第七章 超血戦

第74話 功名争い

『……ご苦労でしたな。ルシフィ様』


 タギル宰相が言うと、傍らに控えて報告書を作成していたマルキネス情報局長とその部下は、素早く何事か打ち合わせをし、病室から足早に去っていった。

 ルシフィが墓守ザムケスに発見されたその夜。

 ルシフィは、王都ゼノキアの国立病院に搬送されていた。

 ルシフィは左腕の骨折に極度の疲労による衰弱が見られたが、治癒魔法も無事終了し、二晩過ぎれば容態も回復して会話も可能となっていた。


『ごめんなさい。あんな盛大な式までしてもらったのに、こんな大怪我までして帰ってきちゃって』


 病室のベッドの上で力なく呟くルシフィに、ネプラス将軍は励ますように言った。

『勝敗は兵家の常と申します。これまで数多くの魔族の戦士がヴァルタス……、いや、リュウヤ・ラングという男の剣に破れて死んでいきました。その上で一度は勝利し、こうやって帰ってこられ、様々な情報を得ることができました。充分な成果です』


 タギルたちには、クリューネとの接触以降の足取りや目的、彼らの関係性、バハムートの限界、リュウヤとの戦闘状況や不可思議なパワーなど、細かく伝えてある。

 さすがに、紳士に言い寄られただとか、混浴風呂でのクリューネとのトラブルという不要な情報は省いたが、ルシフィがもたらした情報は綿密なものであった。


『……そう言ってくれると嬉しいけど』

『そうですとも』

『ありがとう。ネプラス将軍』


 ルシフィは穏やかに微笑みを浮かべた。

 ネプラスとルシフィの会話に区切りがついたのを見計らって、タギルが立ち上がった。先刻から影のように佇んでいたそっとヤムナークが、ルシフィのそばに近寄ってシーツを掛け直す。


『それではルシフィ様。あとは、ごゆっくりおやすみください』


 タギルは労(ねぎら)いの言葉を掛けると、ネプラスを促してルシフィの病室から出て行き、代わりに廊下で待機していた担当医が看護婦を連れて入室してきて、黙礼をするとそのまま診察を始めた。その横で、看護婦が熱冷ましの薬を飲ませた。

 ルシフィの薄い胸がはだけても、傍らにヤムナークがそのまま控えているので、看護婦が咎めるようにヤムナークを睨んでいる。


 ――カルテ読んでないのかな。


 看護婦の視線の意味に気がついたルシフィが、看護婦に『僕、男だから大丈夫ですよ』と言うと、途端に顔を真っ赤にしてうつむいてしまった。

 ルシフィは苦笑いしながら視線を移し、吐息をするようにヤムナークに言った。


『ヤムナークにも心配掛けちゃってごめんね。勝ちたかったんだけどなあ』

『ネプラス将軍も、充分な成果だと言っていたではありませんか。あとはタギル宰相たちにお任せしましょう』


 ルシフィは答えずに深く息を吐いた。先ほど飲んだ薬に睡眠効果があったのか、強烈な眠気がルシフィを襲っている。

 ぼんやりと視線をさ迷わせるうちに担当医は診察を終え、ルシフィの衣服を整えると、一礼して室内から出ていった。


『……また旅に行きたいな』

『次はルシフィ様がなんと言おうと、ついていきますからな』

『こういうのは、一人で行きたいのに……』


 いけませんとヤムナークの強い口調に反応して、思わず目を開けると、大きく笑顔を見せるヤムナークの姿があった。


『ルシフィ様には、トレノの“ピッビ屋”まで案内していただきませんと。ワインやホタテグラタンを一人で堪能など、このヤムナークが許しませんぞ』

『わかったよ。ヤムナークには色々とお願いしちゃったし……』

 

 ルシフィは自分が不在にしている間の状況など、尋ねたいことがぷかりぷかりと浮かんでくる。しかし、今の強烈な睡魔の前では、泡のように弾けて消えていってしまう。


『ま。あの、エッセイのような報告書も、私個人としては楽しみでしたがな』

『うん……』


 頭の中がぼんやりして、回答が浮かばない。

 ルシフィの力のない返事に、ヤムナークの顔が覗き込むような気配がした。


『……ごめん、眠くて。ちょっと眠るね』

『申し訳ございません。おやすみなさいませ』


 眠る直前、ルシフィは胸元に手を当てた。

 いつもそこにあったものが、そこには無い。


 ――かあさま。


 亡き母から形見として託された月のペンダント。

 あなたを守ってくれるものだと、死を迎える直前、母が幼いルシフィに渡した形見のペンダント。

 ペンダントは粉々に砕けてしまったが、母が遺した想いはルシフィの胸にぬくもりとして残っている。


 ――かあさまが守ってくれた。


 ルシフィは幸せを噛み締めながら、深い眠りの底に落ちていった。


  ※  ※  ※


『で、どう思うな。ルシフィ様の話を』


 タギルは自動車の後部座席で揺られながら、隣に座るネプラスに尋ねた。車は病院から王宮に向かって走っている。

 サナダが発明したという自動車に、魔族の幹部は当初、惰弱だと激しい反発を示しものだが、今はアズライルを除いて抵抗を示すものはいない。

 馬車よりも速く長く走り、頑丈で病気もしないこの道具はやはり便利だった。


『どう思うか、とはなんだ』

『ルシフィ様の話されたことは、全て事実かということだ』


 タギルの言葉に、ネプラスは呆れたような目でタギルを見返している。


『あの方は、法螺や物事を大袈裟に語る方ではあるまい。自分が感じたことをそのまま仰る方だ。何を疑う』

『いや、疑っているわけではないが』

『根拠も無いのに、疑ってかかっているだろう。貴公も宰相の地位に就いてから数十年になるが、疑ってかかるなら誰でもできる。そろそろ後進に譲ったらどうだ』

『……』


 若い頃からの学友同士だから、言葉にも遠慮がない。ネプラスにそこまで言われても、タギルは返す言葉がなかった。幾分、恥じ入る気持ちで窓の外を眺めている。

 窓の外の人々は、タギルたちが乗る自動車を、物珍しげに眺めている。

 自動車を使っているのは魔族でもほんの一部だけで、一般大衆までには普及に至っていない。

 車は、四番街区の大通りからエルッセント広場へ向かう通りに入っていた。


『それよりも、リュウヤてクリューネのことだ。バルハムントを出た後に聖霊の神殿へ向かうというなら、聖霊の神殿に早急に兵を向けるべきではないか』

『うん。宮廷に戻ったらすぐに出撃の準備は進めさせないと。ただ、問題がある』


 タギルが窓の外を眺めながら言った。時おり、通りがかる市民がタギルに気がつき、手を振ってくるので、タギルも愛想の良い笑顔手を振りかえしている。


『問題は誰を向かわせるかだ。生半可な連中ではリュウヤとクリューネに返り討ちに遭う』

『今のところ、真っ向から対抗できるのは、イズルードとタナトスの“機神オーディン”か……』


 ネプラスは渋い表情をつくって、小さく唸ってみせた。

 すっかり増長した若い軍団長に手を焼いていると、自分の補佐官から耳にした話をタギルは思い出していた。


『たが、ルオーノとシシバルが黙っていないだろうな』

『ここでイズルードとタナトスにやらせると、まずいだろうな』


 イズルードにタナトス。

 ルオーノとシシバル。

 いずれも軍団長で、階級に差などなく、歳もそれほど変わらない。だが、機神オーディンを与えられたイズルードとタナトスは明らかに増長し、タギルやネプラスにも時には対等の口調で話したし、ルオーノとシシバルを部下のように扱い始めた。


 当然、ルオーノとシシバルは面白くなく、軍団長の間でも対立が生じ始めていた。ルオーノとシシバルに華を持たせたいが、リュウヤやクリューネ相手に真っ正面から勝てるかは疑問だった。特にふたりの軍団長は指揮能力は申し分なかったが、個人の武勇では素質の割に他の軍団長から後れをとっているというのが概ねの評価である。

 特に若いシシバルは魔族でも珍しい類まれな能力を有し、一国を任せられるほどの行政能力もあるのだが、いつもなにか足りない。

 竜族討滅に赴いた竜の山での戦いでも、散々にやられたのは魔王軍の中でもこの男だけだった。


『だが、奴らを倒さなければ、魔王軍の将来にも関わる。順番だの功績だのと言っている場合ではあるまい』


 ネプラスが首をひねりながら言った。


『うん、そこでなんだが……』


  ※  ※  ※


『会議の後、貴公らだけを呼んだのは、今回の作戦の真意を汲んでほしかったからだ』


 執務室に呼ばれたルオーノとシシバルは、共に仏頂面でタギルの前に立っている。内に起こる不満を隠そうともしなかった。

 ネプラスはルオーノたちの後ろのソファーに腰掛け、耳だけを傾けている。


『貴公らが不満なのは、イズルードたちの後詰めとされたからだろう?』

『その通りです』


 シシバルが憤然とした口調で一歩前に出た。


 ルシフィの情報をもとに、マルキネスは情報局員ほぼ全員にあたる五千名を投入し、リュウヤたちの足取りを追っていた。

 そして、リュウヤたちと思われる男女三名が、聖霊の神殿行きの船に向かうところを目撃した、という情報がタギルたちにもたらされたのは昨日の昼のことだった。

 季節風の影響で三日ほどトレノで足止めを食らったようだが、行き違いになってしまっていた。

 トレノから聖霊の神殿まで、船で一日半は掛かる。

 この機会を逃せば、レジスタンスと合流し、行方を追うのが困難となってしまう。

  タギルは緊急会議を召集し、ネプラス将軍指示の下、機動性の勝るイズルードとタナトスの機神オーディンを向かわせ、シシバルとルオーノは残る一隻の魔空艦で、後詰めとしてイズルードたちを追うことが決定していた。


『確かに機神(オーディン)の機動性は認めます。しかし、魔空艦でも充分間に合うはずでしょう。それをイズルードたちにやらせるなんて……』

『リュウヤはともかく、バハムートと正面から戦って勝てるかね?』

『いや、しかし魔空艦も以前より装備は充実していますし、クリューネのバハムートには回数や時間に制限があると、会議でも宰相が仰っていたではないですか』

『そう、制限がある。だが持ちこたえられるか。二十分だか三十分の時間を』

『……』

『竜の力を持つ機神オーディンならできる。バハムートに対抗できるだろう』

『しかし……』

『黙って聞きたまえ。バハムートと戦って、機神オーディンも果たして無事か?』


 タギルの言葉に、ルオーノとシシバルの目が光った。タギルは自分の意を悟ってくれたと思い、大きく頷いた。


『それに、聖霊の神殿の大神官ナギも、神殿を護るために巨大な力を持つと聞く。貴公らが功を立てるのは、奴らが消耗しきってからだ』

『わかりました。

宰相のご配慮に応えるためにも、必ずや竜族の残党ども仕留めてまいります!』


 ルオーノとシシバルは力強く頷いた。先ほどとは打って変わって晴れやかな表情となり、気迫に満ちている。

 後世まで記録に残るのは、過程よりも結果である。

 神竜バハムートを倒した勇者の名は、魔王軍の歴史に燦然と輝くものになるはずだ。タギルは若者の功名心嫉妬心に目をつけたのだが、その狙いは成功したと思っていいようだった。

 タギルが内心、ほっと胸を撫で下ろしていると、執務室の扉を小さく叩く音がした。


「良かった良かった。まだ、出発されておりませんな」


 タギルが応える前に執務室のあわただしく扉が開き、部屋に入ってきたのはサナダだった。


『大事な作戦会議だ。何の用があってここに来た』


 ネプラスが色をなして睨みつけても、サナダは肩をすくめて、いつもの冷笑を浮かべいるだけだった。


「いえ、魔王様から私に命令が下りまして」


 サナダは手元に携えていた一枚の用紙を、ひらりと居並ぶ将校たちに示した。

 それは魔王ゼノキアの筆による、命令書だった。


「私もルオーノ様やシシバル様たちに同行し、今後の参考にせよとのことでして。いやあはや、不審に思うなら魔王様にお確かめください。なんにせよ、参りましたなあ」

 

 わざとらしく天を仰ぐサナダだったが、その瞳に宿る光は威圧的で、ネプラスもタギルでさえもすぐに答えることが出来ないでいた。

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