第11話 突然の誘い

 夕方、私はマリーと共に廊下にいた。

 昼食を運んだ際に、宮廷のお茶会の話をレイチェルお嬢様にしてみたが、行かないと一言だけの返事をされた。予想通りの答えであったわけだが、私もマリーもため息をつくしかない。


「今動かなければ妹のライラ様が后になって、名誉の回復ができなくなってしまいますよ、なんて脅しみたいなことお嬢様に言いたくはないし。なんて言えばいいのかしら」

「でもお嬢様だって、この状況のままでいいとは思ってないでしょう。いつも寂しそうに窓から本館の方を見てらっしゃるし。あともうちょっとな気がするんですけどね」


 マリーはそう言いながら雑巾の水を絞った。

 この別館に住むのはお嬢様と私とマリーだけ。お嬢様が人を寄せ付けるのを嫌うからだ。幼少期からお嬢様の側に仕えていた私とマリーだけが、この別館でお嬢様のお世話をすることが許されている。

 この広い屋敷の掃除も私とマリーが毎日二人でしていた。二人では手の回らない部分もあるが、ときどき本館から人がきて手伝ってくれるため、なんとか回っている。

 マリーは背伸びをして窓ガラスの上方を拭く。


「お嬢様、もうだいぶ心も落ち着いてきたと思うんです。昔は本当にどうなることかと思いましたけど、今のご様子なら社交界にも戻れるんじゃないでしょうか」

「そうね。必要なのは、きっかけと少しの勇気――それが難しいのだけどね」

「――なんの話をされているんですか?」


 突然後ろから声がかけられた。振り向くと、この別館には珍しい銀髪の男の姿がある。

 ライラ様の使用人であるジルだ。制服をきっちりと着ているが、柔らかい笑顔のために堅苦しい感じがしないその男は、マリーをみて微笑んだ。


「窓ふき、代わりましょうか?」


 精一杯つま先立ちをして掃除していたマリーは、ぶんぶんと首を横に振った。首が取れてしまいそうな勢いだ。

 マリーの頬が赤く染まるのを見ながら、私は溜息まじりにジルに要件を尋ねた。ジルはくすりと微笑んで、首を傾げる。


「用がないと来てはいけませんか? たまにはリーフとたわいもない世間話でもしたいと思うのですが」

「茶化す暇があるなら要件を教えてください。あなたがここに来るなんて珍しいんだから、なにかしら要件があるのでしょう。世間話だけじゃないはずですよ」


 手厳しいですねと彼は肩をすくめた。

 マリーが顔を寄せてきて、こそっと耳元で囁く。


「リーフさん、なんだか対応冷たくないですか?」

「苦手なのよ、彼。いつもにこにこ笑っていて考えが読めないし。ああいう人は腹黒だと相場が決まっているわ。――マリーはなんだか嬉しそうね」

「だって、世の女性から人気のジルさんですよ! 数々の貴族令嬢からも言い寄られているという噂の。みてください、あのお顔。美形です。美しいです。見ているだけで幸せになれそうです」


 興奮気味のマリーは頬に手をあてて熱弁した。

 好意はあるようだが、どちらかといえば恋愛よりも憧れといった感情のようだ。ファンというところか。

 少し安心した。妹のような、娘のようなマリーには、もっと素直で裏表のない男性と結ばれてほしいものだ。ほっと息を吐いて、改めてジルに向き直った。


「それで、本当に何の用事でいらっしゃったんですか」

「つれないですね――ライラ様がリーフを呼んできてほしいとのことで伺いました。一緒に来てはいただけませんか? 急ぎの仕事をしているようならまた後日でも構わないとのことですが」

「ライラ様が私を?」


 そういう大事なことは先に言ってほしかった。


 主家の人間を待たせるわけにはいかない。それに、ライラ様が直々に私を呼び出すことなんてめったにない。同じ家の人間といえども、私がお仕えするのはレイチェルお嬢様だ。普段ライラ様との関わりはあまりない。そんな私を呼ぶとは、それ相応の理由があるのだろう。


 マリーに目配せすると、彼女も神妙な顔で頷いた。


「あとの掃除は私がしておきますから、行ってきてください」

「ありがとう。よろしくね」


 マリーに見送られながら、私とジルは別館を出て庭を歩き、本館に向かった。


「ライラ様、私になんのお話があるんでしょうか」

「それはお嬢様ご本人から聞いてください」


 ジルが笑顔ではぐらかすから、私はため息を吐いた。一体なんだというのだろう。

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