第158話 みんなと一緒に

 胸元のルビーのペンダントが紅く淡い光を帯びるのを見て、屋根の上を疾駆していたリリベルは足を止めた。振り向くと、ケスモスがいるはずの時計台の光球が強く輝きを増し、光球から無数の小さな光の玉が放出されていく。

 尾を引きながら飛んでいく光の玉は、人の魂のように見えた。やがて次第に光球は小さくなり、そして光が消失すると、ケスモスの肉体も消滅していた。


『ケスモス老最期の力、このリリベル、確かに受け取りました』


 作戦前に老人が言った通りだと、リリベルは光球を見つめながら口の中で呟いた。

 光球は四方に拡散し、空に描かれる魔法陣は一つに集まり、空を覆わんばかりとなった。巨大な魔法陣からアーク・デーモンが吐き出されるように現れ、その数は闇夜を埋め尽くすほどとなった。


『これで、闇の世界との扉が完全に開かれたわけね』


 果たして神竜バハムートが無限に溢れだす悪魔相手に、どれほど持ちこたえることができるのか。勝負の行く末に興味があったが、リリベルの目的は他にある。見物に洒落込む余裕などない。下手をすれば、自分たちだって戦いに巻き込まれる恐れがあるのだから。

 町の人間も軍も、アーク・デーモンもバハムートともう一体の青い竜に惹きつけられている。見知らぬ竜族がいたのは予想外だったが、遮る者は最早ないはず。自分たちがやるべきことを為す。リリベルは、ケスモスからもらった胸元のペンダントを握りしめた。

 ルビーのペンダントには、降魔血界ワクテカを解除するための鍵の役割を果たす。ケスモスの命が尽きた時、力の一部がルビーのペンダントに転移される仕組みになっていた。


『これは我ら魔王軍覚悟の勝利だ。アルドめ、思い知るが良い』


 リリベルは止めた足をハルザ宮殿へと向けて、再び走り出していた。


  ※  ※  ※


 アーク・デーモンが現れた魔法陣が上空に集まり、一つの巨大魔法陣を形成すると、輝きは更に増した。大量のアーク・デーモンが出現すると、悪魔たちは地上のバハムートたちに向かって飛来してくる。


“くそっ、次から次へと!”

“まだ、術者は見つからないんですか!”


 寺院を守るリンドブルムが、バハムートに向かって叫んだ。守りきれず、アーク・デーモンによって殺されていく人間たちを見て泣き叫ぶよう咆哮している。


“わからん。らしい反応はあったが、消えた”

“消えた!?”


 上空に待機する魔空艦“マルス”からの連絡があった。レーダーに結界の発生源らしい魔力を確認したものの、突然四散し消えてしまっていたという。

 サンダーブレスでアーク・デーモンの群れを焼き払うと、耳を疑うように怒鳴り返した。リンドブルムやバハムートもアーク・デーモン相手に充分対応できている。アーク・デーモンには知性もなく、連携もろくにとれずにそれぞれが勝手に攻撃をしてくるだけだ。しかし、無限に現れるアーク・デーモンによって身体のそこかしこに傷を受け、息も乱れ始めていた。

 何より、バハムートには時間が限られている。


“術者が消えたなら、何でこの結界が続いているんですか!”

“私がわかるわけがないだろうが!”


 バハムートのホーリーブレスが虚空を一閃すると、その周囲に数百を超える爆光が膨れ上がった。勢いそのままに結界の壁に衝突したが、ホーリーブレスの強大な力を受けてもやはり結界は無傷でいる。

 見据える視界に映る魔法陣から、無数の人型の影が浮かび上がった。倒した分のアーク・デーモンが再生を済まし、再び現世に現れた。


“これではきりがないぞ……”


 歯ぎしりするバハムートの背に、焼けるような痛みと衝撃が奔った。いつの間にか背後にまわったアーク・デーモンがバハムートに灼熱の炎を浴びせていた。


“くそおおおっっっ!!!”

 バハムートは突進してアーク・デーモンを殴り倒すと、続々と現れるアーク・デーモンに向かって雄叫びをあげた。その叫び声は大気を震撼とさせたが、聞く者が聞けば、絶叫にも悲鳴にも似た喚き声と気づいたかもしれない。終わりの見えない戦いが、バハムートには悪夢のように思えた。


  ※  ※  ※


 神官たちの本性はナギから聞いていたこともあり、セリナは失望こそはしなかったものの、実際に目の当たりにすれば、怒りで沸騰していた。爆発しそうな頭で対応に出た神官を睨みつけている。


「普段、説教されている博愛の精神や神の前の平等というものは、どこに置いてきたんですか」

「少なくとも、今のお前らには対象外だ」

「ここにはもう、お前らの入る余裕はないのだ。あっち行け」


 ドアの隙間から痩せた神官と肥えた神官が顔を覗かせ、しっしと野良犬を追い払う手つきでセリナに言った。室内の奥には寺院の長である院長の姿があった。隙間からわずかに見ただけでも、子どもたちが入るスペースは充分にある。


「セリナさん」


 部屋の奥から、院長の丸みのある柔らかな声がした。


「十二歳と十四歳になる女の子が、そこにいたよね」

「レナとミーシャのことですか」

「そうそう。レナちゃんとミーシャちゃんだ。その子たち二人を、今後私の側女に置くなら、許可しようではないか」


 セリナは院長の言葉に耳を疑い、驚きのあまり言葉を失っていた。レナとミーシャを見ると、怯えた様子で首を振った。ナギの話では、神官たちから卑猥な誘いを掛けられていたのはこの二人だという。

 へっへと神官二人が下卑た笑みを浮かべて、レナとミーシャを舐めまわすように視線を送っていた。餓えた野獣が獲物を狙っている目つきに慄然としたが、ただ怯えているわけにもいかない。


「院長様、こんな時に何をふざけたことを言っているんですか」

「ふざけたことだと」


 急に院長の声色が変わり静かになったかと思うと、部屋の奥からぶつぶつと何か呪詛めいた唸り声が聞こえてきた。あまりに陰鬱な声に、セリナの背筋に冷たいものが流れた。

 チッと痩せた神官が舌打ちしと一度顔を引っ込めると、すぐにまた扉まで戻ってきた。神官の顔は青ざめ口に泡をためたまま、鬼のような形相をしている。


「院長様は大変ご立腹だ。全くなんということを。愚かな女だ」

「ですが、レナとミーシャを、あなたたちの側女なんておけません。こんな時に」

「ならば去れ!」

「ですが院長……」


 奥から院長の怒声が響いたが、構わずセリナが抗議しようとすると、太った神官が院長の後を引き継ぐように怒鳴りつけてきた。


「早く去らねば、その孕んだ腹を蹴り飛ばすぞ」


 太った神官の声が凄みを利かせてきたが、何を言っているのかセリナには始めわからなかった。

 自分が身籠ったことを秘密にしていたわけではないから、院長らが知っていても不思議ではないが、新しい命を孕んだ腹を、聖職者たる人間が蹴ると発言するその無神経さが信じられないでいた。


「神官様、あなた、今何てことを……」


 うるさいぞと、今度は痩せた神官が遮った。


「う、うるさい、うるさいぞ!私たちは自分の命が掛かっているのだ。き、貴様らなど何の価値もないくせに、恩を忘れおって……!何をぼさっとしている。さっさと去れ」


 高い奇声を発しながら、血走った目で神官は足をあげてセリナを威嚇してくる。

 もはや正気とは思えない。奥の院長の発言も、恐怖のあまりに発狂しているのかもしれなかった。

 神官らも異常な興奮状態にある。もしも、そのままここにいれば、この男は本気で蹴ってくるだろうと感じた。

 こんな連中と一緒にいたら、レナとミーシャどころか他の子どもたちも何をされるかわかったものではない。しかし、一言くらいはぶつけてやりたいという怒りが、セリナの中で煮えたぎっている。

 だが、セリナよりも先に反応を示したのは、子どもたちだった。


「ふざけんなよ!」


 と、年長の男の子が声をあげた。


「てめえら、こっちが下手に出てればいい気になりやがって。てめえらに恩なんか感じたことねえや」

「な、なんだと。か、神を奉ずる、し、神官に向かって無礼な……!」

「うっせえ。何にもできねえ、てめえらのクソ神なんか知ったことかよ」


 おいと男の子は、他の子どもたちに振り向いた。


「こいつらほっぽり出して、俺たち入りゃ早いんじゃねえか」

「そうだ、そうだ!」


 何人かの威勢の良い子どもたちが賛同し、神官に詰め寄っていった。ぎらぎらと殺気立ち、およそ子どものものとは思えない。外からの恐怖と怒りが子どもたちの神経を煽り、神官の異常さが子どもたちにも伝染したようにも思えた。


「き、貴様ら……!」


 神官たちの顔は青ざめ、不穏な空気が辺りを包んだ。


「ダメだよ!」


 幼い声が子どもたちと神官たちの間を遮った。双方が声をした方を見ると、アイーシャが大きな瞳で佇んでいる。


「神官さん、みんなを攻撃するつもりだよ」


 アイーシャに言われ、神官たちの手元を見ると、呪文を詠唱するための印を結んでいて、小さな光球が生じている。さすがに威勢の良かった子どもたちもわっと飛び退いた。


「そ、そうだ。近づいたら、こ、殺すからな」


 ヒヒッと不気味な笑い声をあげながら、神官たちは部屋の中に入っていった。やがて、扉の内側からがしゃりと鍵を音がし、扉には魔法陣が描かれた。


「お母さん」


 セリナの手を、アイーシャの小さな手が握りしめてきた。セリナの半分ほどしかないのに、その力強さに驚いてアイーシャを見ると、アイーシャは痩せた神官に真っ直ぐに視線を向けている。瞬きもせず強く、真っ直ぐに。

 お母さんを守るから。

 小さな手と大きな瞳からその意志が、セリナに伝わってくる。


「お母さん、行こう」

「……うん」


 アイーシャに促され、セリナは扉を睨みつけながら背を向けた。


「みんなも、行きましょ」


 危機が迫って正体をあらわせた醜い化物に、これ以上は付き合いたくもない気持ちもあって、セリナはアイーシャや激震に怯える他の子どもたちを連れて避難場所から離れた。他に手頃な場所と言えば、思いつくのは物置代わりの小部屋しかない。


「……狭いな」


 数分後、セリナと十数人の子どもたちは、寺院の奥にある小部屋の中で、虫のように息を潜めて集まっていた。

 埃っぽく息苦しい暗闇は、ミルトが襲撃された時のことをセリナに思い出させる。殺された父や母の無惨な光景が頭を過ったのと、神官らに浴びせられた言葉が思い浮かんで、あまりの苦しさに泣きたい衝動に刈られていた。

 いつまで、こんなことが起きるのだろう。


「セリナ。私たち、何でこんなに怖い思いしなきゃいけないの」


 悄然とするセリナを代弁するように、女の子がしがみついてきた。アイーシャと同い年の子である。


「……」

「ねえ、セリナ。教えて」


 セリナは答えることが出来なかった。

 教えてもらいたいのはこっちだと、叫びたい気持ちだった。


「セリナ、ナギ様は?テトラのお姉ちゃんもいないの?」

「心配しないで」


 女の子に励ましの声を送ったのは、セリナではなくアイーシャだった。


「私が、みんなを守るから」

「何を言ってるの、アイーシャ」

「私、みんなを守るの。お外のクリューネのお姉ちゃんも、友達も、お母さんも、お腹の子も」


 不意にアイーシャの身体が爪先ひとつ分宙に浮き、金色の光を帯びた。光に照らされ明るさを増した室内で、セリナと子どもたちはアイーシャを呆然と見上げている。

 セリナはともかく、子どもたちも以前に目にしているはずだが、当時よりも光は強烈な輝きとなったことと、突然の出来事に怯えている子が多かった。


「アイーシャ。あなた、自分の意思で力が使えるようになったの?」


 少しだけとアイーシャ言った。


「いったい、いつから……」

「さっき、お母さんが神官さんにいじめられていた時。身体の中から、凄い力が起きているのを感じて」

「……」

「でも、じいじいちゃんの世界に帰る力はまだ無いよ。出来て、ここにみんなを守ることくらい、かな」

「……待って」

「お母さん、クリューネのお姉ちゃんとティア君と一緒に戦ってきます」

「待ちなさい、アイーシャ!」


 セリナの高い声が、真っ暗な室内に響いた。外からの轟音と激震が遠くなった気がした。


「また戦いにいくの?」

「うん、行かなきゃ」

「どうして。あなたは子どもよ」「私には、力があるから。力があるなら、困っている人がいるなら、私にしか出来ないなら、ちゃんと使わないと。この力はみんなのために。みんなを守りたいから。それに……」

「それに?」


 アイーシャはちょっと肩をすくめてから、小さな拳を肩まであげた。


「私、もうすぐお姉ちゃんだから」


 金色の光に包まれても、空に浮いていても、ガッツポーズしてみせるアイーシャの明るい笑顔は、やはりアイーシャだとセリナは思った。


「アイーシャちゃん」


 セリナにしがみついていた女の子がセリナから離れ、アイーシャの傍に寄っておそるおそる手を伸ばした。

 アイーシャは女の子の指先にそっと触れると、女の子は指を絡め、アイーシャの身体に抱き締めた。小刻みに震える女の子の身体を、アイーシャの腕が柔らかく包んだ。


「アイーシャちゃん、こういう時、何て言ったらいいかわかんない。何て言ったらいいのかな」

「私もわかんないけど、頑張るよ」

「頑張れ、アイーシャちゃん」

「うん、頑張る」


 二人を見守っていた子どもたちもアイーシャの周りに集まり、「頑張れ」と励ましの声を掛けている。

 子どもたちの激励を妨げるように、倉庫が大きく揺れた。悲鳴をあげ、互いにしがみつき床に伏せる子どもたち。そんな子どもたちを、清流のような青い光が包み込んでいった。全ての激震や轟音が遠退き、水に浮くように身体が宙に浮き、光の空間をゆるやかに漂っている。


「お姉ちゃんたちが危ない」


 アイーシャは宙を睨むと、身体を包む光が増し、次の瞬間には忽然と姿を消していた。


「……アイーシャ」


 セリナは後に残った光の塵を見つめながら、力なく座り込んでいた。

 どうしようもない無力感に、ふわふわとした空間そのままに、心もどこか呆けてしまい、ろくに考えられなくなっている。

 自分の子どもが、あんな小さな子どもが戦場に赴くというのに、母親の自分は安全な場所にいる。自責の念が、セリナの心を苦しめていた。

 アメリカという国で戦いに向かった時は、いてほしいと言ってくれたが、今度はそれもなく独りで向かってしまった。自分だけが置いてきぼりにされてしまったような気分に、セリナは陥っていた。


「セリナ」


 先ほどの女の子が泳ぐようにして近づいてきて、へたりこむセリナの頭を抱き締めた。


「アイーシャちゃんなら、大丈夫だよ」

「……そうね」


 そう。あの子なら大丈夫。私なんかより、もっとずっと強いから。


「……私、情けないお母さんだなあ」


 思わず漏らした一言に、そんなことないよと女の子が叱るように言った。


「アイーシャちゃん、セリナのこと大好きなんだから。お母さんがそんなこと言っちゃ駄目。だから頑張るて言ったんだから。アイーシャちゃん、悲しむよ」

「……ごめん。ありがとね」


 セリナは女の子の薄い胸元に顔を伏せた。

 少女の優しい温もりに包まれながら、それがたとえ一時的ではあったとしても、心が安らげることにセリナは幸福を感じていた。

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