第113話 自分の意志で

 お嬢様は本館の廊下を歩く。何事かしらと本館のメイドたちから視線が注がれるのも気にしていないようだ。

 磨き上げられた廊下を進んで、最奥の扉の前で立ち止まる。


「失礼しますわ」


 子気味よいノックの音を鳴らし、部屋に入る。驚いた様子の旦那様が、執務机越しにお嬢様をみた。

 お嬢様は前に進み出る。お時間よろしいでしょうかと尋ねると、気の抜けた了承の返事がされる。

 お嬢様は部屋の中心まで歩くと、椅子に座る旦那様を見据えた。


「お父様はライラを后の座につかせたいのでしょう」

「なんだ、急に」

「わたくし、后の座には興味がごさいません」


 は、と旦那様は口を開けた。


「ライラが后になるための障害は長女のわたくしの存在のはず。ですから、わたくしは長女としてのその立場を辞させていただきます」


 旦那様はただひたすら、ぽかんとお嬢様を見つめる。その顔が旦那様らしくなくて、不覚にも笑いそうになった。

 旦那様はいったいなにを思っているのだろうか。

 私たちが見守る中、旦那様はそうかとやっと一言だけ答えた。


「はい。代わりといってはなんですが、わたくしの話を聞いていただけますか」


 お嬢様の瞳に真剣さが光る。

 静かで、理知的で、私が敬愛するお嬢様の瞳だ。


「わたくしは、自分の居場所は自分で守りたいのです。お母様が守ろうとしてくれたこのバルド家を、わたくしの手で守りたい」


 お嬢様は自分の胸に手を当てた。


「わたくしに仕えてくれるマリー、レオン、リーフのような人たちも」


 ゆっくりと赤い瞳が私たちを順々にみる。

 マリーはにこりと微笑んで、赤毛を揺らした。レオンは照れくさそうにはにかむ。私は、お嬢様の視線に応えるように頷いた。


「わたくしを慕ってくれるみんなのことを。そしてライラや、ライラの大切な人のことも。みんなのことを守りたい」


 微笑んで、お嬢様は旦那様に視軸を当てる。


「わたくしはこのバルド家を継ぎますわ。他のだれにもその役目を任せたくはありません」


 そうか、と旦那様は吐息を吐くように言った。


 しばらく手元に視線を落として、机の上で骨ばった指を組む。ぐっと指に力を入れて、旦那様は顔を上げた。


「レイチェルは母によく似ている。彼女も――、私がいない間よく家のことを守ってくれていた」


 お嬢様は目を見開いた。


「すまなかった」


 誰に言うでもなく旦那様は呟く。

 お嬢様の瞳に涙の膜がはった。こらえるように俯いて、細い指でそっと目元をぬぐうと、微笑んだ。


「リーフのことも返していただきますわ。彼女はわたくしの大事な使用人ですから。構いませんね?」


 ああと旦那様が頷いた。

 私は、嬉しくて、誇らしくて――、きっととても下手な笑顔を浮かべた。



――――――――

幕引きまであと3話

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