第37話 向き合うこと

昇降口から飛び出した俺は、走りながら琴音の姿を探していた。


幸い校門へと続く道は人がまばらで見通しもいい。俺と同じように走っている生徒がいたらよく目立つだろう。


その思惑は的中し、ちょうど校門の角を曲がってひとり駆けてゆく女子の制服を着た人影を見つけることができた。間違いなく琴音だろう。




「琴音ー!」




俺は琴音の名前を叫びながら全力で走っていく。走りざま驚いた表情で俺を見る生徒を何人も置き去りにするが、そんなことはしったこっちゃない。


俺にとって今大事なのは琴音だけだ。それ以外は眼中になかった。




「っ!」




校門を抜けた先で、遠ざかっていく琴音の姿を確認することができたが、向こうも俺に気付いたようだ。


軽く振り向きおれの姿を確認すると、さらに駆け出していく。


どうもこの鬼ごっこはまだ続くらしい。体力のない俺は思わず足を止めそうになるが、弱音など吐いてはいられない。


そもそも女の子に体力で負けては男がすたるというものだ。




「あーくっそ、あいつ足はえぇな!」




妙なところでプライドが刺激された俺は悪態をつきながら、琴音の背中を追って駆け出した。














「ハァ、ハァ…」




「ぜぇ、ぜぇ…」




あれから十分は走り続けただろうか。


ようやく琴音を捕まえたのはいいものの、ひたすら走り続けていた俺たちは相応に体力を消耗していた。


互いに運動とは縁遠い文化系。だというのにどこにこんな体力があったのか、限界まで走り抜いてしまった。琴音も案外意地っ張りなところもあるし、お互い引くに引けなかったんだと思う。


おかげで足はパンパンだし、疲労困憊で満足に話せる状態でもない。




なにをするにも一度休憩をとることで意見は一致し、俺たちはたまたま目についた近所の公園のベンチに座って荒い息を吐いていた。


その公園は俺としても当分来たくなかった、天華に告白した因縁の場所でもある。


つくづく俺はこういう運にだけは恵まれているらしい。神様とやらがいるのなら、愚痴ののひとつでも言いたくなった。




「…ふぅ」




とはいえようやく息も整い始めたし、俺の事情は一度置いておくことにする。


今は隣に座る幼馴染から話を聞いておくことが重要だった。


琴音も徐々に落ち着いてきたのか、赤らんだ顔はそのままに、こちらの様子を横目でチラチラと伺っている。




「琴音はどうだ。落ち着いたか?なんなら飲み物を買ってくるけど」




「ううん、大丈夫だよ…ごめんね、急に逃げちゃって」




琴音は素直に謝罪の言葉を口にした。


本当に申し訳なく思っているだろうことが伝わってくるその様子に、なにがあったか聞いていいものか一瞬迷ってしまう。




「いや、別にいいんだけど…なにかあったのか?それとも、俺がなにかしちゃったかな」




とはいえ口を噤んだままでもいられない。


もし気付かないうちに琴音を不快にさせてしまっていたのなら、どうしても謝罪しておきたかったからだ。




「…そういうのじゃないよ。分かっていたことに、私が勝手にショックを受けただけだから。大丈夫だって、思ってたんだけどね」




そう言って琴音は下を向いた。


その顔には、どこか後悔や諦めの色が滲んでいる気がする。


俺はその表情をつい最近、どこかで見たような気がした。


今朝、洗面台の前に立った時に見た俺の表情にどことなく似ていたように感じたのだ。




もちろん俺と琴音では顔の造型レベルに圧倒的な差はあるが、雰囲気は同じもののように思う。


それを俺は無意識のうちに感じ取っていたのかもしれない。


だからここまで俺は追いかけてきたのだと、なんとなく思った。天華を置き去りにしたとしても、俺は琴音を放っておけなかったのだ。




「そっか。それって、俺には話せないことなのか?」




「…うん。ごめんね」




沈痛な面持ちの琴音に、俺は励ますように大丈夫だと笑って答えた。


俺は琴音を責めたいわけじゃない。ただ話を聞ければ良かったと思っただけだ。


こういう時にしつこく問い詰めたところで、何の意味もないだろう。


無理に聞き出そうなんて思っていない。




「じゃあしょうがないな。いいよ、言いたくなったらいつでも言ってくれ。そのときは俺でも話くらいは聞けるからさ」




「…ありがとう」




また琴音が謝ってくる。いつもとは逆だなと、なんとなく思った。


思えば俺はいつもこんな姿を琴音に見せていたのか。


情けなくも思うけど、同時にやっぱり放ってはおけないという気持ちが湧き上がる。




「それじゃあさ、ちょっと俺の話を聞いてもらってもいいか?」




「ゆきくんの?うん、いいけど…」




俺の言葉を受けて、琴音が俺のほうに向き直す。


まだその顔には疲労が残っているけど、悲しみの色は少し薄らいだように思えた。




これから話すことで、多少なりとも琴音が抱えている事情から目を反らせればいいなという、ただの思いつきだ。


あるいは傷の舐め合いと言われようとも、琴音とある種の感情を共有することで互いに少しでも楽になれればという思いもあったかもしれない。




しばらくは自分ひとりで抱え込むつもりだったが、これも神様がくれたいい機会なのかもしれなかった。


早く吐き出してしまったほうが、案外早く立ち直れるかもしれない。


そんな打算もあったが、結局俺は誰かにただ話を聞いてもらいたかったのだろう。


その相手が琴音だったというだけの話で、なにも特別なことじゃない。


俺は覚悟を決め、琴音に先日起きた出来事を話すことにした。




「俺さ、天華に告白するって言ったろ。それで土曜日、天華のことを呼び出したんだ」




ここに、なんてことは言わない。そこまで言うのは野暮だろう。




「やっぱり、そうだったんだ。それでOK貰って付き合い始めたんでしょう?」




琴音は辛そうに口にするが、俺は一瞬なんのことかと考えてしまう。


…ああ、そういえばそこから誤解していたな。


俺はゆっくり首を振ると、琴音の誤解を解くべく、真実を口にする。




「いや、違う。そうじゃないんだ」




「え、でも…」




…正直、言いたくはない。


誰かに話すことで、それは間違いなく真実になる。


天華と俺しか知らないことを誰かに話すことで、俺に起こった出来事が現実であると、嫌でも認識してしまうからだ。


だけど、向き合うなら早いほうが絶対にいい。




俺は大きく息を吸い、その言葉をゆっくりと吐き出した。






「俺、天華に振られたんだ」






「え…?」






その顔からはなにを言っているのか分からないと言いたいであろうことがありありと分かる。


琴音が、俺のことを呆然とした表情で見つめてきた。

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