第108話 カスミソウ

「その花」


 墓前に添えられた花をみてお嬢様が呟く。カスミソウの花束だった。

 お嬢様は無言で私から花束を受け取ると、旦那様が先に置いた花束の横に添えた。私たちが用意したのも、カスミソウの花束だった。純白で小さい、愛らしい花。


「この花を、好きだと言っていた記憶がある」


 旦那様が呟いた。


「あまり世間話もしなかったから、そのときの会話をよく覚えている」


 奥様はカスミソウが好きだった。小さな花が健気に咲いている姿が好きなのだと笑っていた。花束においては脇役、けれどその存在を欠くことはできない存在。


「――だれも、幸せにならなかったのだな」


 お嬢様は目を伏せた。

 奥様も、アンナ様も、レイチェルお嬢様も、ライラ様も。みんな悲しんで苦しんで、傷つけて傷つけられた。


 わたくしは、とお嬢様が旦那様をみる。


「わたくしはお父様のことが嫌いです。本当に、不器用で馬鹿な人だと思います」


 旦那様は無言でお嬢様を見つめ返した。


「でも、お母様やアンナ様が愛した貴方がただの悪人だとも思わない。ライラが言っていました。バルド家に来る前、アンナ様もライラも妾とその子どもという理由でいい思いはしていなかった。そんな中、お父様が自分たちによくしてくれたから、それに救われたのだと」


 静かな声。お嬢様は目を閉じた。


「お父様も守りたかっただけなのでしょう。けれどそれで傷ついた人間がいる。お母様もアンナ様も、もう戻ってこない。――でも、わたくしとライラはまだ生きています」


 秋の気配をにじませた風が艶やかな黒髪を泳がせた。髪を耳にかけて、赤い瞳が旦那様を射抜く。


「お父様のことは嫌いですが、お母様が守ろうとしたバルド家のことを、わたくしは守りたい。お母様にもそう約束しましたから。――では、失礼します」


 お嬢様は深々と一礼をして、踵を返した。旦那様はなにも言わなかった。


「お嬢様」

「わたくしも、ライラも、幸せに生きてみせるわ。わたくしはわたくしの道を。ライラはライラの道を。――さあ、帰りましょう」


 微笑んで青空の下を歩き出した。

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