第2話 登用

「この、奴隷が」


 末席にいた若い臣下が言った。


「どこまで王家を侮辱すれば気がすむのだこの奴隷め。貧民の分際が突然得体の知れない金を手にして、あろうことか我が国を金で買おうなどと。いったい何者の差し金だ」


 直ちに衛兵たちが歩み出て、若い臣下を槍で制止する。この衛兵は事前に金で買ってある。


 摂政は困った顔を浮かべて、答えてやる。


「元、奴隷だよ。今の私は違う。それにこれは紛うことなき私の意思だよ」


「おんなじだ。卑しいやつめ。何を企んでいる」


「企むというか、必要なんだ。私にはこの小さな国が」


「なに?」


「いるのさ、こんな潰れかけの小国でも私には絶対に。少なくとも君たちの王様よりは必要としている」


「この国を金で買ってどうするつもりなのだ、貴様」


「どうするも、私は自分の娘と穏やかに暮らしたいだけさ。そのためには相応の努力が必要だとは思っているが」


「そんなことのために?」


「と思うかも知れないが、それが私の全てなんだ。ついでじゃないが、そのためにも国は再建するし守るつもりだ」


「馬鹿な……」


 若い臣下は信じられないといった様子で沈黙した。


「うん、まあ、君はクビだ。衛兵、連れて行け。さあ他にいないか? 私は役に立てるってやつだ」


 静まり返る王の間。その沈黙を破ったのは、摂政のすぐ隣。つまり王の間に案内してくれた、従者だった。


「よろしいでしょうか」


 頬のこけた痩せぎすの男。見るからに神経質。しかし目には暗く鋭い知性が宿っているように見える。いい顔だ、と摂政は思った。


 するとマルクスが慌てた様子で声を張り上げた。


「控えろグレーナー。書記官ごときが発言して良い場ではないぞ」


 摂政は邪魔なものをどけるように手を払い、グレーナーと呼ばれた男の発言を促す。


「構わない。どうぞ」


「グレーナーと申します。書記官を務めております。私を参謀にお加え下さい」


「グレーナー、君を登用すれば私の役に立つと?」


「はい。すでにお役に立っております」


「詳しく聞こう」


「あなたにこの国を売ったのは私です。摂政」


「なんだと」


 そう大声を出したのは老将ランドルフだった。だがグレーナーは当然の反応だとばかりに、意に介せず話を続ける。


「国王には、このままの状況が続けば元鉱山労働者や元繊維業を営んでいた失業者らが反乱をする恐れがあると伝えました。さらには西のフィアットと北のセラステレナが我が国へ侵攻する準備をしつつあると。反逆者の手に落ちても他国に敗北しては王陛下のお命はない。ならば実権を他者に譲り、その者に衆目を集め、何があっても責任を取らせれば良い。そう申し上げました」


「おのれ、逆賊め」


 ランドルフが腰から剣を抜き、今にもグレーナーに斬りかかりそうな構えを見せた。


「世迷い言で陛下を謀りおったか」


「いいえランドルフ様。世迷い言などではありません。全て事実です。先月も城下で暴動が起こり死者を出したばかりではありませんか。それを鎮圧する兵達にも動揺が見えるほど、多くの者が彼ら失業者に同情的です。さらに隣国の動向についてはあなた様はよくご存知のはず」


「国難のときこそ奮起するのが臣下の務め。それを貴様、よりにもよって国に縁もない者に売り渡すなどと」


「陛下は望外の金を得られると喜んでおられたではないですか。彼にとって国家などその程度のものだったのです。私達が忠義を尽くす甲斐などない。それに我らの内の誰かが王に代わって権力を握れば反乱でしょうが、縁もゆかりもない者なら反逆ではありません」


「貴様」


「下がれランドルフ。私はそれを望んでいない。あなたの部下数百名の運命は私の下にあることを忘れるな」


「ぐ……」


摂政に言われ、顔に青筋を立てたままランドルフは剣を収めた。だがその目はグレーナーを射抜くように睨みつけたままだった。大臣マルクスにいたっては笑顔のまま凍りついている。


「それで、グレーナー。つまり君は自分のおかげで国を得られたのだと、そう言いたいのか」


「参謀にお加えいただけたのなら、それ以上の成果を納めてご覧にいれます」


「良いだろう。グレーナー参謀。ならば早速君に仕事を与える」


 摂政は右手の指を立てると、それを下へ向けた。


「この椅子はもはや玉座ではない。これの買い手を見つけよ。できるだけ高くだ」


「国家運用の資金になされるおつもりですか。ですが、その椅子にはあてにできるほどの価値はありません。市場価値としては金百万もいくかどうか。それに旧主の持ち物となれば買うに勇気のいる代物ですな」


「国を売れたのだから、椅子を売るくらい容易いだろう。グレーナー」


「……御意」


 グレーナーは一礼すると、踵を返して王の間から出ていった。


「動きの早い男だ。さて」


 摂政は目の前にいる一同を改めて見回す。


「まだいるか? そうだな、自信がないのならやめておいたほうが良い」


 摂政の言葉に顔を上げる者はいなかった。


 このあたりだな、と摂政は思った。もはや登用するに足る人物は出尽くしたと見ていいだろう。三名。筆頭政務官マルクス、将軍ランドルフ、参謀グレーナー。できるならば有能な内政官が一人いたらと思ったが、摂政は苦笑した。そんなものがいればこの国はこうはならなかったろう。


「では閉会する。明日からの働き口がないという者はあとでグレーナーに申し出ろ。日雇いの口を与えてやる。もちろん実績次第では登用もしよう」


 摂政は困惑する元王国臣下達を見回し、言い放った。


「それができる者がいるようにも思えんが。解散」


 放心したような様子で、元臣下達が退出していく。


 その流れを逆行するようにやってきた者がいた。それは小さく華奢な人影。


貴族用のドレスに着飾った少女が小走りで駆けてくる。十歳ほどだろうか。透き通るような白い肌、暗い色をしたしなやかな髪は照明に照らされ輝く。摂政の姿を捉えると、やや目尻の上がった両目をいっぱいに開けて、彼女は嬉しそうに笑った。


「ロイ……!」


少女は摂政をそう呼んだ。


ロイ・ロジャー・ブラッドフォード。それが摂政の名だった。だがそれも生来の名ではない。かつて奴隷の身に落とされた時に名は奪われた。そして数奇な出来事に巻き込まれて再び世に解き放たれ、歳もまもなく三十に差し掛かろうという時、自身でこの名を付けた。


ロイはマルクスやランドルフが目を点にしていることに気づき、少女になだめるように呼びかけた。


「アビー。王の間で走るもんじゃない」


「でもね、ロイ。こっちに来てから全然相手にしてくれないんだもの」


「アビゲイル」


「……ごめんなさい」


 アビゲイルと呼ばれる少女は、少し拗ねた素振りを見せ、謝った。


「わかればいいんだ。アビー、お腹が空いたろう? 厨房に行くといい。お前の好きな宝石魚の料理を作らせているところなんだ。とびきりのやつだぞ」


「本当? ロイは食べないの?」


「もちろんすぐに行く。だから先に行って待っていて」


「うん!」


 アビゲイルは来た時と同じように小走りで王の間から出ていった。

 その様子を見ていたマルクスが、驚きを隠せない様子で言った。


「妹……ではなさそうですな。ご息女でありますかな?」


「まあ、そうだ」


「何だか、貴方様の意外な一面を見た気がします」


 マルクスはそう言って、笑いながら頷いた。だがそれを聞いたロイの表情が凍りついたのを見て、笑うのをやめた。


 そしてマルクスはぞっとするような寒気を感じた。

 ロイは小さく、ぽつりと呟くように言った。


「可愛い? 憎んでいるさ。殺したいほどに。あれは私の呪いなんだ」


もし願いが叶うなら、それは今すぐにでも。


ロイの傍らに立つマルクスとランドルフは、自らが仕えることになった主の深淵への入り口をこの時見たように思った。

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