第45話 ダカン平原の会戦⑤
「馬鹿な、何故動いた!」
ナプスブルク・フィアット連合軍最右翼の隊を率いるホランド・ガスケインは、突如として突撃を開始した味方の姿を見てそう叫んだ。
あれほど動くなと言ったのに。
同じ突出馬鹿でもこれがジドゥーバルならば何の心配もしない。あの馬鹿ならば敵を首にするまで前に突き進むだろう。
もしこれがエリクセンであるならば──その老け顔に触られれたのでない限り微動だにしないだろう。
なのにあの若造は敵よりも劣る兵で陣形を自ら乱してただ無策に突っ込んだ。
あの憎憎しい二人の同僚が側にいない日をこんなに呪ったことはないぞ畜生。
このままでは
直ちに兵を前に出さなくては。
「将軍! 敵軍が一斉にこちらに向かってきます!」
副官の叫びに目をやると、敵の一団──それもこちらの倍はいる軍勢が、ジュリアン隊の側面になど目もくれずこちらへ向かってきていた。
「全軍、防御態勢!」
「騎兵です! 前列、間に合いません!」
ホランド隊の前衛が防御姿勢をとるよりも早く敵の軽騎兵がなだれ込んでくる。
その背後には歩兵の大軍が続き、崩れた前列の兵を無視してホランド隊本陣目がけて殺到してきた。
乱暴すぎる用兵だ。ホランドはその様子を見て舌打ちした。
あれでは戦列が伸びすぎて側面に大きな隙を晒すことになる。
まるで損害など無視するかのような猛進撃。
敵の狙いは、決まっている。
こちらを戦場の端までこのまま押し込む腹だ。
そしてジュリアン隊とこちらの間隙が大きく開いたのならば──。
ナプスブルク軍本陣、ブラッドフォード卿の隊が丸裸となる。
***
「閣下!」
ジュリアン隊とホランド隊が敵に抑えられ、その隙間を射抜くように入り込んできた敵の第三部隊を見て、ライルは声をあげた。
しかしライルの予想とは異なり、ロイはその敵の姿を見ても動じることはなかった。
「カルティエ、敵が来る。おそらくはこちらとほぼ同数。殺れるか?」
「この生命に代えても」
「ならば私も直隷と共に剣を抜こう。であれば死なずに済むかもしれないな?」
カルティエは「はっ」と思わず笑いをこぼすと、「閣下、ありがたく」と言い、兵を連れて敵に向かった。
敵の突撃隊が、カルティエ率いる二千の歩兵隊に身体ごとぶち当たる突撃を見舞わせる。
するとカルティエの歩兵隊はその強靭な肉体を地面に生える巨木のようにして構え、その衝撃を正面から受け止めた。
突撃の勢いを殺されたことを知った敵兵は剣を振り上げて斬りかかり、乱戦が始まる。
カルティエはその乱戦の真っ只中で敵を斬り捨てながら、こう叫んだ。
「はははは! あの摂政、この私をまるで十数年来の家臣のように使うではないか!」
カルティエ隊が敵侵入部隊の初撃を殺した。
だが後続のさらなる部隊がその両翼に展開し、カルティエ隊を包み込もうとしている。
「ライル、献策しろ。私を一人の将校として見た場合、どうすればカルティエを勝たせられる」
「……! はい、このままではカルティエ殿は左右から挟撃されます。ここは閣下と私で直隷兵を率いて両翼を抑えるべきです。ですが、危険──」
「直隷第一から第三隊は私に続け」
ライルは制止の言葉を吐きかけたがロイは耳を貸さなかった。
その様子を見たライルはざわつきを覚える。
妙だ。この人と出会ってからまだ日が浅いが、相当に慎重な人物だという印象を受けていたのに。
今は冷静さを取り戻しているように見えるが、娘が拐われたことでやはり心中激しく動揺しているのだろうか。
大事にならねば良いが。ライルはそういった不安を、戦いに意識を向けることで心の奥へ押し込めた。
ロイは直隷兵およそ三百名を引き連れてカルティエ隊の右翼に向かった。
敵は小盾と剣を備えた突撃兵。このまま正面からぶつかるのが正しいか、それとも停止して迎え撃つのが良策か。
「ランゲ、君ならどうする」
ロイは傍らに侍る将校に尋ねた。
ランゲはランドルフ麾下の兵卒から将校に抜擢された。少なくとも自分よりは戦に通じている。そう判断したからだった。
ランゲは一瞬驚いた顔を浮かべた。それを見たロイはその心中を察して言葉をかける。
「大丈夫。もし失敗してもこれは私の責任だ。だから自由に戦を描いてくれ」
「はっ!」
ランゲは口元に指をあてて考え答えを述べる。
「……私には将軍方のような戦術は思い描けません。ただ、勝利を収めた戦でこのような時に行ったことは一つだけです」
「それは?」
「何も考えが浮かばなくなるほど雄叫びをあげて目の前の敵に体当たり、です」
ロイは「はっ」と笑い声を上げた。
「勝てば君はライル以上の軍師だ」
照れるような顔を浮かべるランゲを尻目にロイは兵たちに命じた。
「全軍突撃! ただ目の前の敵を斬り伏せろ! 立っている敵がいなくなれば我らの勝利だ!」
兵たちがロイの気迫に呼応するように叫び声を上げる。
肉体と金属がぶつかり合う音とともに乱戦が始まった。
この期に及んでも策を求めるのは、己が不確かな証拠だ。
兵たちのように私も覚悟を決めろ。
剣を振るい、敵を屠る。それができなければ、死ぬだけなのだ。
気がつけばロイは叫び声をあげていた。
剣を握る手の熱だけを感覚に覚えて。
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