第34話 ダカン砦の攻囲

「ロイ、お腹すいた」


「もう少しだよ、アビー」


 アビゲイルが不満そうな顔をしてロイの右足にしがみつく。

 ロイはそれには目をくれずに、目の前に立ち塞がる敵の城砦を睨んだ。


 ダカン砦。元々はアミアン王国がその領土の南に対ナプスブルク防衛拠点として築いた城砦だった。


 ナプスブルク、フィアットの両軍はこの砦を前にして陣を敷いた。


 野営のための設備の大半を焼かれたため、兵たちの大半は炎天の下身体を横たえる他なく、新兵を中心に疲労の色が見え始めている。


 突発的に戦が始まることに備えてランドルフらが指導を行ってはいるが、兵たちの中には鎧を脱ぎ捨てる者も出始めていた。


「子供連れで戦とは、貴国の摂政は随分と家族思いのようですな。それに娼婦を参謀に抱えるとは、随分と優しいお方だ」


 ホランドはロイに聞こえないように、そんな皮肉をランドルフに対して呟く。


「……摂政とその娘の関係には、どこか不思議なところがあります」


「というと?」


 ホランドに問いにランドルフは答えなかった。


 摂政はあの十歳の幼い娘を愛しているようには見えない。そればかりか、何か妙な配慮を見せることがある。まるで娘を恐れているかのように。だが重要な場ではあの娘を必ず側に置く。その理由がわからない。


 その違和感をここで言葉にすることはできない。それはホランドに言うべき事柄ではなかった。


 ランドルフは答える代わりにこう言った。


「さて、私の思い過ごしかも知れません。年頃の娘とは不可解なものです」


「ランドルフ殿、あなたにも娘がおありなのか」


「……娘が七人と、孫娘が十一人おります」


「なんと」


 ホランドは思わずランドルフに似た十八人の女を想像し、吹き出しそうになるのをなんとかこらえた。


「それはまた、まるで花園のようですな。貴殿の家庭は」


「女ばかりの家にいるというのも、苦労があるというものです」


 ホランドは今度こそ耐えきれずに「ぶはっ」と唾をランドルフの横顔に吹きかけた。



  ***


 狭い陣幕の中に諸将が集った。


 フィアット軍からは大公ディアノ・バルディーニの他、参謀長のマリノ・ジレッティ、将軍であるレツィア・デ・ルカとエリオ・ジラルディーノの姿もある。


 ロイはバルディーニ大公と肩を並べ、諸将を見やっていった。


「敵の主力軍は王都であるアミュール城に篭城の構えを見せている」


「やはり我らの糧食や攻城兵器を焼いたのは、そのためでしたか」


 ランドルフが言った。ロイは「その通りのようだ」と返事をして、話を続けた。


「そして、あのダカン砦にはおよそ二千程度の兵が籠り、抵抗の構えを見せている。諸君の意見を伺いたい」


 フィアット軍の参謀、ジレッティが声を上げた。


「あの砦は小規模とはいえ、石垣を積み上げた堅牢な作り。敵は少数ですが正面から攻めるのは得策ではありません。攻城兵器は我らフィアットも先の夜襲で損失を受けており、大規模な運用は不可能です」


 バルディーニ大公が口を開いた。


「ではどうする、砦を囲い干上がるのを待つか?」


「それではこちらの兵糧が尽きる方が先でしょう。糧食はナプスブルク軍同様、こちらも被害を受けております。だから三千の兵をここに残し、主力は砦を迂回してアミュール城を目指すべきです」


「だがそれではただでさえ敵より少ない兵力がさらに減ることになる。敵の主力が打って出たとき、果たしてそれを破れるか」


 バルディーニの言葉にロイも心の中で頷きを示した。

 ナプスブルク王都とアミュール城の中間に位置するこの砦を得れれなければ、本国からグレーナーが連れた補給部隊がこちらにたどり着けなくなる。


「ですがそれしか手はありますまい」


 ジレッティが渋い面でそう締め括った。その様子を陣幕の隅から楽しそうにアビゲイルが見ている。


「ダカン砦は陥す必要があります」


 そう言ったのは新たな参謀、ライルだった。


 この手入れをしない乱れた髪をした若き女性参謀に対し、周囲の諸将は好奇の目を向けた。あからさまに侮蔑の眼差しを向ける者もいる。


「それは何故かな? ええと、ライル殿?」


 ジレッティが問いかける。その語気にライルに対する侮りが含まれている。


 ライルは彼らの視線や言葉を気にしない様子で、淡々と話を続けた。


「我々がアミュール城を陥すことは不可能だからです」


「それはまた、随分と弱気ですな」


「理由は三つ。一つは糧食の問題。二つ目はセラステレナ本国からの援軍の存在。我々はこれらの理由により、敵を野戦で撃滅する必要があることはすでに周知の通りです」


「だが敵は城に籠る選択をした。計画は変更すべきだ」


「変更できないのが三つ目の理由です。敵王都の攻城戦に我々は勝つことができない」


「なんだと」


 気色ばんだのは大公バルディーニだった。


「我らの実力が敵に劣るというのか」


「その通りです、大公殿下。少なくとも攻城戦において、我々は敵よりも弱いのです」


 ライルのこの言葉は一同の怒りを買った。特に侮辱されたと感じフィアット勢の表情はきつく、殺意を見せている者もいる。


 しかしライルは極めて冷静な態度のまま続けた。


「我々の兵の多くは志願、または徴集されたばかりの新兵です。それに傭兵。彼らは金のために働きますが、それゆえに死ぬとわかっている戦はしません。これは当然のことです。我らの中で、劣勢の状況下でも敵と互角に戦える兵団は、大公殿下の正規軍、ランドルフ殿の古参兵、ロッドミンスター軍、パッシェンデール軍。合わせて六千に満たない。数で勝り、万全の大勢で迎え撃つ敵の城砦を陥すことはできません」


「ならばどうするというのだ」


 ジレッティが苛立ちを露わにして言った。


「誘い出すのです。敵を王都の城砦から。活路があるとすればその方法しかありません」


「それができれば苦労はしない!」


「できます。敵が城砦に篭ったのは我らの糧食と攻城兵器を奪ったが故。城に篭ることで勝利が確定したと信じたがためです。しかし、本来篭城戦は下策。何故だかわかりますか?」


 ライルは冷ややかな目で一同を見回す。ジレッティは当然だと言わんばかりに問いに答えた。


「それは城に篭ることで敵に領内を自在に動かれてしまうからだ。だが我々が主導権を得たとしても田畑や村に食料はすでに無く──」


「しかし民はそこにいる。そうですね?」


 ライルは少し悪戯っぽい笑みを浮かべて言った。


「旧アミアン王国の民にとってセラステレナは侵略者。当初こそセラステレナの宗教に感化された者も多くいましたが、彼らのほとんどはその階級の最下層に留められ、地獄の日々を送っています。今や彼らにとってアミアン解放を掲げる我らは希望なのです」


「……つまり民を味方につけると?」


「その通り」


 ライルが再び悪戯を企む少女のような笑みを浮かべる。


 可愛いな、畜生。

 側で様子を見ていた血鳥団のグレボルトは股間が熱くなるのを感じていた。


「民を味方につけ、領内に反乱を起こすのです。アミュール城を陥落させる必要などありません。領内に反乱が起これば敵将ヨハン・クリフトアスはこう考えます。本国からの援軍が到著したとき、彼らにこの無様を見せるわけにはいかないと」


「だがそれは推測に過ぎない。敵将が慎重な人物であれば、そのまま篭城する可能性もある」


「セラステレナは国教のもと厳格な階級制度を取る国家です。この実体は極めて能力主義に偏重しています。評価を得ることで上の階層へ上がり権力と自由を得られる反面、失態を犯せば直ちに下層に落とされる恐れがある。事実セラステレナでは将クラスの人間が最下層に落とされた例がいくつもあります。慎重な男であるほど、領民の反乱は見過ごせないのです」


「……だがどうやって民を説得する。我々に時間は残されていないのだぞ」


「そこでダカン砦を包囲する必要があるのです」


「何?」


「ダカン砦に篭るのはセラステレナの正規軍ではありません。そのほとんどが旧アミアン王国の兵士。彼らはセラステレナに吸収されたあと、半ば無理やり軍務に就かされています。その理由は家族が人質に囚われているためです」


 いつの間にかライルの言葉に一同が聞き入っていた。すでに彼女を侮蔑の目で見る者はいなくなっている。


「彼らの家族は村々にいますが、セラステレナの兵士に見張られています。彼らが反セラステレナに立ち上がれば、砦の兵たちは我々と戦をしているどころではなくなります。また、兵士の家族にとっても包囲されている兵士たちを救うためになるのなら、我々へ協力を望むことでしょう。つまりこの事態は我々にとって都合が良いのです」


「砦の兵士たちの家族が人質に囚われていることを、利用するということか」


「はい、ですから我らは砦を包囲しつつ、別働隊を動かします。まずは血鳥団」


「はえっ」


 グレボルトは股間を熱くしたまま妄想に耽り始めていたところを現実に戻されたため、妙な声を出した。


「あなた方は単独で敵領内の奥深くに侵攻し、敵の輸送隊を襲撃してください。村々から徴発した糧食をアミュール城へ運ぶ隊列を襲い、その積荷をことごとく焼き払うのです」


「……焼いちまっていいのかい?」


「はい。食料を得た我々がそれを焼き払うことでセラステレナはこう思うでしょう。敵には長期戦を行える能力を復帰させる目処があり、その戦いに勝算があるのだと」


 そしてライルはジュリアン・ダルシアクとホランド・ガスケインに目線を移して言った。


「血鳥団が敵の目を欺く間、ダルシアク殿、ホランド殿の両名には村人の解放を行っていただきたい。セラステレナの主力は城に篭城中。村に駐屯する少数の兵士があなた方を見ればまともに戦おうとはしないでしょう」


「ふむ……」


 ホランドが渋い返事をする。しかしジュリアンはロイの方に身体を向けると跪き、こう言った。


「やらせてください! 先の我らの失態。なんとしてもここで挽回したいのです」


 ライルはバルディーニ大公を見ると、こう言った。


「フィアット軍からも一隊いただきたい。多くの兵は必要ありません」


 大公は考え込むようにして押し黙った。


「摂政閣下」


 ライルはロイを見つめて言った。


「グレーナー殿が本国から補給部隊を連れてここにやってくるのに、どれくらいかかりますか」


 これまでの様子をニヤニヤと上機嫌に見守っていたロイは、その問いを受けて一層気分が良さそうに答えた。


「あと半月といったところかな」


「ならば住民の反乱が起これば、半月のうちにセラステレナ軍はこちらに決戦を挑んでくるでしょう」


 押し黙っていた大公バルディーニがようやく口を開く。


「村人が決起するまでこの砦を包囲する、か。ナプスブルクには一週間分の食料しか残されていないのではなかったかな?」


 少し意地悪な顔を浮かべる大公に、ロイが言った。


「確かに。ここは大公殿下に食料のお恵みを乞わねばならないようです」


 大公はそんなロイを見ると、「ふん」とまんざらでもない様子で鼻を鳴らした。


「マリノよ」


 大公に名を呼ばれたジレッティが「は、はい」と返事をした。


「我がフィアット軍参謀長の最終的な意見を聞きたい」


 大公に促され、ジレッティは困惑したような顔を浮かべた。

 彼はしばし考えたあと、大公に深々と頭を下げ、こう述べた。


「……恐れながら、ライル殿の策は道理に適っているものと存じます」


「だ、そうだ。我らからはエリオの隊を出そう」


 大公はロイへと顔を向けると、そう笑顔を見せた。


 それを受けてロイも微笑みを返す。そしてロイは諸将に告げた。


「策は決まった。本隊はダカン砦の包囲に移行する。ジュリアンとホランド殿、ジラルディーノ殿は別働隊としてアミアン人の解放。血鳥団は輜重隊の襲撃。全員、始めるぞ」


 場の一同が各々に返事をした。


 ライルの顔は、あの日に失った生気を取り戻しつつある。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る