第2話 心通うもの

 カラッと晴れた夏の空。

 大きな入道雲が浮かぶ爽やかな朝、ザインの新たな日常の幕が上がろうとしていた。


「忘れ物は無いな?」

「大丈夫!」

「お金はちゃんと持ってるわよね?」

「昨日のうちに、ちゃんと確認してるよ」

「うむ、それならば良い」


 三姉弟の末っ子が探索者となるべく旅立つ、記念すべき日。

 ガラッシアとエイルは、ザインを見送るべく家の前に並んでいた。

 姉からのプレゼントである腰元のポーチと、母から譲り受けた風神の弓を背負い、ザインは改めて二人に向き直る。

 しばらくは会えなくなる、最愛の家族との別れ。

 三ヶ月前にも同じ喪失感のようなものを味わったが、これは何度経験しても慣れそうにない。寂しいものは寂しいのだ。


(でも……こんな風にうじうじしてるのは、俺らしくないもんな!)


 ザインはパッと花咲くような明るい笑顔を浮かべて、元気に声を上げる。


「……それじゃあ、行って来る!」

「ああ、達者でな。我が息子よ」

「気を付けて行ってらっしゃい、ザイン。ああ、もしどこかでディックに会ったら、ちゃんと連絡寄越しなさいって言っておいてね!」

「うん、分かったよ!」


 大きく頷き、ザインは彼女達に背を向けて歩き出す。

 物心付く前から暮らしていた家を空けるのは、王都の大神殿に向かったあの日以来の事だ。

 きっとこの先、予想も出来ないような出来事もあるだろう。

 それが良い事かどうかは判らないが、そんな不確定な要素も込みで思い切り楽しんでやろうと、そうザインは思うのであった。





 幼い頃から毎日をこの森の中で過ごしてきたザインは、探索者支援ギルドのある王都を目指していた。

 そんな見慣れた森を歩いていると、ふとした瞬間に子供時代の記憶が蘇って来る。

 ディックを筆頭に、エイルも引き連れて沢山の甘い木の実を集めた草むら。

 剣術の訓練を終えた後、ディックと共に汗を流した小川。

 母の言い付けを破って越えた、橋の上。


「どこもかしこも、皆との思い出ばっかりだなぁ……」


 その橋を渡りながら、何気無くそう呟いた──次の瞬間。


「バウッ! バウッ!」


 後方から聞こえて来る力強い鳴き声に、ザインは思わず立ち止まり振り返る。


「ジル……ぅわぁっ⁉︎」

「バウッ‼︎」


 勢い良く飛び掛かってきた巨体によって、ザインの身体は地面に押し倒されてしまった。

 その正体はやはり愛狼のジルであり、彼はブンブンと尻尾を振り乱しながら、ザインの顔をべろべろと舐めて来る。

 八年前は少し大きめの大型犬程度の体格だったジルだが、今ではもう一回りは成長していた。もしかしたら、まだジルは大きくなるかもしれない。

 驚きながらも苦笑するザインは、何故か自分の元へとやって来たジルに問い掛ける。


「もう、どうしたんだよジル〜! お前も俺を見送りに来てくれたのか?」


 すると、ジルはハッと何か思い出したかのように舐め回すのを中断した。

「バゥン!」と一声鳴くと、彼はぐっと顎を天に突き出すように顔を上げる。

 その首元には、見覚えのある質感の大きな白の一枚布──夜に部屋を訪ねて来たガラッシアが弓を包んでいた布が括り付けられていたのだ。

 だが、それには奇妙な膨らみが見受けられる。


「これ、何か中に入ってるみたいだけど……取って良いの?」

「バウッ!」


 しっかりと質問の意味を理解して頷くジル。

 その反応を見たザインは、しゅるりと布の結び目を解いた。

 布の中に入っていたのは、オレンジ色の液体が入った小瓶。そして、小さく折り畳まれた紙だった。

 ザインはすぐにその紙を開いて、中身を確かめる。


「これは……母さんからの手紙……?」


 お手本のように整った字で書かれたこの手紙は、ガラッシアの筆跡だと見て間違い無い。

 その内容は、こうだ。



 ────────────────



 ザインへ



 先程あれだけ忘れ物が無いかどうか確認したというのに、お前へ渡しておくべき物の存在が、頭から抜け落ちてしまっていた。

 ……恥ずかしい話だが、今日の事を思うと何故だか緊張してしまって、あまりよく眠れなかったのだ。

 とても申し訳なく思う。……本当にすまない。


 なので、お前によく懐いているジルに届けてもらう事にした。

 私の故郷に伝わる秘薬、エルフの万能薬だ。


 お前がまだ小さな頃に教えたはずだが、これは大抵の怪我や毒の類に瞬時に効果を発揮する、とても貴重な薬液だ。

 お前の持つスキル……『オート周回』は、未だにその力がどのようなものなのか判明していない能力。

 それを使った時、どういった代償を払うかすら分からないのは知っての通りだな。

 故に私は、これをお前に渡したい。万が一の際に、是非ともこれを使ってくれ。


 それから、ジルの事についてだ。

 どうやらその子は、お前の旅について行きたいらしくてな。

 お前が迷惑でなければ、王都のギルドでジルとの『主従契約手続き』というのを済ませてやってほしい。

 それをすれば、その子を連れて街中を歩き回っても問題無いはずだ。

 詳しい説明はギルド職員がしてくれる。


 それでは、また今度。

 お前が元気で私とエイルの元へ帰って来てくれる事を待っているぞ。



 ガラッシアより



 ────────────────



「万能薬と、主従契約……」


 手紙を読み終えたザインは、目の前でソワソワとした様子のジルに目を向けた。


「……なあジル、本当に俺と一緒に行きたいの?」

「バウッ、バウーン‼︎」


 そう問えば、ジルは行儀良くお座りをしながら「その通りだ!」と言わんばかりに高らかに吠える。


(ああ……ジルは本気で俺と一緒に居たいと思ってくれてるんだな)


 彼の真っ直ぐな好意は、まるでザインの胸の内に暖かな光を灯すようだった。

 ザインは力強く頷き、


「……ああ、分かったよ! やっぱりジルは今までもこれからも、俺の最高のパートナーだ!」


 正面から思い切りジルを抱き締めた。

 鋼狼特有の太く硬質な毛の感触を感じながら、ボリュームのある豊かなモフ毛に身を委ねる。

 するとジルもザインの気持ちに応えるようにして、嬉しそうに身体を擦り寄せる。

 尻尾の方はというと、自らの意思を受け入れてもらえた歓喜を最大限に表現し、忙しなく振り回されていた。



 そうして満足するまでモフモフを堪能したザインは、愛狼ジルと共にダンジョン探索者の道を突き進むべく、故郷の森を発つのであった。

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