鳥かごの中に手を入れて



「優しい、か」

 俺は自室のベッドに寝ころび、先ほどアンリが口にした言葉を、飴玉をしゃぶるように口の中で転がした。


「そんなモノじゃ、ないんだがな」

 俺を神聖視する部下達も、同じような事を言っていた。

 慈悲深いお方、心優しきお方、誠実で公正なお方、思慮深いお方。

 ……全く。


「16のガキの何を見ているんだか」

 時々、そんな言葉がどうしようもなくうっとおしくなる。そんなことを考える自分も含めて、だ。


「俺は……」

 本当はそう、そんなにいいモノじゃない。


 あれはそう……現実世界あっちで村を一つ滅ぼした時の事。



││



「お、まえ……をっ!」

 とある山奥。

 人間達が『隠れ里』と呼んでいた村が、かつてそこにあった。


「おまえ、をっ、これ以上、先にっ!」

「カイ様っ! お下がりくださいっ! この人間、様子がっ」

「いい」


 俺は側近と大勢の部下たちをその一言で下がらせて、目の前の、姿と向かい合う。


「……人間の『邪法』というやつか」

「おまエヲ、ココデ……トメルッ!」

 体の周り、その男の輪郭を中心に黒い靄のような何かが覆った。古い悪魔との契約の産物か、或いは禁忌とされる魔法の類か。今となっては恐らく他で目にすることのないであろう、貴重な術だった。


「グアアッ!」

「カイ様っ!?」

 真っ直ぐ、まるで弾丸のように人型が突っ込んでくる。俺はそれを紙一重でかわし、続く腕の振りも、バックステップを踏みながら一つ一つ見極めていく。


「この村の守りという事か」

「グアアアアアアアッ!」


 俺達はこの村を侵略しに来ていた。


 貴重な魔力を持つ人間の村。来たる人間達との全面戦争を前に、こちらの陣営に引き込もうとしたのだ。いつもの従え、さもなくば死という二択を突きつけ。


 すると向こうからは『当主と直接話がしたい』などと返事が来たので出向いてみれば、これだ。


「交渉は決裂という事か?」

「グアアアアアアアッ!」

「……話もできんか」

 目の前の男、いや、もはや黒い人型の何かは、理性などみじんも持たぬようにただただ狂暴に、怒りに任せて腕を振っていた。


 貴重な術の体現者ではあるが……仕方がない。


「悪いが」

「ガギュッ!?」

「獣とこれ以上話す趣味はない」


 俺は腕を真横に振るように一線。

 吸血鬼の爪鞭グレイプ・ウィップ


 吸血鬼の圧縮された血の鞭が、人型の胴を薙ぐ。


「アッ……」

 胴体から上と下に分かれたそいつが宙を舞い、やがて重力に従って、地面に転がる。それで決着だ。

 真っ二つに分かれたそいつを一瞥し、俺はその村へと向かおうと一歩踏み出そうとし……。


「カイ様ッ! まだっ!」

「ッ!?」

「グアアッ!」


 二つに分けられたうちの上半身が、地面を跳ねてそのまま飛び掛かってきたのだ。


「驚かせてっ、くれるっ!」

「アボッ!?」

 人型の腕の突き、俺の首を狙って伸ばされたそれをかわして、カウンターで心臓をえぐった。


 温かな肉の感触。

 手に伝わるどろりと流れる血は、人間のものだった。


「まだ来るか?」

 口でそう挑発しつつも、今度こそ決着がついたことを、俺は本能で感じ取っていた。

 人型の、下半身にかかっていた靄が消える。ついでだんだんと上半身の方も霧が晴れるように、徐々にその輪郭を取り戻していき……。


「た、のむっ……!」

「え?」

「あのっ! あの子っ! だけっ、はっ、みのっ! が、して……」

 最後に理性を取り戻したのか、男ははっきりとただの人間に戻って、身勝手な事を叫んで……。


 塵となって、消えていった。


「か、カイ様っ! お怪我はございませんかっ!?」

「いや、問題ない」

 男を覆っていた謎の靄も、俺に触れた瞬間にはかき消えていくのが見えた。魔法耐性が効いている証拠だ。外傷もない。何一つ、問題はない。


「助かった」

「あっ、い、いえ、差し出がましい真似をお許しください」

 俺の側近はそう言って恭しく首を垂れる。

 胸に当てた手が、僅かに震えていた。


「……交渉は決裂だ。あとはお前たちに任せる」

 俺は周りの部下達に告げる。

「なるべく生け捕りにしろ。さっきのような黒い奴が出た時はまた俺を呼べ」

「はっ!」

 迅速に動き始める、俺の優秀な部下達。


 そうして残ったのは、俺と俺の側近ただ一人。


「……どうした」

 俺は今も首を垂れたままの、俺の側近に静かに声をかける。

「カイ様……今後はこのような雑事、我らにお任せください」

 彼女の声は、珍しくどこか震えていた。


 元々人気のない森の中で、二人。

 風と木の葉を揺らす音だけが周りを支配しているそんな中、世界に俺と彼女しかいないかのような錯覚にとらわれる。


「……俺の力を裏の世界に示す必要があるだろう?」

「……」

「それに、戦術上俺という駒を遊ばせておく理由もない」


 俺は淡々と、うわべだけの理由を並べていく。


 本当はお前たちに傷ついてほしくないとか、自分以外の手をあまり汚してほしくないという理由もあるが、それは俺が彼女に口にしていい言葉じゃない。


 それはそっくりそのまま、返されると知っているから。


「申し訳ありません。出過ぎたことを口にしました」

「いや、いい」

 彼女の声の震えは止まっていた。その手の震えも。


 ふいに、世界に俺達二人だけなら、何の気兼ねなく彼女を抱きしめてやれるのだろうかと思い至るが、そんな筈もないかと、遠くから聞こえてきた人間どもの悲鳴に現実に返る。


 俺には立場がある。

 彼女にも、同じように。


「帰るぞ」


 俺はその場を部下達に任せ、側近の彼女だけを引き連れ、その場を後にした。


――


「報告します、我が君」

 人間の隠れ里を壊滅させ、大勢の人間を生け捕りにすることに成功した。結果だけ見れば俺達の大勝利、なのだが……。


「これが、かの村の巫女、と崇められていた女です」

 突き出された巫女服の少女は、跪く姿勢でなお俺を睨みつけていた。


「巫女、か」

 城に帰り、玉座から戻ってきた部下達の報告を聞く。こちらの被害はなく、皆無事に帰還したと聞いて俺は安心していた。


 で、そんな中で戦利品として今目の前に突き出されているのが、巫女と呼ばれる少女だ。


 見た目は少女、なのか女なのか悩むラインだ。童顔だが纏う雰囲気は凛々しく大人びており、十代後半にも見えるしそれ以上にも見える。伸ばされた黒い髪も巫女という肩書によく合っていた。


 そしてその瞳は、怯えているようにも憎しみを宿しているようにも見える。


「殺しなさい」

 俺にも、そして俺の周りの部下達にもはっきりと聞き取れるような声で、巫女の少女は言った。

「殺してもいいが」

 俺は立ち上がり、その少女に近づく。


「この女は、何だ?」

「はっ、どうやらあの村、奇妙なしきたりのもと成り立っていたようでして」

 部下の一人が告げる。

「こいつは巫女と表向き崇められていましたが、実態は……」


 長いのでかいつまんで話そう。


 あの村では、古くから『魔力』を宿した人間を崇め『呪術』を行い裏の世界に君臨してきた歴史がある。


 その中で巫女とは、村の最高指導者であり、かつ強大な魔力を持つ一族のトップであるとのこと。

 だがその歴史も実は一昔前までで、今では魔力を継承する術や、魔力を行使して呪術を行う方法もほぼ失われていた。


 で、そんな中で巫女とは、ただ単に有力者たちに魔力を捧げるという名目の……。


「交わりで、魔力を譲渡する?」

「あの村ではそういった名目で、頻繁にその、が行われていたと」

 部下は口にすることを憚るように言葉を濁す。


「そんなことが可能なのか?」

「人間達の中にはそういうことを信じているものがいるようですが、眉唾です。科学的な根拠も乏しいですし」

 俺の側近がそう言葉を繋ぐが……魔法や魔力に科学的根拠というのも何かこそばゆいな。


「房中術と呼ばれる技術もありますし、全く出鱈目ではないのかもしれませんが……。正しく交わることで体調が良くなることや、精神の充実によるプラシーボ効果ではないかと」

 ううむ、ますます怪しくなってきたな。

 吸血鬼は生まれた時から大抵魔力を持っているので、基本魔力を持たない人間の理屈で考えるのは無理があるのかもしれない。


「で、この女は魔力のない偽物だと?」

「いえ、どうやら少しは魔力があるようですが……大した量もなく」

 部下は申し訳なさそうにそう口にする。


「そんな愚物を、我が君の前にお出ししたというの?」

「も、申し訳ありませんっ! で、ですがその、一番の戦利品といえば、この娘くらいで」

 他の連中は、ああ、特にこの巫女と頻繁に交わっていたという連中にも、魔力が全くなかったという。


 つまりはまあ、そういうことなのだ。

 人間達も、魔法や神秘の伝承では苦労しているようだ。


「み、見た目はそれなりに映えるのでは、と」

「ふん、何を寝ぼけたことを」

 側近は巫女の目の前までくると、その上着を、容赦なく引きちぎる。

「あっ!?」

「こんな、人間の屑どもの手垢のついた中古娘を、カイ様にお捧げするつもり?」

 童顔の見た目を裏切り、中々のサイズの胸が零れて、そしてその先端は……ああ、確かに、生娘ではないらしい。


「ふっ、その歳で、何人に抱かれたのかしら?」

「こっ、のっ……!」

 巫女の少女は悔しさに歯を食いしばる。


 あの村では巫女は、子を残すことは許されないという。


 できても、に手を突っ込んでかき回して駄目にするのだとか。おぞましいしきたりもあったものだ。


「お目汚しいたしました。カイ様、他の娘で口直しを」

「いや」

 俺の一言で、その場の空気が一瞬ざわつくのが分かった。


 まあそうだろうな。モノ好きと思う奴もいるだろう。


「死にたいのか?」

「ッ!」

 少女が舌を噛み切ろうとする瞬間を見て、俺は声をかけたのだ。


「舌を噛めば死ねるだろう。だが、すぐには死ねん。血が溢れて止まらなくなり、やがて窒息か失血死かが待っているわけだが、俺達吸血鬼が溢れる血を見逃すと思うか?」

 少女はごくりと息をのむ。吸血鬼による恐怖は、先の戦いで刷り込まれているな。


「その唇を貪り、血とお前を奪いつくしてやる。死にながら喰われるのは、流石に未体験だろう?」

「……殺して、お願い」

 少女は力なく、最後の訴えだと言わんばかりに懇願する。その心にあるのはこの世界への絶望か、或いはおのれの役割に幕を閉じることへの安堵か。


「ある男から、お前だけは殺さないでくれと頼まれた」

「ッ!?」

 が、どうやらそのどちらでも無いようだ。


「気まぐれに、お前を生かしてやってもいい。鳥かごの中の鳥を捕まえたのだ。そのまま殺してしまうのは惜しいからな」


 少女は目を見開く。

 その瞳の奥にあるのは、恐らくはあの男への……。


「飼っているうちに、気まぐれに鳥かごの扉を開けたままにしておくこともあるだろう。例えそれで鳥が逃げたとしても、それは飼い主の責任だ」

「あんたに、抱かれろ、って?」

 察しがよくて助かる。


「血の一滴まで貪られて死にたいというのなら、止めはしない。あの男が命懸けで繋いだお前の命を、どぶに捨てたいのならな」

 哀れな少女は、瞳に最後の熱と共に零れた涙を流して。


「選べ。死ぬか、従うか」

 俺の唇に、自分の唇を重ねた。


――


「結論から言えば、やはり眉唾だったな」

「そうでしたか」

 後日、ふと話題に上ったあの巫女の事を側近に語る。


 例の交わりで魔力を譲渡するとかなんとかというやつだ。


「人間どものいい加減な迷信は、当てになりませんね」

「いや、そうでもない」

「え?」


 正確には、俺には効果がなかったというだけだ。

 あれからあの巫女を何度もベッドに誘い、血を、彼女を、貪った。最初は嫌がる素振りを何度も見せたが、そのうちに随分としおらしくなってしまって、最近では甘い声で鳴くようになった。


 だが……。


「覚えているか? あの村で最初に戦った黒い人間を」

「ええ。何の邪法に手を染めていたのか分かりませんが、理性を失っていた、あの男ですよね?」


 そう、あの男だ。

 最初は人間達が何か知らない術を使っているのだと、奪う側からしたら期待したのだが、その伝承はほとんど残されておらず、単にあれは術の失敗で起きた事故だと結論付けられた。


「そこそこの魔力を感じなかったか?」

「ええ、胴体が千切れても動いたところを見るに、中々に強力な術が使われていると思いましたが」

「あの男に魔力を渡していたのが、あの巫女だ」

「なっ!?」


 恐らくはこういう事だろう。

 あの村では魔法や魔力などの神秘はとうに廃れ、形骸化した欲望まみれの風習として残されているのみだった。

 だというのにあの男だけが、彼女を守るために必死に戦ったであろうあの男だけが魔力を持っていたというのは、少し腑に落ちない。それだけの魔力があれば、神秘を廃れさせずに済むからだ。


「あの女の、交わりで魔力を譲渡する術が本物だったと?」

「そうだ。そしてその魔力の譲渡は、愛した男にだけ密かに行われていたのだ」

 聞けば、あの男は村の中で特に高い地位を持っているわけではなかった。魔力を保持する家系ともみなされていない。そして、あの村で権力が無ければ巫女と交わることはできないという。


 だが、あの巫女は何度も、あの男と逢瀬を重ねていた。


「あの巫女が、そう、言ったのですか?」

「言葉には出さないがな」

 あの目を見れば、何となく分かる。


「少ない魔力を、毎回少しずつ。そうして密かに蓄積されていた魔力は、あの呪術を使うのに十分な量だったわけだ」

 尤も、失われた呪術を無理やり使って理性を失い、あげく少女を守るために死んだのは、あの少女にとっては何より辛い事実だろう。


 自分が愛した男が、自分が与えた力で自分を守って死んだのだから。


「そうだとすれば、研究する価値のある技術ですね」

「そうだな」

「……などと、言っても詮無いことでした」

 そう言って、俺の側近は笑う。


「やはりカイ様はお優しい。あの巫女が実験部に弄り回されるのを見越して、助けられたのでしょう?」

「何の話だ?」

 俺がそんな風に答えても、彼女は笑顔を崩さない。


「カイ様の女となれば、誰も手出しはできません」

「別に。ただ単にああいう女を抱きたくなっただけだ」

「そうでしたか。あんな手垢まみれの女を、ですか?」

 彼女はそう侮蔑交じりに俺を賛辞しようとするが、俺は少しそれが気に食わなくて口を出す。


「俺はそんなこと気にはしない。例え汚れていようが、例え……顔に傷跡が残っていようが」

 ぴくっ、と、側近の彼女が肩を震わせた。その彼女の顔には、今もうっすらと傷が残っている。


 そう、昔の……。


「流石はカイ様。慈悲深き、我らが吸血鬼の王」

 彼女はまたいつもの調子で、上っ面の言葉だけで俺を賛辞する。


 俺は、そんな彼女にまた何か言いかけて……その先に進む勇気が無くて立ち止まってしまった。


――


「優しいものか」

 俺は昔の回想をそこで打ち切り、異世界のベッドの上でそう呟いた。


 そう、俺は優しくなどない。

 優しい男なら、女の恋人を殺してそいつを自分のものにしようなどとは考えない。

 ただ単に、あの体が欲しくなっただけだ。


 あの瞳に映った男の影を、自分に書き換えてやりたいと思っただけだ。


「周りが勝手に俺を祭り上げただけだ」

 また、あの巫女との情事を思い出す。

 鳥かごの中の少女は、甘く切ない声をあげて……泣いていた。


『あなたがっ! 私をっ! こんなモノにしたんでしょうっ!?』

 少女は、がくがくと体を震えさせながら叫ぶ。


『ねえっ! 私の羽を折ってっ、あなただけのモノにしてよっ! もうどこにも行けなくていいからっ! あなただけに溺れさせてよっ! 楽にっ! させてよっ!』

 そう言ってボロボロ涙を零して。


 汗だくで俺に体を預ける少女を抱きながら、何度も血を貪る。その味を、何度でも堪能する。


『あなたがっ! 好きっ! だからっ! もうっ、いいよねっ!? いいよねっ!?』

 誰に言っているのか。誰に詫びているのか。分からぬまま声が枯れるまで。

 俺が満足すると、やっと安心したように、倒れて眠る。


 それが、鳥かごの中の少女の末路だった。


『ねえ、カイ……』

 いつも意識を失う直前、彼女は俺にその豊満な胸を押し付け、同じことを呟く。


『私に飽きたら、その時は今度こそ』

 殺して……。


「約束を、果たせなかったな」

 元より、殺してやるつもりなどみじんもなかったが。


「優しいものか」

 俺は同じことを呟きながら、ベーオウやティキュラにアンリ、そして俺を信じてついてきた古ゴート族やレッサーオーク達の事を思う。


「……本当の俺は、優しくなどない」

 だが、それでも。

 それでもあいつらの前でだけは。


「優しい吸血鬼に、なれたら……」

 あいつらが誇れる、理想の君主であれたのなら。


 そう、あれたら……今度こそは……。


「おやすみ」


 俺は宿した誓いを胸に、また、夢の中へと意識を沈ませていくのだった。


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