囚われの少女が見つめるモノは



 ――それから数時間後。


「だ、旦那の言ったことが分かってきやしたよ」

「ああ」

 俺とベーオウはジャッジャとブラシで一階の床を磨きながら、血やら肉片やらを拭っていく。

 流石にこれを放置したらウジやらハエやら沸き放題だからな。


「お前が仲間を残しておいてくれればな」

「……ええ、その、ごもっともで」

 ベーオウは何ともいえないような顔でため息をつくが、俺だって同じ気持ちだ。


 この広い城を、たった二人で掃除だからな。


 地下と一階は俺が暴れたせいもあり中々にグロテスクな感じになっているが、その他の階だって相当だ。俺が寝ている間好き勝手していたオークが荒らし放題だったからな。残念ながら彼らにお行儀よく過ごすという発想はなかった。

 散らかっていたものは……詳しく話すと気分が悪くなるから割愛するが。


「誰かいれば、か……」

 一階を掃除する前、一応すべての階を一通り見て回った。昨日から何度もあちこち探しているが、やはり誰の痕跡も見つけられない。


 他にも魔界と現実世界間で通信できる機器があったのを思い出し試してみたが、機能しなかった。受信側に誰もいないのか、そもそもここが魔界ではないのか、機械が壊れているのか。

 現時点ではそれすらも分からない。


「今更ですけど旦那、旦那以外に誰もいないっていうのは、一体どうしてなんでしょうね?」

「さてな」

 それは俺も知りたい。


 どうして俺だけ残して皆いなくなってしまったのか。


「……部下なら、沢山いた」

 俺はついこの間まで、といっても眠っている間に3か月は経ったようなので正確にはそこそこ前なのだが、その頃の光景を今見える景色に重ねる。

 俺を慕うものたちが皆笑みを浮かべていた。常に最上の環境が用意されていた。


「毎日人間の少女達が俺に笑顔で身を捧げていた」

「そ、そりゃあまた……王侯貴族のようですね」

 そうだ。俺は吸血鬼達の君主。『王』だった。

 そう、かつては。


「だが、今はそうじゃない」

 彼らは皆首を垂れ、頬をバラ色に染めてかしずいていた。何一つ俺に不自由をさせず、全ての雑務を請け負っていた。用意してくれていた。俺はそれに、甘え切っていた。


 彼らは今いない。

 残ったのは、掃除一つで苦戦する裸の王様だ。


「……言っても仕方がない、か」

「旦那?」

「それより手を動かせ、手を」

 俺たちは再び掃除に戻っていく。


「ここが終われば次は地下だ。その後他の階を一つ一つ片付けていくぞ」

「うへえぇっ、だ、旦那、本当に俺たち二人で全部掃除するんですかい?」

 当然だ。ベーオウは心底げんなりしているが、俺だって同じようにげんなりしているんだ。勘弁しろ。


「……そうだな、せめて潤いでもあればな」

「う、潤い?」

「女だ」

 ほんの気まぐれに、そう口にした。

 可愛い女の子の一人でもいれば、やる気も出るというものだろう? まあ、そんな感じで。

 しかし……。


「女……あ、ああっ! 旦那っ!」

「ん?」

「忘れてましたよ!」

 はっとしたように、急に声を上げるベーオウ。うん? 一体何を忘れていたと?


「もう一人捕まえて繋いでたんですよ、女を! あの地下牢に!」

「……何!?」


 俺は思わず目を見開く。


「ちょ、ちょっと待て! どういうことだ!? 俺以外にもこの城に誰かいたのか!?」

「えっ? あ、ああ違いやすよ。そいつは外から捕まえてきたんでさあ」

 な、何だ。外からか。

 一瞬誰か城に残っていたのかと期待してしまったじゃないか。


 というかあの地下牢に、俺以外に捕まっている者がいただと? 昨日の騒ぎから丸一日放置しているじゃないか。


「お、おい、大丈夫なのか?」

「ええまあたぶん、死んじゃいねえでしょうし、まだ使でしょう」

「……ん?」

「へへっ、一緒に楽しみましょうぜ旦那、ってごふうぁっ!?」


 思わずベーオウに突っ込みチョップ。

 なんてこと言うんだお前。


「がっ! ご……だ、旦那一人で、た、楽しむつもりなんですかい?」

「いやそうじゃない。そうじゃないから」

 何だその発想は。オークの基準で語らないでくれ。軽い突っ込みでオーバーに悶えるベーオウに頭を抱える。


「捕らえた女を無理やり……なんて、そんなことはしたくない」

「で、でも旦那さっき女が欲しいって」

 俺が欲しいと言ったのは潤いだ。ニュアンス大事だぞ。全然違う。

「俺は……少なくとも家名に恥じることはしたくない。吸血鬼としての誇りを捨てたくはない」

 いくら自分を知る者がいない世界であってもな。


「はあ……でも、いいんですかい?」

 ベーオウは悶えながらも、上目遣いに俺を見て一言。

「いい女ですよ?」

「……」

「ここいらじゃ見かけないような女ですけど、見逃すにゃあーちょいと惜しい女でしょう」


 ……いや、惑わされないぞ。


 今さっき家名に恥じないとか吸血鬼の誇りだとか語っておいて、いい女だからって無理やり手を出したりなんて。


「まあ、見てから決めましょう」

「……心を読むな」


 そうして俺たちは、地下牢に向かう。



「ここでの暮らしも落ち着いたんで、久しぶりに遠征したら、その女を見つけたんでさあ。抵抗しましたが俺たち相手に一人でそう長くも持ちやせんで。じっくり楽しもうと持ち帰ってここに繋いだのが昨日ってわけです」

 地下牢への道は血や肉片があちこちに散らばっている。当たり前だが、放っておいても消えてくれるわけではない。


「こっちです。奥ですよ旦那」

 ベーオウはもはや勝手知ったるといった感じで地下を進み、俺を繋いでいた部屋のさらに奥で、その足を止める。


 俺は、その扉のドアを開け放ち……。


「ひっ!?」

「……これは」

 薄暗い部屋で、まず聞こえたのはか細い悲鳴。

 次いで目に映る光景に、少し意表を突かれた。


「どうです? ちょっと変わった、ラミア族の女ですよ」


 ベーオウの言葉通り、そこには異様に長い下半身を持つ少女が鎖で繋がれていたのだ。


 上半身、見た目は吸血鬼や人間とそう変わらない部分は随分と幼い。少し傷んだ長めの白髪に、青い瞳と褐色の肌。少しやせて見えるのはこんな所に繋がれていたからなのか元からなのか。

 怯えたその瞳はゆがみ、口からはかすれた息が漏れる。ひどいありさまだがそれでもベーオウの言う通り、本来は中々に可愛らしい少女のようだ。


 だが下半身、そう、棘のついた鱗に覆われた部分はかなり長く、十メートルはありそうな体は、まるで蛇だ。濃い緑色の不思議な光沢を持ち、鎖でぐるぐる巻きにされたそれがびくびくと脈打つように震えていた。


 その先端には、蛇のしっぽには似つかわしくないスパイク状の棘がついている。


「や、やぁぁっ……」

 その少女は俺を見て恐怖しているのだろう。鎖をジャラジャラと鳴らしながら身じろぎする。


 当然のように、上半身を裸で。


 白髪で隠されているが、まだ成熟していない、膨らみかけの幼い胸が呼吸に合わせて何度も上下する。

 その顔は、ああ、何度も見たことがある。吸血鬼に奪われる前の、獲物の表情だ。


「……」

 俺は暗がりに向かって一歩踏み出す。その動きに合わせるように、少女が息をのむのが分かった。

 一度だけ振り返ってベーオウを見ると……まあ、ベーオウは露骨にがっかりとした表情を浮かべる。

 悪いな。お前たちが捕まえた獲物なのだろうが、生憎とここはうちの地下牢だ。


 ここは罪のない者が繋がれておかれる場所ではない。


「こっ、こな……来ないでぇっ!?」

 かすれる声で必死に叫ぶ少女。

「いっ、いやっ! いやあああああああああああああっ!」

 俺は構わずに手を伸ばして……。


「やあああああっ、あっ、あ……え?」

 彼女を繋いでいた鎖を、手で引きちぎってやる。


「もう大丈夫だ」

「あ……は、えっ? あっ、あな、たは……?」

「昨日までは隣の部屋で鎖に繋がれていたが、この城の本当の主だ」


 少女の顔を、近くで正面から見据える。

 成程。見た目はまだ幼いしちょっと変わってもいるが、いい女、という形容は間違ってはいない。


「吸血鬼が一門、ブルーダラク家当主、カイ・ブルーダラクだ。ひとまずは歓迎する。同じ……地下牢メイツとして」


 青い瞳が暗がりから一筋の光をあてられたように、まるで湖面のように光をたたえて大きく揺れた。


 ……まあ、ベーオウの言う通り手放すのは少し惜しかったかもしれない。

 こんな可愛らしいラミア少女には、なかなかお目にかかれないだろうからな。


「あ、あのっ……あ、ありが、とう、ございます!」

「礼には及ばん」

 実際大したことはしていない。オーク達が捕まえてきた彼女を解放しただけ……と、それだけ聞くとマッチポンプみたいだな。そのオークを従者にしている現状だと。下半身に巻かれている鎖を解くベーオウをちらりと見て思う。


「あー、彼はベーオウ。心配せずとも大丈夫だ」

「へい、旦那が手を出さねえんなら、俺も手出ししたりはしねえんで」

 俺の言葉にベーオウは不敵な笑みを浮かべ……いや、違うか? ひょっとしてその顔、優しい笑顔のつもりか?


「しっかし旦那、よくこの頑丈な鎖を引きちぎれますね。オークの力じゃ何人集まったってそんな芸当できやせんぜ」

 そうか? この程度ならデコピンでも。


「うおっ!?」

「わっ!」

 ピンとはじいてやると、パンッという破裂音と共に綺麗に輪の一つだけが弾ける。


 ふむ、何だろう、プチプチつぶしみたいでちょっと楽しいぞ。


「旦那、その……ホントに化け物っすね」

 久しぶりに言われたなその言葉。最近では吸血鬼に向かって化け物なんていう人間も減ったし、何より俺に向かってそんな口を利く部下もいなかったからな。


 別に、遠慮せず言ってくれても構わないんだけどな。俺は吸血鬼なんだし。


「あ、あ、あのっ!」

 なんて思っていると、鎖から解き放たれた少女が胸を手で押さえながら声を荒げる。ああ、すまない、配慮が足りなかった。ベストを脱いでそっと背中からかけてやる。


「えっ!? あ、えと、そうではなくてっ!」

 え、違うの?


「わ、私は、その、私のことは……私の身は、好きにしていただいて構いませんからっ!」

「……何?」


 意外な言葉に、俺もベーオウも思わず顔を見合わせる。

 今しがた鎖に繋がれて怯えていた少女が、今度は自分の身を捧げる? 一体何がどうなっている。


「で、ですから、どうか、お願いします!」

 だがそんな俺たちの疑問は、すぐに解決する。


「私の仲間を、友達を、助けてくださいっ!」


 彼女の、必死に訴えるそんな言葉で。



<現在の勢力状況>

部下:なし

従者:ベーオウ(仮)

同盟:なし

従属:なし

備考:地下牢には、ラミア(?)の少女





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