第十四章 血のムルドゥバ
第154話 戦端
「……竜族は中心となる王家の者を求めています。それにはやはり、神竜バハムートの力を持つクリューネ姫が相応しいというの父の考えです」
「私じゃなくても、王家の生き残りは誰かおるだろうて」
クリューネは明らかに気乗りしない様子で、腕組みしたまま椅子を揺らしながら正面のティアを見つめた。ティアはチラチラと視線を横にそらしている。
クリューネたちは、場所をレストランから寺院に移り、深閑とした寺院の食堂で改めて話を再開していた。柱時計の時を刻むだけが、食堂内に響く。
「私は第十四王女。しかも人間とのハーフじゃ。竜族の旗頭としては、ちと弱すぎると思うがの」
「ですが、他の王族の方は行方不明で消息が知れません。わかっているのはクリューネ姫だけなんです」
「いれば、そっちで良いということじゃろが」
「いいえ、そんなことは……」
「ティアの親父どのが、頭領となって建国でもした方が早いんじゃないのか」
父はと、ティアは唇を噛み締めて言葉を切った。
「父は昨年倒れて、病床の身なんです。意識や言葉はしっかりしていますが、いつどうなるか」
「……」
「ですから、クリューネ姫の力が必要なのです。僕らが姫をもり立てます。まだ各地に散っている竜族がひとつに集まれば、きっと再興できます」
「そう上手くいくかの」
「何故です。何が嫌なんですか。姫がそれでは、僕たちバルハムントの遺臣はどうしたらいいんですか」
相変わらず気のないクリューネの言い方が癪に触り、苛立った様子でティアが訊ねた。
「まず、政治なんて私にはわからん。家臣に飯を食わさなきゃならんに、ただぼんやり座っておるわけにはいかんのじゃろ。ひとりのが気楽じゃ」
「……」
「それにアルドみたいに、力を握って豹変したくもないしな」
「アルドて誰ですか」
訝しげに質問するティアに、はじめは冗談かと思っていたが、本気とわかってクリューネは呆れていた。国を再興させようという田舎竜は、この国の元首の名も知らないらしい。竜族が閉鎖的なのは昔からだが、あまりにも視野が狭すぎる。
――こりゃ、ダメだな。
自分の将来で手一杯なのに、無知すぎる他人の面倒まで見ていられない。“竜の山”に溜まっている放射能の説明も億劫だった。クリューネは深いため息をついてティアから視線をそらした。
「……お前はどう思うな。リュウヤよ」
クリューネはティアから土間に視線を移し、框に腰かけて背を向けているリュウヤに声を掛けた。室内の灯りで、部屋の隅からヌラリと不気味な光が反射する。
クリューネらが寺院に帰ると、ちょうどリュウヤも帰ってきていて、刀の手入れをする傍ら、話を聞いてもらっていたのだった。
片刃の剣がリュウヤな身体から見え隠れし、ティアは息を呑んでリュウヤと刃に目を向けていた。
先ほどからティアがクリューネから視線をそらすのは、そんなリュウヤが気になっているからだった。
難しい話だなと前置きしてリュウヤは続けた。
「クリューネと初めて会った時、国の復興には興味ないて言ってたよな」
「言ったな」
「今も変わらないか」
リュウヤは刀身だけとなった水心子正秀作の“弥勒”を掲げたり左前腕に刀の峰を乗せて、汚れや錆がないか確認しながら言った。
リュウヤは錆防止のために、機械油を浸した布で刀身に塗り、別のやわらかい布で丹念に拭った。手入れに使う日本刀専用の丁字油などこの異世界で手に入るわけもなく、ハーツからわけてもらった機械油を代用している。
「そうじゃなあ、変わりはない。バルハムントに思い入れはないな」
思い入れはないという言葉に反応して、ティアが詰め寄るように語気をあらげた。
「思い入れはないって……。何故ですか。自分の国なのに」
「自分の国?」
クリューネは鼻で笑った。不意に狂暴な怒りが込み上げて来て、溢れる感情が火となってそのまま口から吐き出された。
「母上と、さんざんコケにしよったくせにの。一室に閉じ込めてずっと二人きりだった。私らを見る氷の目。今でも忘れんぞ」
「……」
「おい、クリューネ」
不用意だったかとリュウヤは後悔したが、クリューネの口は止まらなかった。
「お主はまだ幼く純粋だったが、貴様の親父も周りの連中と同じだった。それを今さら再興の旗頭か。そんな連中のために、何で私が力を尽くさねばならん」
「でも、クリューネ姫はバハムートの力を持ち……」
クリューネの剣幕におされ、ティアは涙目になりながら、ようやく返すと、クリューネはそうだと目を見開いたまま、呻くように低い声で言った。充血した両目には涙が浮かび、奥歯を噛み締めるようにティアを睨んでいる。身体が小刻みに震え始めていた。
「そうだな。バハムートは私のもの。純粋な竜ではなく、私のような人間と竜の間に生まれた半端者が選ばれた。知った時の奴らの顔。ざまあみろだ」
「……」
「私は貴様らに恩はない。自分の国なんてものもない。あんな国、滅びて当たり前だ。私は私で生きていく。ふざけるな。ふざけるなよ」
「クリューネ、もうよせ」
リュウヤがクリューネを制すると、クリューネは両手で自分の顔を覆った。震えが増し、両手の内側から嗚咽が洩れてくる。
ティアは言葉もなく悄然とうなだれていた。
針の音の代わりにクリューネのすすり泣く声が空間に満ち、長い沈黙の中、リュウヤは静かに刀を組み立て直してから、框から立ち上がってクリューネに近づいていった。
「竜族を代表する使者といっても、子どもなんだ。もういいだろう。俺も不用意だったな。ごめん」
「いや、すまん……。ごめんな、ティア」
「いえ、僕も、僕たちもクリューネ姫のことを何も考えてなくて……」
肩を震わすクリューネにそれ以上の言葉が浮かばず、ティアはただうなだれているしかなかった。
「お父さん」
アイーシャの声がし、食堂に入って来ようとしたがクリューネの震える姿に気がつくと、その足が止まった。
「お姉ちゃん、どっか痛いの」
「大丈夫、悲しいことを思い出しただけだから」
クリューネの代わりにリュウヤが答えると、クリューネは顔を覆ったまま、無言で何度もうなずいた。
「……で、どうした」
「お母さんから、お風呂は早く入ってって」
「わかった。入るから先に寝なさい」
「う、うん」
アイーシャが戸惑いながら去っていくのを見送ると、リュウヤはティアに振り向いた。
「ティア君だっけ。今日はちょっと無理そうだから、もう寝よう。客室のソファーしか空いてないけどそれで良いか」
「あ、いえ、十分です。ありがとうございます」
妖しげな剣を手にした胡乱な人間と思っていたのに、穏やかな微笑と包み込むような雰囲気に呑まれて、ティアは思わず口調を改めていた。
「まだ、ここにいるんだろ」
「できれば、クリューネ姫ともう少しお話が……」
そうだなとリュウヤが言った。
「しばらく、クリューネと一緒に過ごして、町を見聞してくるといいよ。お互い、見えてくるものもあると思うから」
※ ※ ※
エリシュナは宮廷の屋上にある見晴台に上がり、ぼんやりと地上と空の両方を視界に眺めていた。蒼弓の空の下、一組の男女が並んで歩いているのが見え、エリシュナは視線を向けた。
猛将アズライルとネプラス将軍の娘リディアが、何か話をしながら宮廷の庭を歩いているのが見えた。内容まではわからないが、リディアが話しかけると、照れ臭そうにするアズライルが微笑ましく思えた。
親子ほどに歳の差が離れている二人だが、リディアが実齢より大人びてみえるせいか、仲良く歩いていても違和感がない。
最近、婚約を交わしたと聞くが、あの様子なら良い夫婦になるだろうとエリシュナは思っていた。
しかし、その微笑もアズライルたちから離れた場所で、帯剣を許された敷地で将校たちが集まっている光景に目を移すと、エリシュナの素顔の部分はみるみる内に曇っていく。
『ここにいたのか』
背後から声がし、振り向くとゼノキアが立っている。
『はい。風が気持ちよく、つい誘われて』
ゼノキアはエリシュナの隣に立つと、庭に集まる将校たちに目を向けて、ほうと嬉しそうに声をあげた。
『今日も剣談か。熱心だな』
竜の国バルハムントが滅びてからは武は急速に廃れていき、貴族のように怠惰な連中が増えて腐敗が危ぶまれていた。そのためにリュウヤ・ラングを始めレジスタンスに多くの将が討たれたが、ゼノキアが復活し、一年あまりの戦争で惰弱だった若者たちも見違えるように成長していた。
休戦以降、朝議の後には庭の一角に集まり、剣を語るのが習慣となりつつあった。
慢心させないため口では言わないが、層の厚さは竜族を滅ぼした時以上だとゼノキアは頼もしく思っていた。
かつての魔族の姿がゼノキアの目には映っていた。
『しかし、あのような拵えは……』
エリシュナが懸念を示すと、ゼノキアは良いだろうと鷹揚に流した。
エリシュナが不快に思っているのは、リュウヤの技を研究する余り、将校の間にリュウヤと似たような片刃刀をさげる者まで現れたことだった。
一種のリュウヤブームといったところで、ムルドゥバではその実績に関わらず危険視するあまり、レジスタンスに所属する一介の剣士としてしか扱っていないが、魔王軍の方がリュウヤを評価していた。
『あれではただ、流行に流されているだけではないですか』
『気持ちはわかる。お前には辛い傷痕を与えた刃だからな。見るのも辛いだろう』
ゼノキアはエリシュナの右側を覆う白い仮面に、そっと手を伸ばした。ゼノキアの回答はエリシュナの意図と多少ズレていると思ったが、その単純さがゼノキアの良いところだとエリシュナは思っている。
『その仮面、外してもいいか』
不意にゼノキアが訊いてきた。
余人に触れさせず、ゼノキアでさえも慎重となるエリシュナの仮面。
エリシュナがうなずくと、ゼノキアは仮面を外してその傷痕を見た。
額から頬にかけて深い傷が一閃し、傷痕に沿って肉が醜く盛り上がっている。見ているだけで心が痛んでくるような傷痕がそこにある。
ゼノキアはエリシュナの傷痕を慈しむように撫でて、エリシュナを讃えた。
『エリシュナ。お前は恥じているかもしれないが、その傷は武人として魔族としての誇りを、勇壮さを忠義を語っている。俺はお前が妻であることを誇りに思うぞ』
『ゼノキア様……』
『これからも、俺の支えになってくれ』
単純な男というのが、ゼノキアに対するエリシュナの評価だった。
騙しやすい。おだてにのりやすい。
以前ならゼノキアを軽く見ていた部分もあっただろうが、弱ったエリシュナの心には、沁みるようにしてゼノキアの言葉が入り込んでくる。
『ありがとう……ございます』
『涙を拭け、エリシュナ』
ゼノキアはハンカチでエリシュナの涙を拭うと、見晴台の縁にひらりと軽く飛び乗った。ゼノキアは表情こそ見せないものの、照れ臭そうに頬を掻いている。
『奴らと少し稽古してくる』
そう言うと、ゼノキアは屋根から飛び降りて、剣談をする将校たちの輪に加わっていった。
突然、現れた魔王の出現に将校たちは騒然となっていたが、落ちていた雑木を手にして何やら話を始め、一人の将校に木剣で打たせては鮮やかに返し技をすると、若い将校たちは感嘆とした声と共に、真剣な表情でゼノキアの解説に耳を傾けていた。
純粋な人だと、エリシュナはゼノキアをその部分では非常に好ましく思っている。しかし、と一方で醒めた自分の声がする。
密偵から日々、ムルドゥバの情報がもたらされるが、その国力は日々増大し、一年内には魔王軍を凌駕するだろうというのがエリシュナの見方だった。
ゼノキアは報告を聞いてもまだ余裕を見せていたが、エリシュナは今のうちに何らかの手を打たないとという焦りがある。
『……お待たせしました。エリシュナ様』
背後からする低い声に、エリシュナは急いで涙を拭い、仮面を装着した。エリシュナの後方にはひざまずく三つの影がある。
『“深淵の森”が臣、リリベル以下、ケスモス老、ベオルバ三名、準備は整いました。これよりムルドゥバへ向かいます』
影のうちのひとつ――リリベル――が口を開いた。
『……リリベル、これは仕返しでもあるからね。存分にやってきて頂戴』
はいとリリベルは澄んだ声で言った。
『ガーツールとララベル、そしてエリシュナ様が受けた傷の恨み、晴らして参ります』
『ケスモス老にベオルバ、よくリリベルを支えてやってちょうだいよ』
はっとしわがれた声と、野太い声が影の中から同時に発せられた。
『……しかし、エリシュナ様。本当にゼノキア様にまで言わなくて良いのですか』
『ゼノキア様は、ちょっと余裕がありすぎだからねえ。魔王様からバレちゃうかも』
『……』
『情報は少しでも漏れるのを無くしておかないと。ルシフィちゃんのように罰せられちゃうかもしれないけど、責任は妾がとるわ。辛い旅になるだろうけど、深淵の森の武勇と覚悟を見せる時よん』
『……』
それにと、エリシュナはニヤリと口の端を釣り上げた。邪悪な笑みに醜く表情が歪んだ。
『奴らにも妾や魔王様が味わった痛みと苦しみを、少しでもお返ししてあげないとねえ』
エリシュナはいまだ修理中の、宮廷の抉れた壁や建物を眺めながら、自分の仮面をそっと撫でた。
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