第8話 『母』との約束

「思いのほか、早めに採取を終える事が出来たな」


 彼女は一つに結い上げた滑らかな銀髪を、キュッと縛り直した。

 ガラッシアは水辺の多いダンジョン──ディルの泉での薬草採取を終えたところである。


「ギルも採取の手伝い、ご苦労だった。お前の鼻の良さにはいつも助けられているよ。ありがとう」

「ワゥン!」


 わしわしと頭を撫でてやれば、ギルは嬉しそうに目を細めながらブンブンと尻尾を振る。

 彼女とギルが集めてきた薬草は種類毎に小分けし、束を紐で縛っておいた。それらを纏めた籠を背負い、ガラッシアはギルの背に乗り家路を急ぐ。

 今夜の食事の支度もある。そして夕食後には、ソノ村の住人に頼まれたポーション作りにも取り掛かりたいところだ。





 ディルの泉からの帰り道。

 その道中には、ポポイアの森へと続く別れ道がある。

 そこを曲がらずに真っ直ぐ進んでいけば、穏やかな流れの川に架かる橋があり、子供達の待つ家へと辿り着く──のだが。


「ん……? あの人影は……」


 ガラッシアの視線の先に見える、小さな人影。

 こちらに向かって走ってくるその姿は、どうにも見覚えのある人物に思えて他ならなかった。


「──さん……っ、……母さん……‼︎」

「……っ、ディック⁉︎ 何故お前がここに……!」


 間違い無い。息子を見間違えるはずが無い。

 あの茶色い髪。どういう訳か、ディックは家を飛び出してここまでやって来ているのだ。


「ギル、ディックの近くへ!」

「ワフッ!」


 すぐさまギルに指示を飛ばせば、賢い愛狼はディックの側まで走り寄り、脚を止めた。

 ディックは息を切らしており、全力で走ってまで母に伝えなければならないトラブルが発生したのであろう事を、嫌でも彼女に想起させる。

 ガラッシアは激しい胸騒ぎを覚えながら、息子に問い掛けた。


「ザインかエイルの身に何かあったのか⁉︎ それともジルか⁉︎」


 問われたディックは、必死に息を整えながら口を開く。


「……ごめん、母さんっ……! オレ達、母さんとの約束……破っちまった……‼︎」


 そう告げられ、ガラッシアは考えた。

 まず、ディックと常に行動を共にするザインの姿が無い。

 そして何より、彼は『約束を破った』と口にした。

 彼女は最悪の状況を脳裏に思い浮かべてしまい、思わず奥歯をぐっと噛み締める。


「オレ、母さんの短剣と弓を持ち出して……ザインと一緒に、ポポイアの森に行ったんだ……!」





 ──ディックから一通りの事情を聞き届けたガラッシアは、ポポイアの森がある方角を睨んだ。


「……事情は把握した。後でしっかりとお前達に話をしなければならないが、ザインがその男と交わした刻限も迫っている」


 日が傾き始めた午後。

 ここからダンジョン最深部の手前まで到達するまでの時間も踏まえれば、あまり悠長にしている余裕も無い状況。

 ガラッシアは翡翠の瞳をディックへ向けると、冷静にこう告げた。


「お前も乗れ。このまま最速でザインの元を目指すぞ」

「わ、分かった……!」


 彼女の静かな怒りの炎が、ジリジリと肌を焼き付けてくるようだとディックは感じた。

 ディックは苦手意識のあるギルを気にする暇も無く、母の言葉に従って鋼狼の背に飛び乗った。

 振り落とされないようしっかりとギルに掴まり、二人を乗せたギルはポポイアの森を目指し、風を切って走り出す。



 ガラッシア達がポポイアの森の入り口へと到着した頃。

 普段以上のスピードを出していたギルは、もうヘトヘトだった。


「無理をさせてすまないな、ギル。お前はここで休んでいてくれ」


 背から降りながらそう告げると、クゥーン……と力無く応えるギル。

 地に伏してぐったりとした彼に心の中でまた謝りながら、ガラッシアはディックと共にダンジョンへと突入した。


 彼女は腰の剣を鞘から抜き放つと、ディックの安全を気遣いつつ、最短ルートで奥へと突き進んでいく。

 子供達に食べさせるポポイアを採りに何度も足を運んだ事のあるこの森は、自分の庭に等しい空間である。一切迷わず、道中に出現する魔物も剣の一振りで確実に仕留め、淡々と攻略していくガラッシア。

 ディックはそんな母の背中を見て、改めて自分の愚かさを恥じ、後悔する。


 母との約束を破った挙句、彼女の言い付けを守ろうとしていた弟をそそのかした結果がこの有様だ。

 と同時に、こんな自分をベイガルという危険な存在から遠ざけてくれたザインの思いやりが、ジクジクと胸を突き刺していた。

 ザインとの別れ際に交わした強気な言葉だって、兄としてのちっぽけなプライドを守る為の強がりでしかないのだから。


(オレはあいつの兄さんだってのに、兄貴らしい事なんて何も出来てねえ……)


 ほんの数ヶ月早く産まれただけの──血の繋がらない兄ではあれど、彼が弟に抱く愛情は自分を捨てた実の親を遥かに凌駕する家族愛である。


 スキルの事で落ち込む弟を、ただただ笑顔にしてあげたかった。

 頼れる先輩探索者ベイガルに窮地を救われ、彼と共に行けばきっと大丈夫だろう。


 ……そうやって安心しきっていた己の馬鹿さ加減に、ディックは唇を強く噛み締めるのだった。





 ザインは空を見上げ、とうに真上を過ぎていった太陽を眺める。

 タイムリミットを告げる日没には、まだ早い。

 斧使いのベイガルが約束を果たしてくれる保証は無いが、母の弓か短歌を、所有者本人の承諾を得て譲り受けられる絶好の機会だ。それをわざわざ流すような間抜けだとは思えない。

 ベイガルは上機嫌で皮の水筒に口を付けながら、呑気に鼻歌を歌っている。


「母さん……ディック……」


 ザインがぽつりと呟いた、届く事の無い呼び声。

 ──そのはずだったが、


「待たせたな、ザイン」


 聞き慣れた凛とした声に、ザインはハッとして振り返る。

 その声の主……ガラッシアのすぐ側には、ベイガルを警戒するディックも立っていた。


「母さんっ、本当にごめんなさい! 俺……俺っ……‼︎」

「この件に関しての謝罪は後回しだ。……お前がベイガルだな? 私の息子達が随分世話になったそうだが」


 明確な敵意の目を向けるガラッシアを見て、ベイガルは水筒をしまう。

 改めて彼女を観察すると、男は意外そうな反応を見せた。


「ほーう……? どうにも似てない兄弟だとは思っていたが、どうやらエルフに拾われた孤児だったみてえだなぁ。ああ、確かにしっかりと世話してやったぜ? 俺が偶然通りかかっていなけりゃ、今頃あんたの息子たちはゴブリンどもの餌になっていただろうさ!」

「その謝礼として、私の持ち物を要求しているのだろう? 私がエルフ族の王より託された風神の弓か、勇者と共に鍛え上げた治癒の短剣を……な」


 ガラッシアから告げられた内容に、ベイガルは大きく目を見開き、驚愕を露わにする。

 その発言に驚いたのは、ザイン達も同様だった。

 何かしら価値の高い武器であろう事は分かっていたが、『エルフ族の王』と『勇者』という想定外の人物が話題に上がるとは、二人共思いもしていなかったのだ。

 彼女は殺気を隠しもしない様子で、鋭くベイガルを睨み付ける。


「私は、お前の悪事の数々を知っているぞ。質の良い武器や防具を携えた探索者に目を付け、己よりも劣る実力の者を意図的に窮地に陥れ、助けてやった例として金品を要求する……。そのような卑劣な行いを繰り返す貴様には、探索者を名乗る資格など無い‼︎」


 剣を構えたガラッシアは、今にも襲い掛かろうとする気迫で更に叫んだ。


「ここに来るまで、ゴブリンの好む肉を吊るしたポイントも発見している。そうしておびき寄せたゴブリンに、この子達を襲わせたのだろう! 貴様の悪質な手口は、とうの昔にギルドから私の耳にまで届いているぞ‼︎」


 ベイガルは図星を喰らったせいか、顔には脂汗が滲み始めている。

 その反応だけで黒が確定したようなものであるにも関わらず、ベイガルは言い逃れを試みた。


「おっ、俺がそんな悪事を働いた証拠はどこにあるんだよ!? そんなの全部濡れ衣だぁッ‼︎」

「ならば言い当ててやろう! 貴様の背負うその斧は、王都の探索者が奪われた一点ものだ!」

「なっ……⁉︎」

「そしてその探索者バッジは、リーベルタースの街近くのダンジョンでエルフの少女から奪ったブロンズバッジだろう⁉︎ 他の物はどこかに隠したか、もう全て売り払った後か……そんな所だろうな」

「ぐっ……」


 けれどもガラッシアの指摘は全て真実であったらしく、ベイガルは顔を青白くさせて、じり……と後ずさりをした。

 ガラッシアはそんな男に対し、更に語気を荒くする。


「貴様への怒りは、私のこの胸の奥で燃え滾っている……! 仮に貴様が悪辣な魔物の類であれば、この剣で容赦無く斬り捨てていた事であろう。だが──」


 言いながら、彼女は左手で軽装鎧の胸元──そこに輝く、真珠のようなまったりとした光沢を放つ白いバッジに触れた。


「ギルドの認定を受けた最上位階級……プラチナランクの探索者であるこの私には、貴様のような輩を捕らえる義務がある!」

「プラチナランクの銀髪エルフ……つー事は、あんたはまさか……⁉︎」

「大人しくそこに直るが良い──斧使いベイガル‼︎」


 すると、ガラッシアは地面を踏み込んで一気にベイガルとの距離を詰める。

 抵抗出来ないようある程度痛め付ける必要があるだろうが、母の実力であれば大丈夫だろう……と、ザイン達は認識していた。

 しかし……。


「……っ、『瞬足』‼︎」


 ベイガルが叫ぶと同時に、後方へと跳んだ彼とガラッシアの距離は、瞬く間に大きく離されてしまったのだ。

 常人では追い付く事が不可能な、瞬時による長距離移動。

 それこそがベイガルが隠し持っていたスキルであり、ギルドにすら報告が上がっていなかった、彼の切り札である。


「あの銀糸のエルフ本人を相手に、まともに戦って敵うわけがねえ!」


 本音を吐露したベイガルは、頭のバンダナに付けたバッジへと手を伸ばす。


「逃すものかぁぁっ‼︎」


 探索者バッジによる脱出を開始するベイガルと、それを阻止せんと駆け出したガラッシア。

 だが、『瞬足』により距離を稼いだ彼の身体は光に包み込まれ、ガラッシアの剣が届くよりも早く……彼女の眼前から姿を消した。

 ならばすぐにでも自分もダンジョンから脱出せねば──そう思い至った瞬間、それではザイン達をこの場に置き去りにしてしまう事に気が付いた。


 ガラッシアは急いでザインとディックを自身のパーティーへと仮加入を上書きし、全員揃っての脱出を開始する。

 そうして三人でポポイアの森入り口まで戻って来たところで、彼女達は既にベイガルがどこかへと逃げ去ったのを思い知ってしまう。

 ベイガルのスキル『瞬足』があれば、ガラッシアが一度脱出を踏み止まったこの短時間で、かなり遠くまで逃走する事が出来るからだ。


「……次にまた顔を合わせたその時は、覚悟しておけ」


 苦々しく漏らした、彼女の言葉。

 ベイガルはもうこの近辺には姿を見せなくなるであろうが、事態を完全には解決出来なかった事実と、息子達に手を出した事への怒りはどうにもならない。


「……家に帰るぞ、お前達」


 入り口近くでぐっすりと眠っていたギルを起こすと、彼女達は重たい空気に包まれながら家路を急いだ。




 ────────────




 暗い雰囲気で帰宅した三人を出迎えたエイルは、帰りの遅い家族の為に簡単な夕食を準備しながら待っていた。

 すぐにガラッシアも台所に立ち、食材を切る音や鍋の中身を掻き混ぜる音だけが聞こえる、恐ろしい程の静けさの中で支度を終える。

 その間、ザインとディックは自室での待機を言い渡されていた。

 エイルは、何か自分の知らない問題が起きたのだろうと察していたが、あえて母に問う事はしなかった。



 食事を終えると、二人はガラッシアの寝室へと呼び出された。


「……私との約束を、破ってしまったな」


 悲しみとも呆れともつかない声色で、彼女は言う。


「ごめんなさい……」

「オレが……オレが全部いけなかったんだ……! ザインは悪くない。オレが余計な事を言い出さなければ、こんな事にはならなかったはずなんだ! だから──」

「だから悪いのは己だけだと、そう言いたいのだろう。だが、それは違う」


 泣き出しそうになりながら言葉を紡ぐディックを、ガラッシアは自身の言葉で遮った。


「確かにザインをダンジョンへと誘ったのはディック……お前だ。しかしそれ以前に、『川を越えてダンジョンには立ち入るな』と何度も言い続けたはずの母との約束を、お前達は破ってしまったのだ」

「そ、それは……」


 すると、彼女は棚からある物を手に取った。

 それは二つの金の腕輪だった。一箇所だけ小さなくぼみがあり、ガラッシアのもう片方の手の上には、そのくぼみにはまりそうな緑色の宝石がちょこんと乗っている。

 ザインはそれを見て、首を傾げて訊ねる。


「母さん、それは……?」

「これは……魔法とスキルの使用を封じるアイテムだ。この腕輪を身に付けた者は、宝石がはめられた状態では何の能力も使えなくなる」

「えっ……?」

「って事は……もしかしてそれを、オレ達に……?」


 ガラッシアは、ザインとディックの顔をそれぞれ見詰めた後、悲しげに微笑んだ。


「……こうする事でしかお前達を護れない、愚かなわたしを……どうか、許してくれ」


 その悲痛な笑みが意味するものを、彼らは否応無しに理解する。


「私の目の届く時と場所でのみ、この封印を解除する。魔法やスキルの訓練は、その時だけで我慢してもらいたい。……お前達が立派な大人に──成人となる十八歳を迎えるまで。どうかこれ以上の危険を……私との約束を破る事は、もうしないでくれ……!」

「ごめんなさい……! ごめんなさいっ……‼︎」

「大人になるまで、もう二度とダンジョンには行かねえから……だから、泣かないで……母さんっ……!」


 遂に彼女の瞳から大粒の涙が零れ落ち、ガラッシアは何よりも愛おしい子供達を抱き締める。

 懇願するようなガラッシアの訴えを、ザインとディックもボロボロと泣き出しながら、無条件で受け入れた。



 それから八年の月日が流れるまで、彼らは二度と母との約束を破る事は無かったのであった。

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