第210話 もっといじめて。そしたら殺してあげるから

『これで、やっと決着ついたのかしら?』


 ミスリードが虚空に佇立するリュウヤに目を向けたまま呟くと、まだだよと緊張した面持ちのルシフィが近づいてきた。

 ルシフィは気を失っているアズライルの前に来ると膝をつき、横たわるアズライルの負傷箇所に手をかざした。治癒魔法のやわらかな光が、アズライルの傷を癒していく。

 傷を治しながらルシフィは空を見上げた。紫や紅の色を帯びた不気味な雲はまだグリュンヒルデを覆っている。


『聞こえてきた話からすると、母上もプリエネルもあのエメラルドをエネルギーにしている。仕組みは同じはず。プリエネルの時はあの黒い雲が去っていったのに、そうじゃない。おそらく母上はまだ生きている。リュウヤさんもわかっているから、ああやって警戒している』

『エリシュナ様は、まだ生きていらっしゃる……か』


 ルシフィに釣られるようにして複雑な表情をしたまま、ミスリードも空を見上げた。

 エリシュナの行為は乱心といった類いで、いかに魔王の后であってもムザムザと討たれる道理は無い。しかし、リュウヤの強大な魔法でもエリシュナが死ななかったことにがっかりしている自分も受け入れがたく、感情の整理ができないでいた。

 考え込むミスリードだったが、ルシフィの安堵した声が思考を中断させた。


『とりあえず、アズライルさんの傷は治せたよ』


 他の人診てくると言ってルシフィは立ち上がると、エリシュナが落下した辺りに漂う濃い噴煙を注視しながら、アイーシャたちのところへと歩いていった。

 やはりリュウヤ・ラングは尋常ではないとルシフィは思う。クリューネ自身でさえも持て余し気味だったバハムートの力を、リュウヤは存分に発揮している。また、人間の身体では限界があったが、バハムートの力はリュウヤの技を見事に体現している。


『あれが……、リュウヤさんの本当の力』


 それも、一瞬の間に垣間見せただけに過ぎない。口にしてみて、ルシフィは改めて震えを起こすようだった。


『う、うむむ……』


 呻き声がし、ミスリードが振り向くとアズライルが顔をしかめている。ルシフィの魔法効果がさっそく表れたらしく、やはり大したものだとミスリードはアズライルを見守っていた。

 完全に気を失っていたアズライルも、温かな光によって、自分の意識が深い闇の底から引き揚げられていく感覚があった。


『あ、アズにゃんやっと起きたのね』


 聞き覚えのある声に促されゆっくり目を開くと、漆黒の雲を背にして、安堵の表情をするミスリードがそこにいる。

 化粧が崩れた男の顔は、物凄いことになっている。アズライルはそんなミスリードを、しばらくの間、神妙な面持ちで見つめていた。


『ああ、良かった。さすがルシフィ様。抜群の魔法効果ね』

『……そうか』


 胸撫で下ろすミスリードに対し、アズライルは感に堪えない様子で、両目から糸のような涙をスッと流していた。まだ意識が戻りきっていないのか、その瞳に力がない。


『武人として生きる以上、行き着く果てはあの地かと覚悟はしていたのだがな』

『……?どういう意味よ』

『実際に地獄かと思うと、つらいな』

『何よ、失礼ね!』


 などとミスリードがギャンギャンと喚く間、リュウヤはエリシュナが落下したはずの場所を見下ろしていたが、煙が風に流されると慎重に降りていった。

 破壊神と名乗るだけあって、エリシュナの特殊な肉体によって、辺りは砕けた岩だらけで滅茶苦茶になっている。

 エリシュナの居場所はすぐにわかった。

 瓦礫に埋もれた状態で、エリシュナは大の字になって倒れていた。身体はぼろぼろなのに、胸元のエメラルドは傷ひとつつかずに輝きを放っている。

 上空からでも、その光は見逃しようもない。


「あれだけの魔力でも無理か」


 リュウヤは倒れるエリシュナをしばらく見下ろしていた。リュウヤにしてみればエメラルドを含めた攻撃だったが、傷ひとつついた様子がない。

 静かに人差し指と中指二本を立て揃え、指に気を集中させるとほのかに光を帯びた。そして、リュウヤは槍を繰り出すように鋭くエメラルドを突いた。だが、エメラルドに触れる直前、電流のようなものがはしり、リュウヤの突きを弾き返した。


「やはり、剥き出しにしているのは伊達じゃねえな」


 エメラルドは特殊な結界に守られている。“竜眼”で魔力の流れは掴めているが、その隙は針の穴よりも小さいようだった。練り上げた気を一点に集中できるものでないと、魔石本体に触れることも難しいように思えた。


「こういう時は、“弥勒”じゃないと無理かもな」


 エメラルドごと破壊しなければならない。どの剣や刃物でも良いというわけにはいかない。頼れるのは、やはり“弥勒”しか思い浮かばない。

 改めてシシバルとティアに無くした刀を探して貰おうと二人の姿を探した時だった。強烈な殺気が生じると同時に、ぐいっとリュウヤの左手首を掴む感触があった。


『何してくれちゃってるのかなあ。リュウヤちゃんは……』

「エリシュナ……!」


 素早く手首を巻いて抜き技で離脱したのだが、エリシュナは跳ね起きて、傍に落ちていたキーロックを拾うと横殴りに杖を振るってきた。


「ぐっ……!」


 かわしきれずに腕でブロックすると、リュウヤは押し流されるように飛びさがって間合いをとった。痺れが残るほどの重い一撃だった。エリシュナは皮膚が炭化したままで生きているのが不思議なほどだったが、それを感じさせないほどの威力が今の一撃には籠められていた。


 ――さっきより力が増している?


 まだ痺れが残る左腕擦りながら、リュウヤはそう感じていた。


『キャハハハハ!!リュウヤちゃん、もっと遊びましょうよ!!』


 けたたましく不気味な笑い声をあげるエリシュナが、キーロックを振り回しながら突進してくる。そのスピードは倍近くになっていた。異様さは格別なものがあったが、まだ今のリュウヤには充分対応できる。

 懐に潜りこむと素早く連打を浴びせるとあっさりと動きが止まり、ふらついたところを固めた両拳をハンマーように叩きつけて、エリシュナを打ち落とした。頭部をそのまま地上に落下するかと思いきや、急に反転し勢いよく躍り上がって、炎刃を点したキーロックで、ごうと唸りをあげて斬りかかってきた。


「速いけど……!」


 炎刃に対し、気をまとった両腕で正面から受け止めると、重い衝撃が全身に伝わってきた。力もまた更に増大しているらしい。

 しかしとリュウヤは冷静だった。総じて力は自分が遥かに勝っていると、心に余裕がある。

 ぐんとキーロックを力ずくで押し返すと、エリシュナの小さな身体がよろめいた。その隙にリュウヤは一瞬で懐に飛び込んだが、エリシュナは疾風のような動きに、まるで反応が出来ていないようで隙だらけだった。


「この距離なら、“臥神翔鍛リーベイルで”!!」


 手のうちから発した炎の竜が、リュウヤの手元から一気に放たれ、エリシュナの姿は火炎に紛れて見えなくなってしまっていた。

 魔法の炎によって大気の塵や埃が焼かれ、魔法効果が消えると濃い煙が空に充満した。

 あの魔法をまともに浴びては到底助からない。

 地上の誰もがそう思って注視していると、耳障りな甲高い笑い声が響いて戦士たちは慄然とし、或いは絶望した。


『リュウヤちゃん。凄いわよこの身体』


 煙の下から現れたエリシュナの姿に、呻き声と驚きの声が混ざり、ざわめきとなってグリュンヒルデに満ちた。エリシュナの皮膚はただれて炭化し両足は無くなっている。顔の半分は筋肉や眼球が露出している。右上半身側が人の形を保っているのはキーロックのおかげなのだろう。


「う……」

『セリナさん、しっかり!』

「あ……すみません、ルシフィ様」


 血の気を失ってふらついたセリナに気がつき、そばにいたルシフィが受け止めると、セリナは申し訳ありませんと謝った。無理に立たせておくわけにはいかず座らせると、もう一人、介抱が必要なはずのアイーシャを思い出して様子をうかがった。

 しかし、エリシュナの悲惨な姿にセリナは気を失い掛けたのに対し、娘のアイーシャはクリューネの手を握ったまま、厳しい視線をエリシュナに送っている。悲痛な表情をしているが、恐怖の色はない。


「お父さん……、はやくエリシュナ様を止めてあげて」


 なんて強い子だろうと、ルシフィはアイーシャの横顔を見つめながら、驚きと同時に気掛かりが生じていた。いくら苦難を味わい乗り越えてきたといっても、六歳の子どもが見せる顔つきではないような気がしたからだ。しかし、再び響く哄笑に、ルシフィの意識はすぐにエリシュナへと戻されていった。


  ※  ※  ※


 エリシュナの四肢はもはや機能せず、生きているのが不思議なくらいな状態なのに、胸元のエメラルドは輝きを増すと伝わる魔力は猛気はどんどんと膨れ上がっていく。


『これがね……。これが、神の力なのよ』


 リュウヤの耳に、ボコッボコッとお湯が沸騰するような音が聞こえた。エリシュナの方からで、蒸気のようなものが立ち上っている。目を凝らすと、失われた手足や炭化した顔や身体に泡のようなものが覆っている。そこから肉塊が伸びていき、手足を形成し白く艶やかな肌が現れる。衣服まで修復され、醜悪に爛(ただ)れたエリシュナの容貌も秀麗な顔へと戻っていった。


「自己再生能力か」

『それだけじゃないのは、リュウヤちゃんもわかっているでしょ?』


 爆発したように、エリシュナの身体を漆黒の魔力が燃え上がって包んだ。先ほどから感じていたように、倒すごとにパワーを増していっている。


『……妾をいじめて』

「……」

『もっと妾をいたぶりなさい。そしたらどんどん強くなって、そのうちにあなたを殺してあげるから』


 殺気を感じ、リュウヤが身構えるやいなやエリシュナが殺到してきた。歯を剥き出しにして見開いた目は狂気に満ちていた。

 エリシュナの猛攻に対し、リュウヤは防戦一方となっている。

 そのうちに。

 どんどんと。

 確かに今の段階ではリュウヤが遥かに勝っている。しかし、エリシュナのパワーの増大も凄まじく、このままでは、エリシュナの言う通り、いずれ追いつかれ追い越される。


 ――エメラルドを何とかしないとダメだな。


 弥勒。

 愛刀の名が過ったが、今はどうしようもない。今あるものでやるしかない。


『ホラホラ!リュウヤちゃんどうしたの!』


 エリシュナは勢いよくリュウヤを押してはいたが、リュウヤは隙を見逃さない。空を斬った瞬間を狙って手首を掴むと、リュウヤはキーロックごと逆手にひねった。


『ぎゃっ!』


 エリシュナは悲鳴をあげて、堪らずキーロックを落とした。

 神といっても人の身体である以上、仕組みは変わらない。

 痛みから逃れるように飛び上がって回転して逃れようとした。だが、リュウヤは掴んだ手を離さず、間接を極めたまま背後に回り込んでいた。そのままエリシュナを拘束しようとしたのだが、ゴキリと胃の底に響くような音と同時に、強い衝撃がリュウヤの頬から伝わって、エリシュナから逃れた。


「また頭突きかよ!」


 リュウヤは顔をしかめるが骨には異常は感じられない。恐らく、仰け反ってからの後頭部の頭突きで、そこまでの威力はなかったのだろう。

 エリシュナの姿を追うと、エリシュナはダラリと右腕を下げたまま佇んでいる。肩の間接を自ら外して逃れたのは一目瞭然だった。尋常ではない痛みがはしっているはずで、その額には大量の汗が噴き出している。

 それでも、エリシュナは歯を剥きだして笑みを浮かべていた。

 魔族特有の紅い瞳が、燃えるような光を帯びている。狂暴な瞳の輝きにリュウヤの総身に寒気がはしった。


『もうやめてください!』


 突如、地上からの大音声が空気を割った。

 リュウヤが目を向けると、アズライルが睨み据える格好で立っている。悲壮感に満ちた顔だった。


『これ以上の戦、もう意味がありません!それよりも武器を収め、ゼノキア様の無事を確認をされるのが先決です!』

『アズにゃん、懲りないわねえ』

『魔王軍の未来のためです。私に過ちがあるなら、幾らでも罰を受けます。ここで退くことがあっても、ゼノキア様ならわかっていただけるはずです』

『ゼノキア様ねえ』

『そうです!今一度……』

『もういないわよ』

『は?』

『ゼノキア様はねえ、もうこの世にいないの』

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