第9話 薄霧の湿原にて

 翌朝。

 快晴に恵まれた王都ノーティオの探索者ギルド前に、赤髪の弓使いと、その使い魔の姿があった。


 遂に今日から正式な探索者として活動を開始するザインは、ジルをギルドの出入り口から少し離れた位置に待機させ、気合い充分に会館へと足を踏み入れる。

 ここに訪れた目的は、昨夜決めた通り──共にダンジョンを攻略していく仲間を探す為である。


「うーんと……」


 ざっと一階フロアを見渡すと、まばらながらも人影がうかがえた。

 まだ朝だからなのか、そこまで大賑わいしている様子は無いようだ。


 基本的に、ギルド所属の探索者は自由にダンジョンへ出入りしても良いようになっており、各々が回収してきたアイテムをここで売却する事も可能である。

 時折、放置されすぎた為に魔物が繁殖しすぎてしまったダンジョンに関しては、ギルド側から討伐依頼が来る事もある。それから、民間人や商人からの護衛依頼も舞い込む事も少なくない。

 この二種類の依頼、実は密接に関係している。

 探索者に放置されたダンジョンでは、繁殖した魔物がダンジョン外へと侵攻を開始するケースが稀にあり、人を襲う危険があるからだ。

 これは滅多に発生しない事件ではあるものの、魔物との戦闘に特化した探索者を護衛に……と、念には念を入れる者も多いのだ。

 あまりにも攻略が難しいダンジョンになると、年に一度はこういった危機に陥る。探索者も同じダンジョンのみを攻略する訳ではないので、そんな悲劇が積み重なって溢れ出してしまう。

 なので緊迫した状況下において、歴戦の探索者が招集され、魔物の駆除にあたる事もあるのだ──と、ガラッシアがその仕事帰りにザインに話した事もあった。


 少し話を戻すと、ダンジョンに向かわずここで時間を潰している探索者達は、そんな護衛の依頼が入るのを待ち続けている。

 ダンジョンの外で魔物に会うのは稀な事。つまり、探索者にとって護衛依頼はほとんど危険の無い簡単な仕事、という事になるのだ。

 高額で買い取ってもらえるアイテムを求めて危険な迷宮に向かうより、ここで傭兵まがいの仕事をのんびり待って小遣い稼ぎをする──特に、人と物の行き来の多い王都にはそんな連中が目立っていた。


(それで、仕事が入らなかったら楽なダンジョンでアイテム集め。それを売ったお金でまたここで時間を潰して、危険手当の付く護衛依頼を待ち続ける……か)


 グダグダと仲間内で談笑している探索者達を眺めながら、ザインは小さく溜息を吐く。


(前に母さんの言ってた通り、そんな探索者が本当に居るんだな)


 ザインは、彼らの『探索者』としてのあり方に共感出来なかった。

 あらゆるダンジョンに挑戦するでもなく、前人未踏の迷宮を探し求めるでもない。何の探究心も冒険心も無い、無味無臭の日々。

 そんな退屈で刺激の無い日常を送る事に、どのような楽しみがあるというのだろう。


(でも……あの人達は、それでも楽しそうに笑ってる)


 気の合う仲間と、同じペースで歩み続ける。

 それはザインの目指す理想のパーティーの姿であり、同時に、あの探索者達が今まさに味わっている日常だった。


「……俺とあの人達とでは、根本的に考え方が違ってるんだろうな」


 向いている方向が違うのなら、そこに行き着くまでの道程みちのりだって異なるのだろう。

 それが悪事ではないのであれば、赤の他人でしかない自分にとやかく言う権利は無い。

 偶然、彼らと己との行き先が違っていただけなのだ。





 結局、ザインは長居せず会館を出てしまった。

 仲間探しは焦らずとも良い。もしかしたら、どこかのダンジョンで意欲的な探索者に出会えるかもしれない。

 ザインはモヤモヤした気持ちを振り払うように、心のスイッチを切り替える事にした。


 そうしてザインはジルと共に、次の目的地である大通り沿いを歩いて行く。

 彼らが足を止めたのは、探索者向けの様々なアイテムが揃った店だった。

 中を回ってみると、店内はかなり広かった。携帯食や鞄、ちょっとしたトラップツールなど、豊富な品揃えが売りのようである。

 ザインは棚を一つずつ確認しながら、目当ての品が並んだエリアに到着した。ポーション売り場である。

 その中から魔力回復効果のあるポーションが纏められた方へ目を向け、棚に貼り付けられた値札に目を通す。


「下級魔力ポーション一本で、銀貨一枚か……」


 流通する貨幣は、ブロン銅貨・シルバ銀貨・ゴルド金貨・プラナ白金貨の四種類。

 ブロン銅貨一枚で百円分の価値があり、銀貨ならば一枚で千円。金貨一枚で一万円。白金貨なら百万円だと思えば良い。

 ちなみに、宿屋の一食分の値段は銅貨二枚で、一日分の宿泊費は銀貨一枚である。

 これには宿屋の主人の工夫もあるのだが、銅貨二枚で満足する味と量のある食事を提供してくれるというのは、中々に破格の値段設定なのだ。

 一般人からすれば、ポーションなど滅多に必要としない高級品。

 尽きる事の無い資源を求めてダンジョンに潜る探索者相手であれば、ある程度は高額に設定しても需要がある。だからこそ、この値段で売れてしまう。


「うーん……。やっぱり、こういうのは自分で作った方が安上がりなんだよなぁ」


 実家ではガラッシアもエイルも、自分の手でポーションを作っていた。

 材料となる薬草類は母がダンジョンから採って来られるので、必要となるのは作業台や空き瓶などだ。

 だが、空き瓶は毎回丁寧に洗って煮沸消毒し、清潔に保って何度もリユースしていた。

 ポーションを作る為の知識さえあれば、それを売り物にする事だって出来ていたのだ。そんな光景を見て育ってきたザインからすれば、この値段はぼったくりのように思えてしまう。


(……やっぱり、市販品を買うのは財布に響くよな。こうなったら、最後の手段に出るか)


 何も買わずに店を出たザインは、すぐさまジルに跨がり王都を発った。





 ザイン達が目指すのは、王都とポポイアの森の中間辺りにあるダンジョン──『ディルの泉』だ。

 ここはその昔、聖女と呼ばれた乙女が修行を行なった場所だった。

 清らかな水と澄んだ空気。それらの恵みによって生育する数多くの草花が、このダンジョンの神秘性を引き立たせていた。


「ダンジョンの外ですら緑が豊かなんだから、中はもっと沢山の薬草が生えてるんだろうな」

「ワゥフッ!」


 ディルの泉への入り口は、ポポイアの森と同じく一ヶ所のみ。

 ダンジョン全体が城を囲む堀のような水流で包囲されており、何者かが架けたであろう石橋を渡って行くしかない。


「ポポイアの森は1フロアしかないダンジョンだけど、ここは最深部を含めた3フロア構成だったはずだ。目当ての薬草が生えている場所がどの階層なのか分からないけど、出て来る魔物の弱点は、母さんから何度も聞いてる」


 水と草花に満ちたこのダンジョンには、そこに棲むに相応しい魔物が潜んでいる。

 つまりは、『水属性』と『植物系』の魔物が多いのだ。


「俺達なら、敵との相性も悪くない。今回も二人で連携していけば、そこまで苦戦する事も無いと思うよ」

「ワフッ、ワフッ!」


 ザインがそう言えば、ジルは納得したように鳴いて、返事をした。



 橋を渡った先は、薄っすらと霧に包まれた湿原であった。

 このダンジョンは最深部に行くにつれて高度が低くなる、すりばち型の迷宮になっている。

 ザインとジルが探索を開始した第一階層は、ちょっとした小遣い稼ぎになるような、安価な薬草が多く生育していた。

 それらも勿論ポーションの素材に利用されるので、ザインは薬草の群生地を発見する毎に、丁寧にアイテム回収ポーチへと収納していった。

 ポーチも鞄も『拡張』スキル持ちの職人による品である為、見た目よりも多くのアイテムを持ち運ぶ事が出来る、探索者には必須の品物である。


「これだけ薬草が生えまくってるなら、魔力ポーションに必要な材料だってすぐに集められそうだな。ジルー! そっちに青い花あったかー?」


 後でギルドに売却する分の薬草も採取しながら、ザインは少し遠くの方で素材探しをするジルに呼び掛けた。

 すると、ジルは自身のすぐ側の水辺に向かって唸り声を上げ、激しく警戒しているではないか。

 ザインはすぐにそちらへと駆け寄りながら、手に弓を携える。


「グルルルルル……!」


 その時、水面から小さな気泡が浮かび上がった。

 と同時にそこから高速で姿を現わす、細長い二本の影。


「ジルっ、水中から攻撃して来るぞ!」

「ワフッ‼︎」


 そう叫ぶザインは、そこから飛び退くジルの先に揺れる影へと魔力の矢を撃ち放つ。

 ブシャンッ! という激しい水音と、大きな飛沫をあげる水面。

 ザインの反撃を受けた魔物は、一旦水中へと身を潜め直したらしい。つい先程まで見えていた細長い影は、ここからでは確認出来なかった。


「あの二本の触手……そして、水中からの攻撃……」


 それらの特徴から導き出される、とある魔物。

 子供の頃から何度も何度も読み返してきた、母から貰った魔物図鑑で得た知識によって、ザインは答えを見つけ出す。


「あいつの正体は──ハナブショウだ!」


 ザインは今の内にジルをここから遠ざけさせるよう命じると、目の前に潜む魔物をどう処理していくか、脳をフル回転させる。

 ハナブショウという魔物は、このディルの泉をはじめとした湿地帯に多く生息する、植物型の魔物だ。

 ゴブリンのように人間を喰らう事は無いが、全く危害を加えない訳でもない。

 ハナブショウ達は、からだ。


「お前は陸上型の魔物が来たら対処してくれ! ここは俺が引き受ける!」


 いつハナブショウが水面から出て来ても良いように、あらかじめ弓を構えているザイン。

 ジルはそんなザインの背中を見ながら、


「グルル……ワフッ!」


 先制攻撃を受けそうになり、気が立っているのだろう。

 けれどもジルは、鋭い牙を剥き出しにしつつも、ザインの指示がしっかりと耳に届いている。

 ジルは周囲への警戒を行いながら、いつでもザインに加勢出来る距離を保っていた。


(相手は、水中でも活動出来る魔物だ。あのままジルが水底に引きずり込まれでもしていたら、どうなっていた事か……)


 ジルの反射神経ならそのような事態にはそうそう陥らないだろうが、可能性はゼロではないのだ。

 それは勿論、ザインも同様である。

 ──息が出来なければ、死ぬ。

 至って単純な結論だ。


 プツ、プツツ……と、小さく弾ける泡の音。


(来る……!)


 その予感通り、ハナブショウは今度こそその全貌を露わにした。

 水面から飛び上がるのは、すらりと伸びた緑の茎と、頭部を彩る紫色の花。黄色い斑紋はんもんが特徴の、好戦的な魔物である。

 するとザインは、ひらりと跳躍するハナブショウに向けて矢を射った。

 強力な風の魔力の塊が、ハナブショウ目掛け突進する。

 しかし、ハナブショウは自身の根を巧みに操り、それを跳ね除けようとする。

 その根こそが、先程ジルを襲った細長い影の正体だった。

 だがそんな状況下にあってもなお、ザインの自信に満ちた瞳から輝きは失われていない。


「掛かったな、ハナブショウ!」

「…………!」


 ハナブショウの根のむちは、風神の弓から生み出された風の矢に触れ──勢い良く、空中で四散した。

 何故なら、植物型の魔物の弱点は『火』と『風』である。特に、水辺に棲むハナブショウには風の魔力がよく効くのだ。

 弱点属性を身体に受けたハナブショウは、上手くバランスを取れずに地面へと墜落した。

 そこへザインがすかさず追撃を叩き込むと、遂に相手は動かなくなった。


「……どうやら、これで片付いたみたいだな」


 矢に貫かれ、引き千切れたハナブショウ。

 無事に討伐する事が出来たザインは、ハナブショウが潜んでいた水辺の奥で、目当ての薬草を発見した。

 背丈は低いが、青い花を咲かせたその薬草には魔力が蓄えられている。

 それらを優しく摘み取ると、ザイン達は再び王都へ戻っていった。

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