第18話 侵攻計画
夕暮れの光が暖かく射し込む摂政の執務室に、中央の卓を囲うようにしてナプスブルク王国現在の閣僚ともいえる面々が集った。
筆頭政務官マルクス、将軍ランドルフ、将軍ジュリアン・ダルシアク、参謀グレーナー。そして摂政の娘アビゲイル。彼女は重鎮たちの後ろの椅子に一人腰掛けて、チーズの乗ったタルトを美味しそうに頬張りながらニコニコと彼らを見つめている。
血鳥団のグレボルトは傭兵の身であるためこの会議には参加していない。おそらく手下と共に娼館あたりへ繰り出しているのだろうと皆思っている。
ロイは眠そうな目をこすりながら、まずは状況を整理しようとした。
「グレーナー、まずはセラステレナの軍事力についてこれまでわかっていることを教えてくれ」
「はい。セラステレナ教国はご存知の通り、併合した旧アミアン領とその北方にある本国を支配しています。保有する軍事力は旧アミアン領内の兵が少なくとも一万五千。そして本国にはおよそ一万。さらに緊急事態であれば徴兵によるさらなる動員が可能です」
「なるほど、対して我が方は訓練中の新兵を加た正規兵が二千五百程度。これにダルシアク殿率いるパッシェンデール勢が一千五百。血鳥団の二百を加てもなんと五千に満たない」
侵攻のための会議は始まりからして重苦しい空気に包まれる。中でもジュリアン・ダルシアクが驚きを隠せないといった顔を浮かべている。その内心はグレーナーにはわかる「一万のナプスブルク軍とは嘘だったのか」だ。
しかしこうしてナプスブルクにやってきてしまった以上、ジュリアンは怒ってパッシェンデールへ帰るわけにもいかない。軍勢を率いたままここにたどり着くだけでかなりの危険を冒していたからだ。歯噛みをするように彼は黙り込む。
「その、やはり難しいのではないでしょうか?」
マルクスがロイの顔色を慎重に伺うように言った。しかしロイはこう答える。
「難しいがやはりやるなら今だ。時間が経てば旧アミアン領の混乱をセラステレナは完全に鎮圧する。つまりパッシェンデール地方に籠る抵抗貴族たちの力を得られなくなり、敵は本国から十分な増援を得た上でナプスブルク攻略に乗り出すだろう。そうなれば勝ち目はない」
「であれば、やはりフィアットですか」
グレーナーが言った。ロイは静かにうなずく。
「そうだ。フィアットを動かす必要がある。彼らは昨今得た大量の傭兵団を保有し、七千前後の兵を動員する力を持っている。我々と合わせれば一万二千弱。短期決戦に限れば勝機はある」
その言葉にランドルフが地図に落としていた顔を上げて疑問を投げる。
「フィアットに兵を出させることができると?」
「どこかの誰かがフィアットで商売をしてくれたおかげで、セラステレナの兵がフィアット国境に集まっている。先日小規模だが衝突も起きたようだ。旧アミアン領の分割統治と勝算さえ提示できるなら見込みがある」
ジュリアンが再び苦い顔をする。彼にしてみれば祖国にナプスブルクの兵が入るというだけでおぞましいというのに、フィアットにまで踏み込まれるとはという思いがある。
「しかしそれでも兵力の差は大きくありますな」
ランドルフが懸念を示す。ロイはその通りだと同意してから言った。
「セラステレナは我々が自分たちに対抗し得る力を持っているとは思っていない。そこに油断があるはずだ。我々は開戦と同時に短期間で旧アミアン王国の都、アミュール城を陥し、アミアン解放を全土に宣言する。そうなれば日和見をしている他のアミア貴族たちもこちらに付く。敵が本国で兵を動員して到着する前にそれができれば、我々の勝利だ」
「電光石火の戦というわけですか」
ランドルフの呟きに対して、皆の表情は重苦しいままだ。アミアンの王都に至るまでにはそれを護る城がいくつもある。それらを首尾よく陥せたとして、最も守備が厚いであろう敵の都アミュール城をはたして電光石火の如く陥落させられるのか。
「……敵の本軍が北方からやってくるまで、どれくらいの猶予があるのでしょうか。本軍がやって来たら、父上のいるパッシェンデールが……」
ジュリアンは故郷に残している父を慮った。戦える者の多くはジュリアンが連れてきているから、今のパッシェンデールを守る兵は少ない。
「セラステレナ本国が大兵を動員して戦場に到着するまで、アミアンへの距離と過去の動員例からみるに早くて二ヶ月。遅くとも三ヶ月以内にはやってくるでしょう」
グレーナーが卓上の地図を指でなぞりながら説明する。遅くとも三ヶ月。呑気に攻城戦をやっていては到底間に合わない。
ロイは眠気覚ましのティーに口を付けながら彼らの疑問に答えるように言う。
「そう、戦端が開かれてから、我々に城を悠長に囲っている暇はない。であるならば取るべき戦術は一つ。敵野戦軍の殲滅だ」
「つまりアミアン領内の敵軍をどこかに引きずり出し、叩くと」
「その通りだランドルフ殿。そうして領内の支配力が低下すれば、セラステレナが制圧して間もない各城を明け渡させるのは容易い。むしろ我々が敵よりも少数であることはこの策において利点となる」
「……こちらが大軍であれば敵は籠城するでしょうな。逆に野戦で殲滅できればアミュール城は労せず手にできるでしょう。しかしそれは敵よりも寡兵で野戦に挑むという賭けに勝たねばならないということです」
「不安か? 将軍」
「我軍の大半は新兵です。またフィアットの軍も大半が傭兵、過信はできません」
「グレーナー、血鳥団と共に戦ってセラステレナ軍をどう思った?」
「兵卒の士気はさほどではありません。ですが指揮官の命令にはよく従っているようでした」
つまり、命令違反に対しての厳罰を恐れているということだ。そのような敵を瓦解させられる手が、何かあるはず。
「ランドルフ殿、あなたがまた敵将の首を刎ねてくれれば、事はうまく運びそうだな?」
「……御冗談を、摂政」
そうそう簡単にできるものではないというランドルフの抗議に、ロイは「冗談だよ」と笑って返した。
「ともかく、準備を始めてくれ。それからグレーナー、フィアットとロッドミンスターの第二王子に使者を出して欲しい」
「ロッドミンスターのウルフレッドに?」
「そうだ、借りを返してもらう」
ロイは静かに目を閉じた。
ウルフレッドは兵を出さざるを得ないはずだ。大した数でなくとも今の自分には力になる。
この戦いは確かに賭けだ。もし敗れることになれば全てを失う。だが、随分と状況は変わった。数ヶ月前、国を乗っ取ったばかりのころに比べればはるかにマシといえる。
だからこの戦いにも勝てるはずだ。今の自分ならばできる。そして全ての障害を乗り越えて事を成さねばならない。自分にはその理由がある。
するとロイは自分の中の暗く静かな心が、ゆっくりと高揚していくのを感じた。自信。それがわき起こってきているという感触。
そうだ、自分ならば成せる。ロイがほくそ笑むように顔を歪めたとき、アビゲイルが言った。
「ねえ、ロイ」
その言葉にロイは凍りつくようにして我に返った。場の一同もこの十歳の少女に注目を集める。
「お
この少女の不満に、筆頭政務官のマルクスはにっこりと媚びた笑みを浮かべ、なだめるようにして言う。
「おやおや、育ち盛りですもんねえ。わかりました、それじゃあ厨房に言って──」
アビゲイルはマルクスの言葉を「シャラップ」と発音良く遮り、射るような目線をロイに向けた。
そして美しい黒髪をかきあげ、まるで遊女のように艶めかしい微笑みを浮かべると「お願いね、パパ」と言った。
ロイの中で猛り始めていた何かは、再び暗黒の中に沈んで見えなくなっていく。そのロイの気持ちを理解し得る者は、今はまだ誰もいない。
その日の夜に、フィアット、そしてロッドミンスターへ、使者がたった。
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