヨコちゃんはすぐに否定した。すぐさまこちらを見て、手をブンブン振ってくる。何だか、逆に竹馬王子が可哀想になってきた。

「てっきり、話の流れ的に竹馬王子を待っているんだと思ってたよ」

「あっ、それ……半分正解ではあるよ。私、さくちゃんを待ってるんだ」

「さくちゃん……ああ、天瀬あませさんか」

 ヒヨコちゃんの言う「さくちゃん」とは、クラスメイトの天瀬さくらのことだ。あまり話したことはないが、ヒヨコちゃんの幼馴染であることは知っている。

「今日、さくちゃんの誕生日だからさ。帰りにケーキを食べようって話になってるの。でも、どうしても料理部に行かなきゃいけないみたいで。一時間だけ顔出してくるって言ってたから、こうして待ってるって訳」

 言いながら、ヒヨコちゃんは壁かけ時計を見つめる。現在の時刻は三時五十三分。天瀬さんが教室に戻ってくるまで、まだ三十分以上あるということだ。

「……ねぇ、明日太くん」

 少しの沈黙のあと、ヒヨコちゃんは囁くようなか細い声を漏らす。

 ドキリと、明日太の鼓動が跳ね上がった。

 片思い的なこと。彼女はさっき、そう言っていた。相手が竹馬王子だったらまだ踏み込めるような気もしていたが、そうではないらしい。ヒヨコちゃんが心配だからというだけで訊ねて良い問題なのか、明日太にはわからなかった。

「話。……聞いてくれないかな」

 ヒヨコちゃんの言葉に、思わず息が止まる。

 明日太は元々、自分に自信が持てないタイプの人間だった。眼鏡の力を借りることで、少しずつ自分を変えようとしている。だからきっと、この高鳴る鼓動は嬉しいという気持ちなのかも知れない。気が付けば、口は勝手に動いていた。

「もちろん。僕で良ければ」

「……うん。ありがとう、明日太くん」

 ヒヨコちゃんは頷く素振りをして、そのまま俯いてしまった。しばらく黙り込んだあと、恐る恐るこちらを見つめる。

「私、さくちゃんのことが……好き、なんだよね。幼馴染としてとか、友達としてとか、そういうんじゃなくて。…………ごめんね。反応に困るよね」

 あはは、とヒヨコちゃんは力なく笑う。頭上の雲も、打ち明けられてスッキリした――という様子はまったくなく、濁る一方だ。

「そんなこと、ないよ」

 明日太はぽつり呟き、首を横に振る。「そんなことない」なんて、本当は嘘なのかも知れない。驚いてしまっている自分もいるし、言葉を必死に探してしまっている自分もいる。ただ一つはっきりしているのは、これ以上曇らないで欲しいという想いだった。

「……大丈夫だよ、ヒヨコちゃん。だって、好きっていう気持ちは変わらないんだよね? だったら、天瀬さんを信じて進むしかないよ」

「うん、そうだね。……ありがと」

 なんとか紡ぎ出した言葉に対しても、どこか上の空で返されてしまう。いったい、どうしたらヒヨコちゃんの心は晴れるのだろう。悩みに悩んで、明日太の眉間にはしわが寄ってしまう。

「あのね、明日太くん。……さくちゃんのことは、もちろん信じてるんだよ。本音を伝えても突き放したりしないって。……でも」

 ヒヨコちゃんは俯いたまま、制服の裾をぎゅっと掴む。その手は微かに震えていた。

「今朝、テレビでさ……同性愛がどうのってやってたのね。そしたらお父さんが、よくわかんないって呟いてて」

 最早、表情は曇り空と同じ色をしてしまっている。いつも明るくて、さっきまで愛想笑いを浮かべていたはずのヒヨコちゃんが表情まで歪めるなんて。ただただ心が抉られて、いつしか明日太も俯いてしまった。

「うちのお父さん、ザ・厳格な父って感じでね。とにかく厳しいの。私やお母さんや……あと、自分にも。何か間違ったことを言っちゃった時は、あとから「あの時のあれは間違っていた」ってわざわざ言ってくれるような人なの。だから、今朝の言葉も深い意味はないって……わかってはいるんだけど」

 徐々に早口になっていくヒヨコちゃんを見て、やはり心はざわついた。それと同時に、「そういうことか」と明日太は察する。ヒヨコちゃんの頭の上は、登校して教室で会った時からずっと曇り空だった。つまり、ことの発端は父親の些細な一言だったのだろう。

「だったら……全部、信じちゃえば良いと思う」

「…………全部?」

「そう、全部。天瀬さんのことだけじゃなくて、お父さんとか家族のことも、皆信じちゃえば良いんじゃないかな。ヒヨコちゃんは明るくて、人懐っこくて、友達想いで、優しくて……ただのクラスメイトである僕でさえ、良いところをたくさん知ってるんだから。そんな人を裏切る人なんていないよ」

 不思議なこともあるものだ。今度は自分が早口になって、ヒヨコちゃんのことを褒めだしている。本当に、ただのクラスメイトの癖に何を言っているのだろう。気持ち悪いと思われないだろうかと、明日太はそっとヒヨコちゃんの様子を窺う。

「そっ、か……。このまま私が悩んでたら、さくちゃんやお父さんを信じられてないってことになっちゃう。……うん、そうだよね。明日太くん、ありが」

 ピタリ、とヒヨコちゃんの言葉が止まる。

 ありがとう。ヒヨコちゃんはきっと、お礼の言葉を言おうとしてくれたのだろう。心なしか、頭上の雲は若干薄れてきているように見えた。少しは前向きな気持ちになれたのかも知れない――と思っていたのだが、ヒヨコちゃんはあらぬ方向を見つめて固まっている。

「あ、明日太くん。……時計」

「……?」

 なんのことだろう。

 言葉の意図がわからぬまま、明日太は壁かけ時計を見る。現在の時刻は三時五十三分。天瀬さんが教室に戻ってくるまで、まだ三十分以上あるということだ。

「えっ」

 デジャヴを感じる。

 さっきも三十分以上あると思っていたはずだし、三時五十三分というのも明日太の記憶違いでなければさっきとまったく同じ時間だ。

「止まってた……ってこと? それって、もしかして」

 呟きながら、明日太は慌てて携帯電話を取り出す。そこに映し出されていた本当の時刻は、四時三十九分。約束の時間から、十分近くが過ぎてしまっていた。ヒヨコちゃんは当然のように瞳を大きくさせていて、雲もやっぱり灰色に染まってしまっている。

「さくちゃん、いるの……?」

 教室の扉に向かって、ヒヨコちゃんは小さな声で訊ねる。きっと、ヒヨコちゃんからは何も見えていないことだろう。しかし、明日太には見えてしまった。しゃがみ込んで隠れているつもりなのだろうが、不安げに渦巻いている雲が丸見えだ。

(まさしく、頭隠して雲隠さず状態だ……)

 というのは、もちろんただの現実逃避だ。だいたい自分はここに残っていて良いのか、それすらもわからなくて明日太はそわそわしてしまう。

「……ひなちゃん」

 天瀬さんはゆっくりと立ち上がり、眉根を寄せながら教室の中へと入ってきた。桜色の髪をボブカットにしていて、ヒヨコちゃんよりは身長が高い。つり目で物静かで、明日太にとっては少々話しかけづらいと感じていたクラスメイトだ。

 天瀬さんはずっと俯いたままで、ヒヨコちゃんとも明日太とも目を合わそうとしない。天瀬さんはいったい、いつから廊下にいたのだろう? なんて考えるまでもなく、だいたい表情と天気から察してしまった。

「ヒヨコちゃん」

 正直、恋愛相談は苦手だ。でも曇り空な人の大半は恋愛ごとの悩みで、明日太も慣れないなりにたくさんのアドバイスをしてきた。ヒヨコちゃんに対しても、伝えたいことは伝えられたと思っている。だからもう、背中を押すことしかできなかった。

「ぅわっと」

 軽く押したつもりだったが、ヒヨコちゃんは大袈裟な声を漏らして天瀬さんに近付いた。瞬き多めに天瀬さんを見つめ、緊張感丸出しで背筋をピンと伸ばす。

「さくちゃん、その……。話、聞いてた?」

 ヒヨコちゃんの問いかけに、天瀬さんは無言で頷く。その瞬間、ヒヨコちゃんの頬がうっすらと朱色に染まったように見えた。

 そして、頭の上の雲は――

「そっか、じゃあ改めて言うね。……私は、さくちゃんのことが好きです。幼馴染とか友達としてじゃなくて、いつの間にか大好きになっちゃったの」

 あんなにも重たくじめじめとしていた雲が、何かから解き放たれたように薄れていく。それはヒヨコちゃんだけではなかった。天瀬さんもいつしか顔を上げ、ヒヨコちゃんの告白を聞いた途端に雲が消えていく。

 時が進むにつれて日は沈んでいくはずなのに、突然明るくなったような不思議な感覚だった。

「ひなちゃん」

「な、なぁに?」

「良かったらこれ、もらって欲しいんだけど」

 一歩、また一歩、ヒヨコちゃんに近付いてから、天瀬さんは小さな袋を差し出す。

「わぁ、可愛いクッキー。作ってきたの?」

「……ひなちゃんに渡したくて。だから料理部に顔を出してた」

「嘘、そうだったのっ? ほんっと嬉しい……けど、今日はさくちゃんの誕生日なんだよ?」

 あからさまに声を弾ませるヒヨコちゃんと、幼馴染から告白されたというのに冷静な天瀬さん。いつもと変わらない二人の姿――という訳でもないようだ。

「誕生日、一緒に過ごしてくれるの嬉しいから。……あたしにとってひなちゃんは大切な人で、どうしてもあたしからもプレゼントがしたかった。それだけ」

「たっ、大切な……人」

 クッキーを受け取りながら、ヒヨコちゃんは瞳を潤ませる。天瀬さんはそんなヒヨコちゃんの頭を優しく撫でて、小さく息を吐いた。

「確かにビックリしたし、戸惑うよ。……でも、だからってひなちゃんが大切な人であることは変わらないから。だから……ゆっくり、考えさせて欲しい」

 言いながら、天瀬さんはお辞儀をする。

 さっきまでで充分、明るくなったと思っていた。でも、そんなにも眩しくならなくたって良いではないか。思わず眼鏡を外したくなる程に、二人の太陽は輝きを放っている。

「でも、一つだけ交換条件がある」

「交換条件?」

「……これ」

 天瀬さんは、渡したばかりのクッキーを指差す。多分、ストロベリーのチョコペンなのだろう。クッキーには、桜の模様が描かれていた。ヒヨコちゃんは「桜?」と疑問符を浮かべる。

「さくちゃんって……皆、呼んでくるから。……だから、その」

 言いづらそうに、口をもごもごと動かす天瀬さん。ヒヨコちゃんはすぐに言いたいことを察したようで、これでもか! という程に太陽を眩しくさせた。

「桜! うんわかった。これからは桜って呼ぶね?」

「……そうしてくれると嬉しい。あたしも、頼子って呼ぶから」

「っ! やった、私も嬉しいっ」

 ヒヨコちゃんはいつも以上に元気いっぱいで、天瀬さんはいつも通り冷静な声を漏らしている。でも放つ光は同じで、明日太にはそれが眩しくてたまらなかった。


(もう、僕の出番はないかな)

 二人にバレないように、明日太はそっと教室を抜け出す。

 教室を出た途端に、明日太は早足で廊下を駆け抜けてしまった。相変わらず鼓動は速くて、動いていなければ感情が飛び出そうだった。

 この能力を知ってから、自分の天気を見たことはないけれど。

 ――きっと、自分の頭上には雨が降っているんだろうな、と思った。

 気付いてしまったのだ。自分の奥底にある感情に。ヒヨコちゃんにお人好しだと言われた通り、明日太はこの能力を利用して誰かの手助けをするのが好きだった。だから今回も、ただのお人好しの一環だと思っていた……のに。

 心が苦しい。苦しくて苦しくて、仕方がない。

 日名川頼子のあだ名は「ひなちゃん」だ。「ヒヨコちゃん」と呼ぶのは明日太だけだが、特に疑問は抱かなかった。話しやすいクラスメイトだから。理由があったとしても、それだけだと思っていた。

 天瀬さんが「桜」と呼んで欲しいとヒヨコちゃんに願ったように、明日太の言うヒヨコちゃんも心のどこかでは特別な気持ちがあったのだろう。明るくて、人懐っこくて、友達想いで、優しくて。さも当然のように零した言葉は紛れもない真実で、明日太から見たヒヨコちゃんの姿だった。

 その事実に、まさかキューピッドになってしまってから気付いてしまうなんて。情けなくて、ため息すらも吐けない。


 玄関まで辿り着き、明日太はふと眼鏡を外す。

 近くにいる生徒達の頭上に天気はない。その代わり、想像以上に視界はぼやけた。やはり眼鏡を外して生活するのは無理そうだ。

 辺りを見回し、明日太は思う。

(これ……コンタクトにしてみたらどうなるんだろうな)

 眼鏡をかけ始めてから初めて、明日太はそんな疑問を思い浮かべるのであった。



                                    了

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