第92話 ルシフィ、大返し

『ベリア教官が討たれた?』


 驚愕した自分の声に驚いて、ルシフィは慌てて後ろを振り向いた。

 外の庭では一組の親子が遊んでいて、ルシフィの声に気がついた様子は見られない。ルシフィはふたりに聞こえないよう、声を潜めて報せに来たヤムナークに尋ねた。


『……相手は、もしかしてあの人?』

『はい、リュウヤ・ラングに間違いないとのこと。袈裟斬りからの一刀で絶命したとか。他にもクリューネ姫。レジスタンス・リーダーの妹リリシア・カーランドとともに行動をしているようです』

『竜の力は無くなったのに……。凄いな、リュウヤさん』

『感心している場合ではありません。ベリア教官が亡くなられたのですぞ』

『ごめんね。単純に凄いと思っちゃって……。たしかに感心している場合じゃないよね』


 リュウヤも知らない相手ではない。

 かつては互いの命を掛けて激しく闘った相手でもある。元々、他人に悪意や敵意といった感情を持ちにくい性格だが、特にリュウヤたちにはその感情が薄く、どちらかと言えば好意といった感情を抱いていた。

 しかし、リュウヤが敵であることも事実である。

 同胞が殺された悔しさや悲しみよりも、敵に感心してしまう自分が後ろめたく、ルシフィは小さく唇をかみしめた。

 優しいなどと言われるが、これは優しさなのだろうか。


『どうされますか』

『とにかく、ベリア教官の状態を見に行ってくるよ』


 部屋の隅に立て掛けていた樫の杖と持ちローブをまとうと、一言挨拶するために、庭にいる親子のもとに向かった。

 小さな女の子がルシフィに背を向けた状態でうずくまり、熱心に絵を描いている。母親もしゃがみこんで何か女の子に言葉を掛けている。

 ルシフィの支度を見て、お出かけですかと母親が立ち上がった。

 ゼノキアに来た時よりも少し髪が伸びた。


『あの、セリナさん。ちょっと用事ができて、アルゼナまで行ってきます』


 町の名を聞いて、セリナは顔を曇らせた。


「アルゼナて、エリンギアの近くですよね。何か事件でも?」

『事件というほどでも無いですよ。みなさん、戦場で気が立ってトラブルが絶えないから、僕が行って兵を引き締めさめろと、父からの命令です』

「そうですか……。大変ですね。しばらく向こうにいるんですか?」

『いえ、用件は1日で済みそうなので、明後日には帰ってきます』


 気をつけてくださいねと心配そうに、セリナは眉をひそめる。


 ――勘のいい人だな。


 兵站の地であるアルゼナの名とルシフィの顔色から、何か深刻な事態が起きていると感じたのだろう。ルシフィは咄嗟とっさに誤魔化したが、内心、冷や汗をかいていた。


「ルシフィ様、いってらっしゃい」

『いってくるね。アイーシャちゃん』


 傍で花壇の花の絵を描いている途中だったアイーシャも、見送りに立ち上がった。

 父であり、魔王軍を統べるゼノキアにラング親子が拐われてから、約1年となる。ゼノキアが注目したアイーシャの能力というものはルシフィにはまだ見せてはいないが、その間に随分と親密な関係となることができた。食事を一緒にすることもあったし、アイーシャの遊び相手でもある。

 親子が「ルシフィ様」と呼んでくれる間柄にまでなったが、ルシフィが元来持つ誠実な人柄がそうさせたと言える。

 それでも、親子との間には薄皮一枚くらいの隔たりがあることを、ルシフィ自身は感じていた。やはり魔族の王子であり、監視役である立場が、無意識に壁をつくってしまっているのだろう。


“我らは皆、片翼の天使……”


 ルシフィは口の中で詠唱を素早く唱えた後、“十二詩編協奏曲ラブソング”と告げると、ルシフィの背には一枚一枚形がわずかに異なる、十二枚の天使の翼が形成された。


 ――天使みたい。


 美しい翼の生えたルシフィにセリナは思わず見とれていたが、アイーシャも目を丸くしてルシフィの姿を見つめている。


「また、お空を飛んでいくんだ?」

『うん。馬を使うより、その方が着くのが早いからね』

「ふうん。白い竜よりも飛ぶの速いの?」

『白い……竜?』

「そう。わたし、昨日ね。夢で白い竜さんが三日月に向かって、凄い速さで飛んでいく夢を見たの。ブウンてお空をまわって、綺麗ですごくカッコいいんだよ!」

『……ふうん?』

「ほら、アイーシャ。ルシフィ様はお仕事に行くのだから邪魔しちゃだめよ」


 白い竜。

 思い浮かぶとしたら、神竜バハムートくらいだが、その時のルシフィは、白い竜と聞いて、単純にバハムートを連想しただけに過ぎない。

 アイーシャは夢の内容を思い出したのか、次第に興奮気味に手を振りながら話し始める。その傍らでセリナが困った表情してたしなめると、アイーシャはごめんなさいとしょげてうつむいてしまった。そんなアイーシャの頭を、ルシフィは優しく撫でた。顔をあげたアイーシャにルシフィは優しく微笑む。

 次いで、奥でひっそりと佇むヤムナークに『留守番、お願い』と視線を送ると、主人の意を覚ったヤムナークはうやうやしく頭を下げた。


『じゃあ、いってきます』


 そう言うと、ルシフィは翼をあおぎ、あっという間空の彼方へと飛翔していった。翼からこぼれ落ちた光の残滓ざんしが、きらきらと空から舞い落ちていった。


「あの光、お星さまみたいだね」

「そうね」


 目を輝かせているアイーシャの手を、セリナはそっと握り、2人は光の粒子が完全に消えてなくなるまで、じっと空を見上げていた。


  ※  ※  ※


 突然現れた、十二枚の翼を持つ乙女のような少年に、アルゼナに駐屯する魔王軍の兵士は驚愕したが、その正体が魔族の王子ルシフィと知って、大騒ぎとなっていた。


『昨日の今日で大変なのに、突然押し掛けてきてごめんね。大騒ぎにしちゃって』


 警備隊長代行を務める将校に案内され、ルシフィは馬車に揺られている。

 窓の外には醜い残骸と化した魔空艦と、調査にあたる兵士と回収作業に駆り出されている人間が慌ただしく行き交っている。まだ破壊された魔空艦や倉庫はまだ燻っていて、消火班が大量の水を放水して消火活動を行っていた。火事特有の焼け焦げた陰惨な臭いが馬車の扉越しに、ルシフィの鼻を刺激する。


『いえ、大騒ぎと言ってもプラスの大騒ぎですよ。ルシフィ様が来られたおかげで、士気はたいへん上がっております』

『ホントに?僕なんかで?』


 そうですと隣の警備隊長代行は大きく頷いてみせた。


『兵士のなかには、初めてルシフィ様の十二詩編協奏曲ラブソングを目にした者もいるようで、“我が軍に天使が味方してくれた”と感激して、泣いた者もいたようです』

『天使だなんて、大袈裟だなあ』


 照れ笑いを浮かべていたルシフィだったが、やがて無数に並べられたクリーム色のテントが見えてくると見えてくると、その笑みも消えた。自然と奥歯に力がこもる。


『あちらの一番右端のテントに、ベリア隊長の遺体があります』


 警備隊長代行が目を細め、暗い瞳でテントを指差す。それは、魔王軍の訓練場に急遽設置された死体安置所だった。そこには死が明確にあることを嫌が応にも感じさせる重い空気に、浮かれていた自分が恥ずかしく、心に痛みを覚えた。

 天使かと、ルシフィは心のなかで自嘲する


『天使だなんて、ホントに……、大袈裟だな』


 馬車はベリアの遺体が安置されているテントの前に止まった。警備隊長代行は検分を担当する兵士と医師を呼び出すと、簡単な説明をしてから兵士らに引き継ぎを行い、代行は馬車に再び乗って、彼が指揮すべき現場へと戻っていった。


『こちらです』


 兵士が幕をあげて、医師とともに中に入ると、体にシーツを被せられ、気難しそうな顔つきの男が台座で横たわっている。


『ベリア教官……』


 ルシフィはひざまずき、死者を弔う祈りをささげた。

 魔族に古来から伝わる儀式で、祈る人の数が多いほど、あの世で幸せに暮らせるという。

 ルシフィは祈りを済ますと、検分官の兵士に説明を促した。検分官は医師と目をあわせてうなずき、シーツをはがさせた。

 武術師範にふさわしい、隆々としたベリアの裸身が現れる。だが、それよりも目を惹いたのは、左肩から右の脇腹にかけて一閃している剣の傷だった。


『傷は骨や心臓まで達し、かなり深いものです。懐まで潜り込まれたといったところでしょう』

『ベリア教官を相手に、間合いをここまで詰めたのか』

『ベリア様もよほど無念だったのでしょう。駆けつけた救護隊の兵士の腕を異様な力で掴み、その兵士の腕には今もそのあとがあるとか』

『……ふうん』


 感心なのか怖れなのか、自分でも判然としないため息がルシフィの口から漏れた。一蹴という形でベリアを倒したことがあるルシフィだが、魔族でもベリアと正面から闘えるのは数えるほどしかいない。

 今までは漠然とした想像でしかなかったが、傷口を実際に目の当たりにしてみると、リュウヤ・ラングの剣技と心境の凄味が伝わってくるようだった。

 

 ――竜の力を失っても、技と心は失っていない、か。


『……ところで、リュウヤさ……ラングはバハムートに乗って、エリンギア方面に逃げたて聞いたけど。間違いないのかな』


 リュウヤさんと言いかけて、ルシフィは慌てて言い直した。

 普段からの癖とリュウヤに対する好意から言ってしまうが、敵と目されている男に、自国の兵士の面前で“さん”付けはさすがに違和感がある。


『あ、はい。既に魔王様にはご報告済みで、“来るなら来い”と意気高揚しておられるとか。ミスリード様の魔導士部隊による結界も張り巡らし、魔王様の本陣に侵入する者をネズミ一匹たりとて見過ごしません』

『そうか。それなら、安心だよね』


 ルシフィは口ではそう言ってみたものの、不安に心がざわめく。その正体がわからないのが、ルシフィの心を更に不安に駆り立てる。


 ――父君の警護につこうか。


 ゼノキアは小心だの不要と一笑するだろうが、リュウヤ・ラングはともかく、バハムートも相手にして無傷で済むとは思えない。ゼノキアはかつて竜族の猛将であり、リュウヤ・ラングをこの世界に喚んだ紅竜ヴァルタスによって深手を負っているからだ。


『事件当夜、月は出ていた?』


 ルシフィは不意に、アイーシャが夢で見たという白い竜を思い出していた。


『ええ。多少の雲はありましたが晴れており、三日月が出ておりました』


 突然の奇妙な質問に、検分官は一瞬戸惑いをみせたが、ルシフィの真剣な眼差しに姿勢を正し、はっきりと答えた。


『どっちの方向?』

『ええとですね……』


 検分官は慌ただしく書類をめくり始めた。そして、事件当日の記録が該当するページにあたると、西北西ですと顔をあげて、書類をルシフィに見せた。

 それは魔空艦に使われる運行記録の写しで、時刻に合わせて天候や気候、月の状態や位置などが詳細に記録してある。


『ちょうど、ルシフィ様が来られた王都ゼノキアの方角です』


 検分官のその一言に、ルシフィの中で戦慄が駆け抜ける。

 単なる偶然や思い過ごしなのかもしれない。まるで根拠のない話でしかない。アイーシャの力知るゼノキアなら一考してくれるだろうが時間がない。この粟立つような感覚を払拭するには自分でやるしかない。


『すみません。僕、ゼノキアに戻ります』

『もうですか?来られたばかりなのに』

『急に用事を思い出して』


 ルシフィはベリアの遺体に一礼すると、身をひるがえし、足早にテントから出ていった。検分官が後から慌てて追いかけてくる。


『ルシフィ様、リュウヤ・ラングらが逃げた方向と、月の方角と何か関わりがあるのですか?』

『たぶん。当てずっぽうなんだけど、ゼノキアに向かっている』

『し、しかし、エリンギア方面に向かったという証言は多く、多数の兵が目撃しております。根拠はあるのですか』

『根拠が脆弱だから、僕が単独で動くしかないんだよ』


 ルシフィはテントを出たところで立ち止まると、困ったような微笑を検分官に見せた。

 その笑みで、検分官の頬が急に熱を帯びた。


 ――可憐だな。

 

 青春のときめき。

 相手が男だと知りつつも、乙女のような美しい微笑みに心がときめきを覚えずにはいられなかった。少年時代にかなわぬ恋心を抱いた時の、あの甘酸っぱい記憶が奔流のように押し寄せてくる。


『子どもの夢が根拠だからね』

『……私の子どものころの夢は、ケーキ屋さんでした』

『はい?』

『い、いえ、な、なな何でもありません!』


 自分が見当違いの返答をしたのと、ルシフィの大きな瞳に覗き込まれて、検分官は再び慌てふためきながら、質問の意味を思い出すと、今度は呆気にとられて表情が固まった。


『子どもの夢、ですか?』

『うん。だから、簡単にエリンギアの軍を割くわけにはいかないんだよ。時間も無いし。こっちでなんとかしないと……』


 そこまで言うと、ルシフィは“十二詩編協奏曲ラブソング”を唱え、十二枚の翼を形成した。近くで作業していた兵士たちは、どよめきを起こしてルシフィの姿に見入っていた。


『ご苦労様でした。大変ですけど、ベリア教官のことよろしくお願いします!みなさんも頑張ってください!』


 ルシフィが最後の部分を周りの兵士たちに向かって大声で言うと、たちまち歓声がわき起こる。『万歳!』だの『栄光あれ!』という言葉に混じって、『好きだ!』という悲痛な叫びのようなものまで混じっていた。ルシフィはそんな兵士たちに手を振っていたが、やがて自分の頬をパンと叩いて空へと飛翔していった。歓声を背にしながら、検分官はルシフィの姿をずっと追っていた。

 言い様のない幸福感で、心が満たされている。


 ――今日のやりとりは、一生忘れないぞ。


 これからどんな苦難があろうとも、ルシフィ様の微笑で全てを乗り越えられそうな気がする。

 検分官もルシフィに倣い、自分の頬を叩いて自分の仕事へと戻っていった。

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